第六十二話 捜し求めるもの
「さて......どうするかねぇ。お前が解き放った死蟲......は、あいつらに任せるとして。お前にはいくつか質問をしたい」
自身を強く打つ雨を気にせず、ちらりと校庭をのぞき込む伊織。心配するのもかえって失礼か、と目線を土師ノへ向ける。
――息を吐く度に、血が喉を潤す。
身体の中心に拳よりも大きな風穴があき、土師ノはただ残された寿命を数える事しか出来なかった。
「俺は......まぁ、人を殺すことに躊躇いはない。とうに過ぎた事だしな......。けど、生徒の前ですることじゃなかった」
彼の独白は、傍らで見守る我孫子に向けられたものであった。
「ごぼ......ぁ......」
隙間に風が吹くように、喉を鳴らして何かを懸命に伝えようと土師ノが、その身を起こした。
もう喋ることすらままならない......。と、伊織には理解できていた。だからこそ彼の行動に目をやり、伝えたいことに耳を傾ける。
「これってさ......ごッ......誰が、悪いのかな......ッはぁ......僕ら?参華咒?六道?」
目は霞がかったようにはっきりとはしておらず、どこか空中を彷徨っていた。
「そもそも......八夜千草......ガぁあ、異端だからこそ、起こったことだよね。彼は......周りを巻き込むよ......運命だこれは......はは、ははは」
細い声であった。
強がりではなく、本心から出た言葉は、掠れながらにも確かに、伊織と我孫子の耳に届いた。
「あぁ......そういえば、これを貰ってたんだ......今使わなきゃ、だよね?」
制服のポケットに手を入れる。
すかさず、八咫烏が飛びつきポケットに入れた方の腕を肘から捥ぐ。
「そんな見え見えの自爆技、させるかよ」
視線は鋭く細く、土師ノを捕らえていた。不快な音と共にぼたりと、力が抜け肩が落ちる。
「あはぁ......ハハハ!!!!だと思ったよ!!」
身体に穴が開き、腕をもぎ取られたというのに、満面の笑みで伊織を見て笑う。もはや致死量を超えた出血が、屋上を雨と共に濡らしていた。
「言ったろ?僕らの吐故幽隠落は手にしたものを大事に保管するための力でもあるって」
影というものは、光がある限り見えなくともそこに存在する。例えば、張り合わせた背中の隙間に――。
屋上から、土師ノの身体を突き上げる様に黒い巨影が競り上がる。
「これ、は......!この感覚、死蟲に近いが......それよりも......」
口に出しながら、伊織は一つの顔を思い出していた。しかしそれを否定するように、口には出さないでいた。
――八夜の丕業。
伊織の頭を占めていたのはそれ。
黒い長髪が、風と雨に曝され、頬に張り付く。
(だとしたら、これは夜辺の仕業か!あぁ......あぁ!吐きそうだな全く!)
はっきりとした確証はないが、言い知れぬ不安が確かにあった。
黒い影は土師ノの下半身を飲み込むと、食い千切り、残された上半身を捨てる。
目的を果たした影は収縮し、落ちた上半身の影に再び潜む。
食い残しの上半身が、奇妙にも動き出した。
「いてぇなぁ......文字通り死にそうだ......けど、これが【進化】か」
伊織の目には、信じがたい光景が写っていた。
下半身を食われ、片腕も無くなったというのに、気が付くと上半身だけの土師ノが起き上がっていた。
丁度へその部分で乖離した上半身と下半身。
残された上半身は影の様に、だんだんと黒に塗りつぶされてゆく。
伊織がもぎ取った腕は黒い腕となって復元されており、どころか、一目見ただけでは数え切れないほどの腕を生やしていた。
影が覆い尽くすと、頭から影が剥がれ落ちた。剥き出しになったのは、腐乱した肉の化け物。
数多の腕に支えられた上半身、全身を覆う斑模様の皮膚と付随する腐乱。人が人でなくなる瞬間。
「遂には運命の亡者になったってか」
皮肉に口を歪めるが、顔には汗が張り付いている。
「伊織先生!」
「我孫子!くるんじゃねぇ!そこに居ろ!八夜の傍に居るんだ」
駆けだそうと足に力を込めた矢先に、釘を刺された我孫子は、その薄い唇を無理やり横に閉じた。端からは少しの血が滲み出ていた。
(足が.....呪いが......喜んでいるのが分かる。わかりたくないのに、分かってしまう。この感覚に、覚えがある)
ズボンの下にある呪いが、ケタケタと喜びの声をあげる気配がした。
勿論口なんてなく、意思すらもあるかは定かでないが、喜んでいることは、他でもない宿主の彼女が良く分かっていた。
「なるほど......呪いは願いの果て......僕も前から思っていたんだ。この手に運命を握る力があるというのに......僕らには腕が二本しかない......」
感触を確かめる様に手を握りしめ、ゆっくりと掌を開ける。
「だからこその、この進化......実に合理的だ......うんうん」
腐った顔から笑みが生まれる。
「表情筋も糞もねーのにどうやって笑ってんだ。気味悪ぃな」
鉄鎚を持つ手に自然と力が入る。
「礼を言わせてくださいよ。あなたがここまで追い込んでくれなきゃアレは使わなかった......進化したのは、あなたが追い込んでくれたからだ。進化は絶命間近に宿る。だからこれは......ほんのちょっと、気持ちばかりのお返しです」
腐乱した皮膚を張り付けた複数の腕を、伊織に向け握りこむ。
突然、伊織の肩に痛みが生まれた。獰猛な顎を持つ、例えば鰐だとか鮫だとか、そういった生き物に食いつかれたように骨ごと引き剥がされそうになる。
「――ッッ!!!う、ぐ、おぁおお!!!」
伊織は戦いの最中、土師ノの呪いの射程を凡そ掴んでいた。いつ攻撃されても良い様に、その有効射程外に居た。だが、届いた。
バックステップで数歩下がり、距離を取る。未だ肩は悲鳴を上げている。
(進化か......見た目だけじゃなく、力も格段に上がってる)
顔を向き合った状態で下がり続けていると、ふと痛みが治まる。
図らずともその位置は我孫子と、八夜がいるであろう繭の前であった。
「我孫子......あいつはここへ近づけさせない。だからそのままでいろよ」
「先生......」
ゆっくりと、こちらへ身体を向けている土師ノ。伊織が迎え撃とうと構え、攻撃に移ろうとしたその時。
「伊織先生、彼の事を頼みましたよ。いや......それだけじゃない。この学校と、生徒たち。そして、対馬の事も。まぁ私には、その言葉を言うに値する価値は無いが......」
より多くの黒い手が、土師ノを飲み込んで、屋上から引きはがした。
投げ捨てられた土師ノは、勢いのまま学校外の林へ沈んでいった。
「今のは......校長の......だが、どこにも」
必死に当たりを探してみても、目に入るのは繭から繋がれる糸の様なものだけ。
羅睺――何度か見た覚えのある六道の丕業。
土師ノが放られた辺りを屋上から目視してみても、やはりここからではどうなったか見当もつかない。
だが彼の先ほどの言葉は、何かを為すつもりの様であった。そして、この学校を頼まれた。
「大人たちが揃いも揃って、無責任すぎるでしょ......けどまぁ、アンタの事、嫌いじゃあ無かった。変わってしまったのは、俺もアンタも一緒だ......許されることではないが......」
今度こそ伊織は八夜と向き合うべく、背中を翻し顔を向けた。
「待たせちまって悪かったな......それじゃあ俺とでわりーが、面談といこうか。これでも教師なんでね」
その顔には、普段生徒たちに見せる優し気な笑顔があった。




