第五十八話 無窮の誤想
意識が混濁する。その場から逃げ出さなくてはいけないと誰かが俺に囁く。
有無を言わず、全身の丕業を伸ばし、逃げる様に場から体を動かした。視界の末端に我孫子が居て、消えた。
「ォォォオオ!!!!」
廊下を埋め尽くすほどの丕業の根は隠れたい、逃げたいという俺の願いを叶えてくれる。
ちがう!俺は死ぬためにあいつの前に行かなくちゃいけないんだ!殺される為に!
痛いのは嫌だ!死にたくない!他の事はどうでもいい!俺だけが助かればそれで!
また失うことになる!両親の様に!そんなのは嫌だ!何が嫌なんだ!分からない!
――今俺は何から逃げている?
ここがどこなのかは分からない。全身を覆う鎧は外と中を断絶する。高校がどんな風に変わり果てたのかも定かではない。
膝を抱えてうずくまる。身体は動きはしないようなので気持ちだけ、丸くなる。
胸に顔をうずめ思案する。
――最後の最後で他人に委ねてしまった。自身の命を履き違えているわけではない、彼女に枷をつけたいわけじゃない。
我孫子は、本質的に俺と似ている。普段は飄々としてどんなことも歯牙にかけないような雰囲気ではあるが、そうじゃない。きっと彼女なりの処世術だ。
本質は暗く、何で自分だけがという感想が常に頭を占領しているように思える。それでも気にする素振りを見せないその在り方が羨ましかった。俺にはそんな強さが無かった。
『――俺を殺してくれ』
だからこそ、あの時の彼女の顔には応えるものがあった。
きっと、葛藤しながらそれでも彼女なら俺を殺してくれると思っていた。このまま暴走して他の人に危害を加えるなら、俺を止めてくれると思っていた。
阿南や生徒会の人とは繋がりが強くなり過ぎていた。きっと何とか別の方法を考えてくれるだろう。その結果彼らを傷つけない保証はない。だから頼めるのは出会って日が浅く、かつ、俺と性質の似ている我孫子が適任だと判断した。
彼女を見誤っていた。
泣いていた。俺の姿をみて涙を流すのではなく、俺の言葉に涙を流していた。つられて俺も涙を零してしまった。死ぬことが怖くて泣いたんじゃない。痛くて泣いたんじゃない。彼女の泣き顔を見て、不意に零してしまった。
その時の彼女の言動は幼稚といってもいいぐらいに普段とはかけ離れていた。
「嫌だ嫌だ」と駄々をこね俺にしがみつき、綺麗な顔は涙と鼻水にまみれていた。そんな風になっても綺麗だ、と人ごとの様に思っていた。
濁った感情が垣間見えた。俺の心にあった「誰かに必要とされたい」という承認欲求が満たされた感覚。
呆れ、絶望、嘲笑。自分を顧みて、酷く醜い存在だという事を知覚する。見た目の話ではない。俺の在り方が醜い。
けれど、そんな俺とももうサヨナラだ。ならばこそ晩節を汚すのではなく。
俺の命が潰えるまでに、この学校に侵入していると思われる「敵」を俺が殺す。他の誰にも責任を負わせるつもりはない。全てを俺が担って、共に消える。
それよりも先に灰色をした化け物として誰かに消されるかもしれない。
俺の日常は、俺自身がこの手で守る。
熔けたように感覚が失われている。痛さもない。この学校を守るという念に駆られ、ただ根を伸ばす事に意識を割く。
不思議なことに、目もついていないだろうに、まるで皮膚全体が補うように辺りの風景を脳内に送り込んでくる。
* *
周防先輩が見知らぬ黒衣を纏った人と教室で戦っている映像だった。不思議なことに周りの人間はそこに二人が居ないかの様に授業を進めている。
「!?」
いつも飄々として軽いノリの先輩が妙に鋭さを携えていた。すると、先ほど黒衣の人が投げたナイフの様なものが本人の喉元から出てきた。
考えるよりも先に、俺は映像を送っていた辺りの根を手繰り黒衣の人間の腹に風穴を開ける。先輩に「人を殺した」という重荷を背負わせたくない一心で反射的に行った事だが、後悔は不思議とない。
俺がこの場をのぞき見していることを確信したような面持ちで、周防先輩は根に向かって何かを話し、教室を出て行った。一体なんて言ったんだ?
突然視界にノイズが走り、見えていた映像が切り替わる。
「ここは......あなみ......阿南!」
弾けるように送られてきた映像に食い入る。無論身体はぴくりともしない。そもそもこの根の深く深く奥底に眠っているのだから、身体はミリも動きはしないのだが。
どうやら学校の会議室の様だ。阿南と白間が誰かと相対している。
「校長先生......」
身体の厚みが俺とは違う生物の様に思う。それほどまでに鍛え上げられている全身を黒い手で覆い隠し、阿南を挑発している。いや、そのように見えた。残念ながら音は拾ってくれていないようで、口を動かしている映像だけが流れる。
しばらく映像を見つめていた。途中何かふっきれたかのように阿南の顔から険が取れた。
激闘の末、校長先生と阿南が倒れる。
二人は仰向けで暫く会話を続けると、校長先生はどこかへと消えた。
それから阿南と白間が他愛のない会話をしている風景が送られてくる。
阿南は本当にすごい奴だと思う。初めて出会ったあの日、ただのクラスメートである俺を助けてくれた。あのまま阿南が現れなかったら、俺の命より大事な姉が殺されていた。俺にとって阿南はヒーローだった。
けど、阿南にとってはそれは普通の事なんだろう。手の届く範囲で人が困っていたから助けた、ただそれだけなんだ。
俺の理想だった。振るうべく力を求められた場で振るう。自分の力を見誤らない。
「はは、ははぁ」
乾いた涙が零れた気がした。
こんなにすごい奴と俺、知り合いになれたんだぜ。母さん、父さん。
婆ちゃんと姉さんはまだしばらくそっちにはいかないと思う。俺だけ先に行くよ。ごめんね。
* *
「泰先生、今この学校は周防君による幽霊船で覆われています。生徒会の子らは心配いりません、各々やるべきことを全うしているでしょう。それよりも残された方が心配です!」
慌ただしく指示を飛ばす奇兵の元には様々な教師が集ってきている。
「彼の丕業の中では、丕業を持っている人間とそうでない人間は区別されます。丕業を持っていると自覚の在る生徒は異変に気が付き、すぐにこちらへ向かうでしょう。けれど“発現させていることを自覚していない生徒”も何人かいるはずです!至急その生徒らの救助に向かってください!死蟲も侵入している恐れがあります、一人で行動しない様に!泰先生、奥沢先生で校舎を回ってください」
「はい!」
「わかりました」
時は刻々と過ぎる。
担任のクラスを持っていない奇兵は、早朝から職員室で資料を閲覧していた。前回死蟲に侵入された件で集めていた情報に目を通し、類似性の高い死蟲を調べていた。
その矢先に、周防の丕業を確認し、異変を感じ取る。次いで尸高校の校舎が激しく揺れ、至る所から灰色をした根のようなものがうねうねと這い出てきた。彼の頭の中に浮かんだものはそう多くはない。「死蟲が侵入した可能性」と「生徒たちの安全を確保する」その二点。
奇兵は生徒会の人間の性格や丕業を大まかだが把握している。だからこそ、周防連が悪戯に校舎全体に丕業を発現させるとは考えなかった。きっと何者かが侵入してきたのだと、刹那で結論付けた。
そこからの行動は速かった。生徒会の子らもこの意図には気が付いているハズ。ならば教師は取り残された生徒たちの保護を優先させねばならない。
丕業というものを全員が持っているわけではない。教師も生徒も同様だ。そして、自覚していなくとも発現させている生徒も多くはないが居るのは事実。その子たちはきっと突然世界が切り離されたように感じるだろう。孤独と恐怖に押し負けそうになっているだろう。そう考えると居ても立ってもいられなかった。
現在尸高校で自由に動ける教師を一度、職員室に集める。そして奇兵の指示の元、生徒の保護と死蟲討伐の二手に分ける。
「泰先生と奥沢先生が生徒の保護を担当します。一度この根については忘れましょう、今一番優先すべきは生徒の安全。そして次に侵入しているであろう死蟲の討伐です。いいですか!生徒会の子たちが前線で戦っているんです.....私たちが今守らねばならないのは生徒です」
逸る気持ちを何とか押し込み、周りの先生に言って聞かせる様に話す。
「もし怪我を負っている者を見つけたら至急保健室へ運ぶように、渚先生が処置をします。もし動かすことのできないほどの怪我を負っているのなら直接彼に連絡を入れて下さい!それから――」
「奇兵先生!」
職員室の扉を力任せに開き、伊織が身を部屋に入れる。
「伊織先生!いかがしまし......!!!!」
その伊織の肩に担がれていたのは、先ほど話に出てきた渚であった。身体の数か所を大きな切り傷で紅く染めあげ、意識を失っているように見える。
「ばかな......渚君が」
動揺が声に伝染し、喉が引きつく。
「渚のやろう、無茶しやがって......とりあえず死んじゃいないです。そんでこいつのすぐそばに死蟲の死骸もあった」
捲し立てる様に喋ると、一呼吸置いたのち続ける。
「よくわからねーけど俺のクラスのやつら全員この中に取り込まれてる。すみませんがここで匿ってくれませんかね?」
よく見ると、伊織の背後の廊下に数多の生徒たちが不安を顔に宿し、暗く俯いていた。
その表情を視界に入れた奇兵は一瞬の不安に蓋をして、気丈に振る舞う。
「言われるまでもなく勿論です、さぁ君たちはここに」
眼鏡をクイッとあげ、心配はいらないとでもいうように優しげな声で部屋に引き入れる。
生徒達は怯えからすこし解放されたのか、安堵のため息をつき、肩を寄せ合う。職員室はそう大きくはない。生徒たちは必然的に中央で固まる様にして腰を下ろす。
しかし、その光景を目にして幾人か足りない事に気が付く奇兵。
「伊織先生、生徒会の二人が居ないのは分かりますが、他にも姿が見えない生徒がいますね」
「えぇ、八夜と阿南は生徒会として今学校を見て回る様に指示しています。我孫子と通、山江、三浦は保健室に。あいつら、保健室から動かねーってきかなくて......二年の観月を置いてきたので心配は無用です」
「ならば、いいでしょう......」
ほっと胸をなでおろし、急ぎ次の指示を出す。
「ここには保護した生徒を連れてきてもらいます。見張りとして私と大河内先生が。何かあれば直ぐに私に」
指示を受けた数名の教師が職員室から飛び出す。
「伊織先生は......あなたの考えで動いてください」
生徒たちに軽口を言って場を和ませていた伊織の背に向けて口を開く。
「......ありがとうございます」
顔を向ける事もないまま言葉を返す。
「もう、間違いは選びたくないですから。ただし、一つだけ条件があります。必ず......必ず生徒会の生徒たち全員と共に無事戻ってきてください」
「言われるまでもなく、勿論ですよ」
二人は一度も顔を合わせることなく互いの向かうべき場所へ足を運ぶ。すれ違いざま、伊織は背中越しに奇兵に向けて手を数度振るった。




