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命色ノ贄  作者: 卯ノ花 腐(くたし)
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第五十六話 廻天之丕業

 底なしの黒い沼に、身体は身動きを封じられている。もがくほどに沈み、とうとう下半身は完全に飲み込まれた。この沼に飲み込まれても消えてなくなるわけでは無いようで、しっかりと足は動く。けれど空中でバタ足をするように、抵抗は何もない。


 目線が随分と下がった。土師ノ君の顔を見上げればならないほどに。


「そろそろ行かないと、化け物が暴れそうだ」

 楽し気に、灰色の根に目線をやる。


 この体育館に、突然現れた灰色をした骨の様な根。意思を持つようにグネグネと先を伸ばし続け、いつしか学校全体まで行き届いているこの根に、心当たりはあった。


 恐らく八夜君の丕業。彼の意思でそうなったのか、暴走を起こしてなったのか。おそらくは後者。彼の事を知っている人間なら、彼自身の意思でこのような事をしでかすとは思わない。


 私の中に強い焦りがあった。一刻も早く彼の所へ行きたい。大切な生徒会の子らの安否を知りたい。だからこそ、ここで時間を浪費している自分に腹が立つ。


(悠長に考えている暇は、無いわね)

 手段は選べない。どうすればこの沼を抜けるかだけを考える。


「うーん、思ったより時間がかかるね。まぁ外部にばれないように床だけしか使ってないからなぁ、しょうがないけど」


 もはや私を手に入れるのは時間の問題だとでも言うように、ちらりと腕時計で確認する彼をよそに、私は丕業を発現させる。


 この距離からでも、彼を攻撃することは簡単だ。けれどそうすれば確実に私を自身の手で沈めに来るだろう。それは今じゃない。


 丁度影に飲み込まれて見えなくなっている下半身全体に、丕業を発現させる。

 夥しいほどの口が、一様に開く。


(このまま、影を食らいなさい――)


 空気を食べることは、無意味に等しい。海を飲み干すのは、人ならざる者が成しえる業だ。だが、同じ人間から生まれた丕業なら。無限というものでは無いのだとしたら。


 表面上では何ら変わりない。だが、その水面下で恐るべき大喰(おおぐら)いが馳走を貪っている。


(!!これなら)

 行動を悟られないようになるべく顔を伏す。なんだか彼に向かって許しを乞うているようで腹が立つけれど、私のこの程度の屈辱がなんだ。生徒会の後輩たちに比べれば、塵芥にも等しいじゃない。


「まだ......?いや、さっきから随分と時間が経っている。()()()()()()()ね?」

 流石に何か気が付いたのか、怪訝な顔でこちらに寄って来る。







「残念、もう少し早く気が付くべきだったわね」

 左の掌を、良く見える様に彼の前に差し出した。


「これ......は!しまった!()か!」

「遅いわ!」

 左手の口が閉じると同時に、土師ノ君の右脚の脛が削れる。赤い液体が木目調である体育館の床下を上塗る。


 彼の丕業を食い尽くすと、私の足元にあった影は縮小し、土師ノ君の影へと逃げる様に帰る。


 下半身を改めてみても大した変化はない。彼の丕業は物を影に取り込むだけの様だ。けれど、死体も錆び付きもこの体育館から綺麗さっぱりと消えている。こちらも一歩遅かったようだ。


「まさか、僕の呪いを食い尽くすなんてね......。君はその細身ながら、しかして大喰いだったわけだ!いいね......いいよいいよ!他人の目線やインスタを気にして小ぶりなサラダや、バカみたいにそろってパンケーキしか食わないような奴らよりずっといい!」


 顔中に脂汗をびっしりと掻きながら、へらへらと笑う彼を見てゾッとする。自身の怪我を押しのけて尚も私に対しての感想を述べているこの男が、ひどく恐ろしいものに見えたから。



「あはは......けど、流石に、これはマズいね。僕は人を傷つけることは苦手だし、僕自身に傷がつくのも苦手なんだ。あは、痛ってぇな」

 呼吸が荒くなり、身体を小刻みに震わせている。私はというと、既に止めを刺すべく、彼がしたように、床に丕業を発現させ、左手も向けている。



「あなたの目的は未だ良く分からないけれど、影に逃げ込まないようにその手足、喰らうわ」

 

 掌を彼の足に向けた時、背中の骨が凍り付くような感覚が生まれ、その場に留まっていることに忌避を感じた。


 




「しょーがない。本当にしょうがない。一番大事な僕らの命に代えられるものは何もないんだ。すまないね、カッコつけておいてこの様なんだ。醜いよねえ。君はそう思うかい?運命の相手がこんな情けない男だと知って、がっかりした?運命を呪った?勝手だなぁ。ひどく勝手だ。所詮金か?やっぱ金のある奴の方がいいってか?あぁ?」


 おかしい。さっきまで、彼は酷く呼吸を荒げていたし、今にも倒れそうなまでに弱っていた。だというのに、どうしてそう強気でいられる?いえ、それよりも。一人称が【僕ら】と今......



「う......ぶえ.......ぉェ!?」

 突然視界が回り出した。驚くような速度で、右が左へ。天上が下にあって、また上にくる。床の色である茶色が画面いっぱいに溢れ、もはや自分が立っているのか、そうでないかの感覚すら麻痺していた。胃の中がもみくちゃにされ、胃液が食道を焼きながら口に競り上がる。堪えようとしたものの、既に口がどこかすら見当たらず、手は虚空を抑える。


 ビシャリ、と液体がある程度の高さから自由落下に身を任せ、地に叩きつけられた音が鼓膜に伝わった。私の吐しゃ物が一面に広がったのは分かった。という事は私は立っている筈だ。



「運命は回る、金は回る、地球は回る。お前も回ってみればその偉大さに気が付くだろ、なぁ!」

 さっきまでの彼の言葉づかいではない。耳に届いた言葉はしかし、どこから聞こえたものか断言できない。苦しい。死んでしまう。


 バン!と何かが強く打ち付けられる音がした。恐らく私だ。私がついに立っていられなくなり、地面に倒れてしまったのだ。それでも視界の回転は、尚も止まらない。

 鼻を衝く匂いがする。さっき吐いた物だ。身体がヒクヒクと仰向けで痙攣を起こし、情けない姿を見せびらかす。


「あはーぁ!良い眺めだ!ゲロにまみれている姿も絵になるなぁ!この網膜と記憶に!しかと縫い止めておこう」


 最悪だ。こんな姿を曝している自分に、そしてそれをどうすることもできない自分に怒りが増す。けれどどうしようもない。未だ視界は回転を続け、慣れるという行為を放棄している。





「こ......ゲホッ......ぅ」

 振り絞った怒りは、悲しい事に喉を十全に震わす事すら叶わない。


「こ?降参のこ?」

 ニタニタと笑みを浮かべ、自分が有利であることを確信している。もう私にはどうすることもできないのだと高をくくっているその笑みが、たまらなく憎い。


 動かすのよ。喉が裂けても良い、このまま高みから見下ろされて、屈辱的なままで、彼の思い通りに事が運ぶなんてことは、許してはいけない。裂けろ、潰れろ、絞れ!


「......って言った、のよ」


「はぁ?なんて?」



「殺してやるって言ったのよ。耳が、悪いの?それとも運命の相手にそんな事言われるなんて思ってもいなかった?」


 震える足腰に無理やり力を籠める。震えが収まらないが、地に這ったままよりは随分とマシ。見下されるのは、嫌い。


「もう一度言ってあげるわ。殺してやる」

 口の端から零れ落ちている唾液を無造作に拭う。はったり、強がり。それだけの事だけれど、我慢ならない。だからこそ、立たなくてはいけない。



 彼の顔が、黒く陰る。体育館の二階に設置している窓から差す光が途絶えたのか分からないが、その表情が見えなくなる。


「強気な態度も良い。けど、流石に狂犬を手放しで引き連れる趣味は無い。仕置きが必要か?あぁ!?」


 ゆっくりと、幽鬼の様におぼつかない足取りで歩み寄ってくる。怒りに震えているのか、一度落ち着きを取り戻していた呼吸も、再び荒いものとなっている。


「その煩い口は縫ってから持っていこう?あぁそれが良いな」

 自問自答を口にしながら、私の腕を掴む。

 もう、立っているだけでやっとだ。丕業はまともに発現できていない。後は彼が口にした通り――本当か嘘かは分からないが――口を縫われて、影に飲み込まれるのを待つだけ。








「な、なんだぁ!?根っこが勝手に動いッ!!」

 待つだけの私は目を伏せていた。だから気が付かなかった。



「や、やめ!オぼ!折れる!?締め付けらられ!!?」

「え......?」


 八夜君の力であろう根が、静寂を決め込んでいた根が、まるで私から土師ノ君を引きはがす様に間に割って入り、壁となった。


 根は見る見るうちに彼の全身に纏わりつくと万力の様な力でゆっくりと確実に土師ノ君を締め上げる。


 僅かな時間で全身を覆うと、鼠一匹入る様な隙間すら見当たらない檻に形を変える。まるで鉄の処女(アイアンメイデン)



「アぁ......ぎゃ」

 柔い果実を素手で握り潰したような不快感を伴った音が、体育館に広がる。土師ノ君が閉じ込められたその檻の隙間から僅かに血が滴っていた。



「八夜君......なの?あなたが助けてくれたの?」


 灰色をした根に問いを投げる。けれど、当たり前だが何の返事もない。


 気を抜いたわけではない。意識を手放したわけでもないが、もう立っては居られなかった。いつしか視界は元通りに、荒れ果てた体育館を正常に映しており、気持ち悪さも尾を引いてはいるがさっきほどではない。


 檻から、一本の細い根が傍まで伸びてくる。先ほど土師ノ君を閉じ込めた悠然な気配は感じられず、どこか弱弱しさを醸し出していた。


「ッふふ......なんだか、八夜君自身みたいね。芯の強そうな目をしつつも、どこかおどおどして周りに怯えてる。あなた、きっとどこかでみているんじゃないかしら?」

 そっと根に手を触れる。勿論体温も鼓動も感じられない。無機質とも生物の肌とも違う、不思議な感触だけがあった。


「いい?自暴自棄にだけはなっちゃダメよ。私が言うのもなんだけどね。直ぐに私もあなたの傍まで行くわ。だから、見ていて。私たちを」


 寝落ちする幼子をそっと撫でる様に、優しく触れると、全身に力を籠める。

 あるはずのないものが身を掻き立てる。私は本当に、好奇心に突き動かされる。けれど今は、それに感謝しなくちゃいけない。



「あなたにも言わなくちゃね、ここは居て当たり前の、あなたの帰るべき場所だって。嫌といっても逃がさないわ。もうあなたは生徒会なのだから」


 巴 古美は、灰色をした根に少しばかりの悪戯を混ぜた笑顔で言い放った。


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