第五十三話 ジュブナイル・ディザスター
――斯くてこの血は赫に至る。
もう幾度と唱えたこの言葉の意味を、今一度知る。
「グゥ、ォォオオオオオオ!!」
まるで細胞を一から作り変えてしまうような勢いと痛み。知らず、獣の慟哭の様な声が喉を通る。
「ガァァ......ァァアアあ!」
心臓が、驚く速度で伸縮を繰り返し、血液をどこかへ運ぶ。
脈打つというような生優しい表現では収まらない。身体のあちこちに重力の負荷が強くかかる様な圧迫と、付随する煮えたぎる様な皮膚の痛み。
生肌を曝け出していた両腕は瞬く間に血に染まる。皮膚を食い破って漏れ出した血が外気から覆い隠さんと、纏わりつく。
「あが......ハァ、ハァ」
すべての腕に血が届いた所で、全身に倦怠感が圧し掛かる。
これが、俺の丕業。正しき赫至赫灼。
ダメだ、血液が足りないのか身体がふらつく。ゲロも吐きそうだ。
「お、おい!大丈夫かよ!?」
心配してくれたのか、白間が青い顔をして近づいてくる。
「あぁ、なんとか......って言いたいところだけど、正直気分が悪ぃ。ゲロ吐いていい?」
「舐めんな」
軽くあしらわれてしまった。冗談だったんだけどな。
「それで、何が変わったというのだ。見た目だけか?」
こちらの様子を伺っていた六道が漸く口を開いた。未だ薄気味の悪い姿で空中に浮いている。
変わり果てた両腕を見る。傷つくことを拒むように硬く守られていた俺の腕は、今は本来の腕の形を保っていた。ただ、これまでと違うのは色。
俺の憎悪を例えたような黒ではなく、純粋無垢な血の色をしていた。万人が思い浮かべる血の色と遜色はないだろう。見た目だけで言えば、やや頼りなくも見える。だけど――。
「借り物のように感じていたこの両手を取り戻したような気分だ」
死蟲を屠る時。殺す時。俺は、憎しみのままでこの手を振るっていた。けれどそうしなくてもいいと、誰かが背中を押してくれているような安心感が今は、ある。
ふらつきは治まっていない。朦朧として、視界も不明瞭だ。けど、解放された感覚だけははっきりとある。
「なら、示して見せろ。阿南対馬という人間の在り方を!」
球体の骨子の部分である腕から、新たに三本黒腕が放たれた。三本の右腕は迷いなく俺の頭を狙って伸びてくる。
少し、恐ろしかった。今まで積み上げてきたものが消し去ってしまったような気持ちだ。
かつての丕業と、歩んできたものが、失われた。そして新たな力に目覚めた。
どんな力か分からない。けれど振るうしかない。俺が納得した先で得たものだから。
「漸くお前と同じスタートラインに立てたよ、千草」
不思議と笑みが浮かぶ。きっと千草も恐ろしかったんだ。けれどやはりそれを行使するほか無かった。
わけわかんないまま死蟲と出会って、丕業を使って。命を削ぐ場面に幾度も立たされてきたんだ。
本当にわかんねぇよな。俺もだよ。
だから、今度一発殴ってやる。何で俺に相談しなかったんだよ、弱いくせに強がって。だって友達だろう俺とお前は――。
「赫檄!!」
二度目の赫檄を射るべく、真っすぐに迫りくる黒腕に手を伸ばす。
だが、俺の予想に反して、伸ばした先からは何も出ない。
黒腕は気にも留めずに迫りくる。マズいこのままでは捕まる......!!
「!!」
伸ばした手の先に奴の丕業が触れようとした途端、その真っ黒い腕が、勝手に消滅した。
どこか焼けたような匂いを放ちながら、消し炭のように、脆く空中で綻んだ。
「なに......?」
六道も驚きの声を上げる。これまでの硬い表情ではなく、心の底から漏れ出た驚愕に、顔が引っ張られていた。
「まだ全然分からねーけど、これなら!」
「!?」
その一瞬の隙をついて、走り出す。俺の両目が、ただただ奴の所までの道筋を探し出す。
「羅睺」
残骸になり果てていた机や椅子の瓦礫からこちらに向けて、行く道を塞ぐ様に黒腕が伸びてくる。
が、やはり俺の傍まで近づくと、一斉に、消し炭と化す。まるで、火の輝きに魅入られた憐憫な蟲の様に。
「ぐっ......。それがお前の願い、丕業か!」
また、消える。ボロボロと、触れてすらいないのに形を保てなくなった奴の丕業が、願いが、炭と化す。
「おおおおおおおお!!」
勢いを殺さず渾身の力を込めて振りかぶり、奴の右頬を生身の腕で打ち抜いた。
ドガン、という大きな物音と、体格のいい人間が二つほど倒れる音が響いた。
アドレナリンとか、詳しくは知らないが痛覚や疲労を麻痺させていた何かが切れたんだろう。既に体力なんて残っちゃいなかった。ただ俺の根底にあった何かが突き動かしていた。それが今切れた。もう一歩たりとも動けはしない。
床に寝そべりながら、ちらりと横に顔を向けると、そこには俺と同じように寝そべったまま、顔を天井に向けている六道の姿があった。
「殺さないのか」
「初めに言ったはずだ。俺はあんたを殴りに来ただけだ」
「嘘をつくな......憎いはずだ。お前自身に必要以上に強さを求めた。お前が大切にしているこの学校を餌とした。そして友人である八夜千草という少年をこの腐った演劇に引き摺りこんだ」
少し、返答に困って間が空く。どう答えるべきなのか、真剣に悩む必要があったから。
そうして、十分に考えてから出た答え。
「あぁ、憎かったよ。同級生ともっとゲームがしたかった。好きな女の子について夜が更けるまで語り合いたかった。学校をサボって遊びに出掛けたかった。それを全て姉の為と押し殺してきた」
「けど、あの時あんたに教えてもらった丕業の使い方、戦い方、生活も、全部が俺の日常だった。嘘も含め、全部が。だから憎くても、殺そうだなんて思えない。それに......」
「それに、なんだ?」
「そういうのは、これからも出来るからさ。千草と、生徒会の皆。クラスの奴とだって今は偽らなくても接し合えそうだ。あと、ついでにそこに居る白間も含めようか」
「俺今から索冥撃っていい?いいよな?許されるよな?」
「そうか......。もう、お前に秤は必要ないか」
「あぁ。だから、あんたにもいつかきっとそういう日が......」
「来ない」
六道による強い否定の言葉が返ってきた。
上半身を起き上がらせると、ゆっくりと教室の出口へ向かい歩を進める。
「ここでのことは、私が収拾をつけよう。だがな、対馬。そんな日は絶対に来ない。いいか?いつか訪れる私の死を、お前はその目でしっかりと焼き付けろ。これは師としてお前に教える最後の言葉だ、忘れるな」
教室に残された空気は、次第に蒸し返すような暑さを取り戻す。さっきまで今が夏の入り口だという事をすっかりと忘れ去っていたようだ。
蟲の声が聞こえる。教室の割れたガラスの上で名も知らない鳥が囀る。陽炎のように瓦礫が揺らぐ。椅子、机、灰色をしたコンクリート。剥き出しになった鉄筋と、夥しい血と鉄の匂い。
「頑固な大人だな」
しばらく息を殺して見守っていた白間が俺の横で腰を下ろす。
「俺たちはまだ、子供だ......。大人と何が違うんだろうな」
白間が、割れた窓から外の景色を見つつ愚痴る。
「大人だからこそ、変わっちゃいけないものだってあるはずだ」
知ったように返すが俺だって分からない。分からないことだらけさ。
「こんな学校で、丕業を持ってさ、普通じゃいられない俺たちと先生たちは、何が違うんだろうな」
なんとなく呟いた白間の言葉が、鉛の様に頭蓋に沈んで、熔けていった。
* *
「貴様、尸高校の人間ではない......な。といって参華咒の人間でもない。何者だ」
全身を黒く染めた一人の男が、悠然に口を開く。得体のしれない者に出会った焦りは微塵も感じられない。
物音ひとつ聞こえない体育館。黒を纏う男は一段高い舞台上で背中を見せる不審な姿を目に映す。
「あぁ......えっと......しまったなぁ。よりにもよってこっち側に見られたかぁ」
悪戯を親に見られてしまったような、照れ笑いすらその声には含まれていた。
「いやいや、あのね、この骨の根がすごーっく面白そうでついつい表舞台に出てしまっただけなんですよ。決してやましい気持ちとか、ないない」
コンコン、っと体育館の壁にへばり付いている灰色をした根を手で叩き、無害であることを主張する。
「そんな事はどうでもいい。お前が何者で、何故今この場にいるのかを聞いている」
その態度に苛立ちを募らせたのか、先ほどより言葉を強めて再度問いかける。
返答次第では、即座に殺すことも躊躇わないようで、相手から見えない所で暗器を握っていた。
「僕が何者か、ね......うーん。元人間?」
ガスマスクを取り付けた頭を傾げながら、ようやく問いに答える。
その時、暗器を握っていた男の掌から紫色の花が咲いた。何の予兆もなく、突然に。
目を見張るほどの速度で開花した、毒々しい色をした花。糸の様に細い紫が空に向かい幾重にも聳立していた。
「は......?ぁ......----!!!!」
と同時に訪れる激痛。握っていた暗器を取りこぼしてしまう程の痛みが、その花を起点に全身へ回る。
咄嗟に声を押し殺したが、食いしばった口の端から血が流れ落ちる。
「なん、だ!これは......呪いか!!?だが、いや......これは!!」
遂には立つことすらもままなくなり、膝を折り頭を垂れながら、どうにか視界にガスマスクを捕らえる。痛みのせいか視界もブレ、鮮明にはほど遠い画ばかりが目に入り込んでくる。
奇妙なことに、痛みと引き換えに掌の花はすくすくと成長している様にも見えた。どころか、体中に根を張り巡らそうと侵食してくるではないか。
男は、瞬時に結論を導き出した。
――この花は俺をエネルギーに成長しているのではないか、と。
取りこぼした暗器を拾い上げ、ぶれることなく正確に腕を切り落とした。光の反射を抑える為の塗装が血に塗り替えられる。
根が張り巡らされる前に落とさなければ全身を蝕まれていた、という恐ろしい想定が頭を占領していた。
「はぁ、はぁ......くそが!こんな所で!」
男にはやるべきことがあった。自身の呪いをこの学校全体にかけるという役割。先ほど仲間からの合図もあった。後は呪いをかけるだけだというのに!
彼は知らない事だが、その作戦は既に失敗に終わっている。周防 連が彼の丕業を持ってして、作戦を妨害していたのである。
そんなことも露知らず、彼は作戦遂行が困難になったことを心の中で深く後悔していた。
「だから、さっさと......てめぇの始末をして遅れを取り戻さねぇと......はぁ、はぁ」
流れ落ちる血を気にする素振りもなく、彼は目の前の不気味なガスマスクをいかに素早く殺すかの段取りを始めていた。
「へぇー!凄いね!そんな賭けで腕を落としちゃうんだ?腕って大事だよ?もう、戻せないかもしれないんだよ?」
男の行動をあざ笑うかのようにガスマスクをつけた人物は嘲笑を上げる。ケタケタと、ガスマスクが上下に揺れる。
「笑止!俺の腕一本などどうでもいい。全ては参華咒の為!」
漸く痛みにも慣れ、頭の整理もついた男が折っていた膝を伸ばそうとした時、関節が砕けた。
「え?」
――今度は痛みすら、無かった。
「あーあ。そうやって無理しちゃうから。大人しくしてたらそのまま朽ちるだけだったのに」
自身の身体の変化に、心が付いていかなかった。
関節の部分がギチギチと【錆び付いた】ような音を立てて、砕けた。
当然、片足を急速に失った男は、勢いのまま地に伏した。
頬に触れる床材が妙に熱を籠らせていた。
もう一度、砕けた足に目をやる。が、やはり変わらず砕けていた。人体が急速に経年劣化したかのように、ボロボロになっていた。よく見ると、所々に錆びの様な跡がある。赤茶色く、斑点の様にぽつぽつと。
「ここまで来たらわかるでしょ?僕が錆び付きって呼ばれてる死蟲。あ、あなたここの人じゃないから知らなかったのかな......あちゃぁ......無駄に力使っちゃった......亡様に怒られるよ......」
錆び付き......錆び付き。なるほど、これがあの......。
既に男は息を引き取っていた。致死量を超える出血と、身体の損傷。傍から見ても生きている事なんてありえない。が、ガスマスクをつけた人物は意にも介さず未だその死体に声をかけ続ける。
「僕ね、人を探しているの。けど、ここじゃなさそう。可能性が一番あったんだけどなぁ。僕こういう所で運がないというか、大事なところで間違いを引くジンクスがあるというか。後回しにしていた京都の学校にいかなきゃなー。こんなことなら最初っからそっちに行けばよかった!ね!」
革製のブーツで男の死体を蹴り上げると、その場を後にするべく踵を返す。ぴしゃりと水分を含んだ音が強く地を叩く。
その音を耳に入れて幾許もしないうちに新しい声が、鼓膜を揺さぶった。
「あら、こんなところで出会えるなんてね。こんにちわ」
「えぇっと......こんにちわ初めまして。あなた生徒会の人?」
心臓の鼓動が、蝉時雨の様に煩く聞こえたのは、誰の耳だろうか。




