第四十二話 罪を穿つ矜持 一
校門を過ぎた辺りでスマートフォンを確認すると時刻は八時二十五分だった。登校は三十分までなので、なんとか間に合ったようだ。
急いでいて気が付かなかったが、阿南から連絡が入っていた。おそらく俺が今まで遅刻してこなかったために何かあったのかと心配して寄越したのだろう。
四人とも下駄箱で軽く息を整えてから、三階にある教室を目指した。
やはりこの時間では廊下に出ている生徒もなく皆次の授業の為の準備に勤しんでいる様だった。
教室の戸を開き、中に入った。と同時に感じる異質。
なにか、おかしい。そのことに他の三人が気が付いているのか分からないがどうも教室の様子が変だ。
授業はまだ始まっていない。自分の席に居る奴もいれば席を離れている奴もいる。けれど、ほとんどの生徒は教室に集っている。
なにかが、おかしい。なにが......いや、これは......そうか、確信した。
俺を見る目だ。クラスの奴らが俺を見る視線が、いつもと違う。
いつもはそこらの珍しいものでも見るようなこちらを伺うような視線だったが今日は違う。嫌悪とか、忌むような視線。それは粘つく、実体のあるような視線。
「な、なんか皆おかしくない?」
教室の入り口に立ち止まっていた俺の隙間から山江が顔を出す。三浦と通が俺の様子がおかしいことに気が付き心配そうに声を上げる
「ど、どうしたの......?」
「八夜君?」
もう一度、改めて教室を見渡す。相変わらずクラスが一丸となって無言を貫いている。けれどその視線は先ほどと全く変わらず俺を捕らえて離さない。
観念して教室に身を乗り出すと、さぁっと波が引くようにクラスメイト全員が距離を置いた。
なんだ?何が起こっている......。
俺たち全員が教室に入ったというのに、他の三人には目もくれず、やはり俺だけを見続ける。
ぐるりと、見渡してみたが、阿南と我孫子は居なかった。
「ちょ、ちょっと皆?どうしたの?なんでそんな目で八夜君を見てるの?」
たまらず三浦が本人達に尋ねた。すると、俺から距離を取って生徒たちが密集していた場所から一人、モーセの様に割れた人の波から出てきた。
「やっとおでましかぁ!おまえだよお前お前!」
それは、昨日山江に激怒され逃げ帰った矢田。否、かつて矢田だったモノ――。
「矢......田。......その姿」
「ああぁー??あぁこいつそんな名前だったなぁ」
ツーブロックに剃られた今風のその頭部。そしてその頭部の付け根、つまり首元から全く別の頭が生えている。その頭に見覚えはあった。昨日俺が踏みつぶしたはずの......。
「蠅頭......」
「あはぁは!!お前さぁ!よりにもよって俺の頭を潰すなんてなぁ!因果応報ってかぁ?」
その二対の頭を器用に体で支えこちらにやって来る。
「八夜く――」
「来るな!」
こちらの傍によってきそうになっていた三人を右手を差し出し止める。
「三人は急いで生徒会の人達か先生を呼んできてくれ。その時間は稼ぐ」
頭に蔓延る不安という二文字。こいつは易々と学校のセキュリティを突破した。そして昨日の自身の詰めの甘さが招いた事態。
初めて一人で死蟲と対峙した。イケると思った。それはあまりにも短絡で浅はかだった。結果的に周りを危険に追いやっただけではないか。
あぁ弱音が零れそうだ。大事なものを一瞬にしてとりこぼしてしまったようだ。けど、今はその時じゃあない。
「分かった!すぐに呼んでくるから!」
通はそういうと山江と三浦の手を引いて教室の外へ飛び出していった。そうだ、それでいい。
「そいつらは、まだ生きてる、よな?」
頬に汗が一筋流れ落ちる。もうすぐ夏というのにその滴は骨の芯を凍らせるほどに冷たく感じた。
「お前そんな心配しているのか?当たり前だろう......全部俺のだ!こいつらは俺の豚だ!いわば家畜だ。今のところ誰も死んじゃない。俺の呪いで恐怖心を分け与えて、それを共有している。もっとも何事も許容量ってもんがあるのは分かってるよな?」
「呪い......呪いって言ったか」
「あぁ、言ったね呪いさ!神である俺が!お前ら人間ごときに呪いをかけるなぞ造作もないんだよ!」
神、呪い、こいつはそんなに大物だったのか。前に聞いていた、呼称をつけている死蟲には当てはまらないが......まだ見つけられていない死蟲だったのか?。
「お前は俺の頭を潰した......だからお前の頭を潰す。こいつら豚を調理するのはその後だ!」
ぞぶぞぶ、とヘドロから空気が湧いたような音が聞こえた。その音は矢田の背中からのものだった。
薄く、しなやかな羽が四枚ほどその背中から伸びて広がる。透明なその羽には人の頭蓋骨を模したものが浮かび上がっていた。
「こいつらが俺に抱いた恐怖心を皆無にした。そしてお前に対する恐怖心を増大させた。その結果がこれだ」
ブブブッと小刻みに羽を震わせ徐々に体を浮かせる蠅男。
「こいつは中々面白いぞ!お前に助けられたというのに強い恐怖を感じていた!そこで俺の呪いだ。確かに俺は昨日死にかけていたがこいつの恐怖心を利用させてもらった!小さな蠅に呪いをかけてこいつの身体に卵を産み込んだ!こいつのお前に対する恐怖心が大きいほどこの体は強くなる!」
「随分と喋り好きな神様だな」
話の隙に丕業を発現させて、その骨の鎧をもってして蠅男の頭だけを狙って手を薙ぐ。しかし、寸でのところで停止し、奴はこれを交わした。
「せっかく外に出られたんだ会話をしよう!」
そういうと教室の真ん中に降り立つ。すると、その周りにクラスメイトが俺から守るかのように囲む。
「おやおや、お前に対しての恐怖心が募って徒党を組んだようだな?」
なんだ、なんなんだこれは。この構図ではまるで俺が悪でこいつが正義みたいじゃないか......。
クラスメイトが必死に手を広げ蠅男を守る。その手はどうみても恐怖で震えていた。顔に玉の様な汗もかいている。
やめろよ、そんな顔をして俺を見るなよ。
「あはははぁ!お前結構【人】として信用されていないな?」
その生徒たちの隙間からいやらしい笑みを称えた顔が見え隠れする。
「黙れよ!!」
一息で奴の元まで近づき、手刀で叩こうとしたタイミングで、クラスメイトの顔が奴の頭と俺の手の線上に現れる。
「ぐっ!?」
急に現れたその顔に俺の手が掠る。その頬に僅かばかりの赤い線が生まれ、そこから血が下たる。
だめだ、クラスの連中が奴を守っているせいで近づくことが出来ない、クソ......。
生徒の群れから文字通り頭を出し此方を興味深げに眺める蠅男。矢田の顔もはっきりと見えたが意識が無い様に見える。
「食材で遊ぶのはマナー違反だが、まぁこの際目を瞑ろう。お前も小さい頃してただろう?蟲同士を遊び半分で殺し合いさせただろう?一緒だよ」
この状況で何が一番きついかと言われると、クラスの皆が操られているわけじゃない、という点。
奴の言が正しければ、こいつらはただ俺への恐怖心を増大させられているだけ。つまり、いつかはこうなっていたかもしれない可能性の一つだったという事だ。
「く、くるなよ八夜」「その見た目やっぱ人じゃなかったんだ」「なんか蟲みたいで気持ち悪い」「いつも何考えてるか分からなかったんだ」「近づかないで!!」「なんで当たり前みたいにこの教室にいんだよ」「誰か殺して!」「嫌!」「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「お願い死んで」
「そうだ、死んでくれ!」
「頼む!死んでくれないか!」
――人を殺すのに、刃物だとかこん棒とかは要らないらしい。
ただ、そう口にすれば容易く殺せるのだと、乾いた枝が折れた音を立て、心が、そう感じた。
身体が重かった、必死に解決策を見出そうとしていた頭が軽くなった。腕が上がらなかった、頑丈に守られているこの両足が空洞になった。
「あぁ?お前諦めんのか?蟲以下だなお前。蟲だったら絶対にあきらめないぞ?殺すか殺されるかしないと止まらない」
先ほどの興味深げにこちらを見ていた目が落胆したように色を消した。顔の半分ほどある目がじっとこちらを見ていた。
「お前なんか喋れよ?言ったよな話をしようって」
蟲の感情なんて、分からないけど。
「心は、鎧で覆えない」
「あ?」
「心のどこかで、きっとクラスの皆も阿南や通達みたいにいつかきっと......って思っていたんだ。今はまだ遠いけれどいつかきっと......って。けど、そんな都合のいいことにはならないみたいだ。日に日に人から離れているのを感じていた」
クラスメイト一人ひとりに対して顔を向ける。本当に恐ろしい。山江や三浦とは違う。他人に対して素顔を向けるというのは刃物を向けると同義だ。
「けど......けどだ!こいつらにどれだけ心を殺されようと、恐れられようと、俺は誓ったんだ。俺は俺の周りを、日常を守るって!覚悟したんだ!だから俺は背かない!向き合うと決めた!」
「あぁー?なんだよ熱血か?お前がどれだけ覚悟きめようと知ったことかよ。死ねよ」
自身の手で屠ることを優先したのか、人垣の奥から優雅に歩を進めてくる。
しっかりと、奴の一挙手一投足を見極める。奴が奴自身の手で俺を殺したがっているのは分かっていた。だからそのタイミングで差し違える。
あと、五歩。四歩、三歩......二歩......一歩、今!
俺は全身の鎧に鋭利な刃をいくつか作りそして、迫る奴の喉元を抑えた。
「グゥ、ッガ!!!」
のど元を抑え込まれ苦し気に息を吐く蠅頭。矢田の手は刃にまみれた俺の手を必死に抑えようとして逆に切り刻まれている。
「クソ!クソクソが!離しやがれ!」
「離さない!絶対だ!」
念の為、奴の手に刺さっている刃先からまた、複数に枝分かれさせた刃を生み出し、内部からズタズタに引き裂いてゆく。これで奴と俺はもう離れない。この隙間に、他の生徒が入ってくることはない。
「ががああッッッ!!こいつがどうなっても良いのかよ!この体は俺の身体じゃねえぞ!」
「それで、俺が緩めるとでも?」
これは、ハッタリだ。俺だってクラスメイトを殺したくはない。けれどこいつをこのまま野放しにはできない。俺は奴の死と、クラスメイトの命、両方を手にかけている。
矢田にこれ以上嫌われてもかまわない。どれだけクラスメイトから恐れられてもかまわない。こいつはここで殺す。
ギシギシと、互いの身体が揺らぎあう。揺れるたびに、鮮血が滴り辺りを赤く染める。蠅頭は怒り狂ったように目をぎょろつかせ、息はおぼつかない。
「はぁ、はぁ、さっさと死ねよ」
握りしめる力を更に込める。けれど奴は一向にその命を終える気配が見えない。
膠着が続いた。けれど、失った血が多いからか、矢田の顔からみるみる生気が抜けていくように見えた。不味い、このままでは......。
「八夜ちゃん、よく守ったわね」
その台詞を耳に入れたと同時に、蠅頭、もとい矢田の歪な身体が吹き飛んだ。
俺の丕業で縫い止められていた部分ごとブチブチと肉をちぎる音を立てながら、その身体は、教室の机と共に黒板にのめり込んだ。
「さて、ワタシのかわいい生徒たちにオイタする蟲けら。覚悟はできてるわね?」
薄い桃色の毛を二つに丸めたこの世に二つとない髪型、清潔感を通り越して、毒をも思わせる白衣に身を包んだ、保健室の先生。
「なぎさ、ちゃん......!」
「生徒たちがこんなに頑張っているのに、到着が遅れてごめんなさいね。その分の仕事はするわよ!」
今、一番来てほしかった存在が、目の前に。さながら遅れてやって来る英雄の様に。
「さぁ来なさいな」
自身が吹き飛ばした蠅頭に向かって自信をもってそう言い放つ。
がらがらと、破片や机を押しのけて奴が再び姿を現した。
「化け物がッ......!」
「レディーに向かって失礼ね。さぁ、本気で来なさい。さもないと潰えるわよ悪食」




