第三十四話 業と呪 二
「始まりは、死蟲だったんだ。君も少しは知っているかもしれないが夜辺亡という男が現れてからこの世はおかしくなってしまった」
周りには誰もいない。校庭から聞こえてくる野球部の掛け声や、生徒たちの喧騒に飲まれそうなほどささやかな声。
「人の世に蔓延り始めた死蟲は、本能のままに人を襲った。今みたいに隠れる必要が無いからね。餌もそこら中にいる。
為す術もなく人はただただ死蟲に蹂躙されていった。勿論中には抵抗を見せる人間もいた事だろう。けれどそんなもの無意味だ。
君だってそう思うだろう?人よりも大きい、人を屠る者。ただその身を振るうだけで人なんてあっけなくバラバラになるんだ」
淡々とそう口にする我孫子。
「そもそも本能なんてあるのか定かではないけれどね。けど、人はただ殺されるだけだった。子も女も老人も分け隔てなく平等に。
弱肉強食の世界では何もおかしい話ではないだろう。人というものはそのヒエラルキーにおいてずっと頂点だった。
死蟲は人以外に見向きもしない。人と死蟲。この二つだけが世界の生態系から外れたんだ。死蟲が上で人が下。そうなってしまった」
「けど、人は絶滅していない」
「そうだね、絶滅していない。他の生物ならこの地球上から消し去ってしまったかも知れないが人はそうならなかった。何故だと思う?」
「そりゃあ......丕業に目覚めた人間がいたからじゃないのか?」
そう答えると、我孫子は柔らかく微笑んだ。まるでその答えを予想していたかのように。
「少し順序が違うかな。人にはね、願うことが出来る。私も動物博士じゃないからもしかしたら動物の中には祈りをささげるものもいるのかもしれないがこの際は置いておこう。
人はただただ願ったんだ。この厄災を退けたい、と」
「願った、だけ......なのか」
「何年も何年も願い続けたんだ。晴天の下で殺されても願い、子がその首をもがれようと願い、愛する人が変わり果てた姿になっても願い、願い続けた。
何代も何代も子孫に託し、願い続けた。いつかこの厄災が払われるように、と」
日が傾き、窓から指す明りが、我孫子の足元を柔く照らす。その顔は陰り表情が読めない。
「そしていつしかその祈りは、純粋な、切実なものから憎悪の祈りに変わった。恨みや嫉妬、どうして私だけが、俺だけが、と。
いつからそうなっていたかなんて、当事者にしかわからない事だけどね。
どうして私の家族だけが、どうして自分だけが。それをエゴとは言えないよ私には」
「そう、だな......俺もそう思う」
突然の不幸に対して負の感情を抱いたとしても誰がそれを間違っていると言えるのか。
何で自分だけが、そういった感情は随分と馴染みがあった。
「遂に人は祈るのではなく、その厄災を自身たちの手で払うと決めた。人の命を代償に」
「命を、代償に......!?」
「良くある話じゃないか。人を生贄にささげ、魔を払う。その魔が死蟲だっただけさ」
平然とした口調で我孫子は続ける。
「最も、その命を捧げる人間がどういう風に選ばれたかなんて分かり切ってる。そうして、生態系の下に落とされた人間は自身の同族を何人も何人も贄とした」
「すると、ある世代からおかしな現象が起き始めた」
落とした顔をゆっくりとあげると、我孫子と目が合った。その表情は何も感じていないような、冷めた顔。
いや、そういう風に演じているのかもしれない。
「赤ん坊が大の大人を投げ飛ばす程の怪力を有して生まれたり、腕が複数生えていたりと。その変化を吉ととらえた人はより多くの命を燃やして次の世代に託し続けた。
そんな人間が子をなしてゆくうちに......」
「丕業が生まれた......か」
「そうだよ」
またもその顔に笑みを浮かべ嬉しそうにしている。
「私たちの一族はその生贄を多数出し続けた。元々弱い立場の人間だったんだ。けれど死蟲に抗う術を会得してからは立場が変わった。
そして、私たちはその犠牲を忘れていない」
「だから丕業ではなく呪い、と?」
「うん。こんなもの呪いじゃないか。きっと、その贄にされた人たちが血に呪いをかけたんだ。いつしか子孫に託すのは穢れない祈りではなく憎悪の呪いに。それを忘れないように」
「じゃあ、丕業を発現させている人間はその生贄にされた人たちの子孫ということになるのか?」
「あぁ。そしてその力は呪われたものだよ。きっと丕業を持った人間は凄惨な人生を歩む。いや、もしかしたらもう体験しているのかもしれないね」
ふと、阿南の話を思い出した。
「すまない、もう少し手短にするはずだったんだけどね。少し喋りすぎてしまっていたようだ」
気が付くと、十八時を回っていた。部活動をしている生徒はまだ居残っているだろうが、用もない生徒は学校にいる時間ではなかった。
それで、と口を開いた。口の中が妙な渇きを覚えていた。
「なんでそのことを俺に話したんだ?」
目を大きく見開き、口を閉ざす我孫子。しかしその閉ざされた時間はわずかでしかなかった。
「なんで、だろうね......君には話しておくべきだと思ったんだ。いや、知って欲しかったというべきかな?」
「そうか......」
「......うん、そうだよ」
「......俺、これから姉の見舞いがあるから、そろそろ行くよ」
「あぁ、引き留めてすまないね」
踵を返し、階段を下りようとした時我孫子に伝え忘れていたことを思い出し立ち止まる。
「あー......」
「どうしたんだい?」
「......また、明日な」
振り向かずそういうと、駆け足気味に階段を下りた。なんとなく振り向くのが気恥ずかしかったのだ。
――君は優しいね。
そんな声が階段に響いた気がした。その声は何かを取っ払ったような剥き出しの感情の様で。




