第三十三話 業と呪 一
尸高校の屋上は基本的には生徒たちに開放されていない。特別な授業や緊急時にしか立ち入りは許されてはいなかった。けれど、この初夏を存分に感じる陽の下で、二人の生徒が立ち入り禁止の屋上へ既に足を踏み入れていた。
「阿南対馬君。噂はよく聞いているよ」
屋上へ足を踏み入れた二人のうちの一人が凛とした声でそう発した。
長く綺麗な髪を一つにまとめ上げ、涼やかな目元はこの照り付けた陽の暑さを幾分か和らげている様であった。
転落防止の金網に上半身を預け、腕を組むその佇まいはさながら映画のワンシーンを撮影しているかのように決まっていた。
惜しむらくはその衣服。上半身は濃紺のブレザーでこれもまたその人物に調和していたが、その下。下半身が奇妙な格好をしている。
通常女生徒の制服はスカートが基本である。中にはそうでない者もいるであろう。しかし彼女は女生徒用のブレザーに男子生徒用のスラックスを着用していた。違和感の正体は、それ。
しかし、彼女の美貌とスタイルがその独特なファッションを強引にもまとめ上げていた。
「そりゃぁどーも。まぁちっとも嬉しくはないけど」
その彼女が君、と指したもう一人屋上に踏み入れた人影がやや棘のある声で返す。
男子の中でも大柄なその体躯はスポーツマンやアスリートのそれに近いが普段は柔和な人柄と顔で周りからは親しまれていた。けれどそんな彼の顔が今は一段と険しくなっていた。
「千草にちょっかいかけたんだってな?」
「ほんの腕試し、さ。もっとも軽くあしらわれてしまったけどね」
落胆を表現するように肩を大げさに落とす。
「だろうな」
わかり切っていたようにその問いにかぶせる様に返す男。
「それで、君はこの問答をするためだけに私をここへ呼んだのかな?初日からサボりなんてあまりしたくはないんだが......」
「まさか。お前ら躯高校の目的を聞きに来たんだよ。六道のじじいに言われたからと言って、のこのこ京都から出てくるなんてありえないからな」
「こらこら、君たちの校長をじじい呼ばわりするもんじゃあないよ。お年寄りは敬わなくっちゃ」
「それはできないな」
ぎりっと歯を立てる音が屋上に鳴る。男はその内の感情を隠そうともせずに尚も話を続ける。
「アンタらが欲しがってるのは千草、と言うよりその本質だろ?違うか」
「本質、とは?」
「後天的な丕業。おそらく今見つかっている丕業のなかで、千草だけが先天的ではなく外部によってもたらされた特異例だ。......あぁお前らは呪いというんだったな。その仕組みを調べたいんだろう。そしてあわよくばそれを京都に持ち帰りたい」
まるで全て確信していることだとでも言うように問う。
暫しの沈黙の後、女生徒はゆっくりと口を開く。
「......そう、だね。その通りだよ。私たち【参華咒】に与えられたことは二つ。尸高校の八夜千草の調査。そしてその周りに障害が無いか」
「何であんたらが千草の丕業の事を知っているのか分かった......あのじじいが喋ったんだな」
「その通りだよ。六道校長が依然京都に訪れた時にね。参華咒の当主に打ち明けたそうだ。私は末端も良い所だからね、こうしてこの尸高校に先兵のように飛ばされたわけだ」
女生徒はやや自嘲気味にため息を漏らし目線を足元へ落とす。
「そこまでは分かった。けれど一つ腑に落ちない事がある。あの飛鳥井郡という女。あいつはお前と違うはずだ」
「それはそうさ。私は我孫子八尾という人間であり、彼女は飛鳥井郡という人間。違うのは当り前さ」
その問いに苛立ちをますます募らせる男がついには声を荒げる。
「違う!そういうことをききたいんじゃない!あいつは参華咒の次期当主のはずだ!なんであいつまでここにきている!」
怒る様に詰め寄る男とは相反対に尚も冷静な姿勢を崩さない女生徒は淡々とした口調でその返答を告ぐ。
「違わないさ。私と彼女は違う。ただそれだけさ」
その言葉に少し面食らったのか男は口を噤み目を見張る。
数秒、無音が屋上にのさばる。無機質なコンクリートの箱の上で。
けれど、とその無音を破ったのは一度もその冷静さを失っていない女生徒であった。
「そんな事できればしたくはないよ。これは本心からだ。今日出会ったばかりだけれど、彼はとても優しいね」
何かを思い出しながらふと、顔を上に向ける。柔らかい風が彼女の髪を少しだけ持ち上げる。
「......あぁ」
「私はどうすればいいんだろうか、この短期間でわからなくなってきたよ。何年も何年も面倒を見てもらっている家の言うことは絶対で、確かに私の大部分を占める。けれど、その家で育った私という人間がその命令を反故したいとも思っている。人の命というものは、面と向かってしまえばその大きさに誰もが戸惑うものなんだね」
「......」
「もう少し話してみたいと思った。刃物を向けた私の話を聞いてくれた彼と」
「命令に背くってこと、か?」
「それはまだわからない。けれど君がいるというのは大きな障害だよ」
「あぁ、お前らが強引に連れ去ろうとしても俺が阻む。いや、きっと俺だけじゃあない。何人も心当たりはある。千草自身はきっとそうは思わないだろうけどな」
「そうだね、彼は少し自虐的になるきらいがある様だ。見てわかるよ」
少し困ったような表情を顔に作りながらそういうと、金網に預けていた上半身を起こし、我孫子八尾は屋上を後にする。
屋上に佇む影が一つ減る。残されたもう一つの影、阿南対馬は大きな体を屋上の地に寝転ばせ、全身に陽を当てる。
「はぁ......」
その物憂げなため息は誰に聞かれるでもなく、いつまでも沈黙を守る空に吸い込まれていった。
* *
六限目の終了を告げるチャイムが鳴り、教師に礼を言うと、皆自身の机から立つ。
部活動に所属しているものはその準備に勤しみ、バイトに明け暮れている生徒は早々に鞄に教科書をしまうと教室を出て行った。
俺はというと、未だ帰ってこない阿南の姿を探していた。また、それは俺だけではなく、普段阿南とつるんでいる数人のクラスメートも阿南の行方を捜している様だった。
「八夜君、阿南君がどこか知らない?」
「いや、それが俺にも心当たりは......」
そう俺に訪ねてきたのは三浦 錦であった。
彼女は阿南と同じくクラス委員であり、またあぶれ者でもある俺に何の躊躇いもなく話しかけてきたようにその人柄や面倒見の良さでクラスの皆から慕われている。
彼女と阿南は互いにクラスカーストトップであり、またその仁徳や性格の良さもあって尸高校の理想カップルだなんて噂もよく耳にするがその真相は定かではない。
「うーん、そっかぁ。八夜君でも知らないとなると......本当にどこにいったんだろう?」
阿南の周囲には常に人が群がっている。彼女もその一人だ。けれど阿南が俺に話しかけるとまるで潮が引くように誰も彼もが阿南の傍を離れる。
けれど彼女だけは違った。他の生徒となんら変わりない態度で俺に接してくれるのだ。別に深い話をするわけでもないのだが。
「......あの、見つかったら三浦が探していた事、伝えるよ」
「本当に!ありがとー!そんなに重要なことじゃないんだけどね、凄く助かります!」
胸元でぎゅうっと手を握りしめる三浦。
朗らかに微笑む彼女をみて、腰を上げ教室から出る。
「本当にどこに行ったんだよ......」
三浦の手前ああは行ったものの特に当てがあるわけでもなかった。他校と比べても平均的な大きさである尸高校といえど、その中から任意の人間を探すとなると存外に時間がかかる。いつも一緒に行動している仲ならまだしも、まだ三浦の方が当てがあるのではないかと思ってしまう程だ。
ただただ学校内を見て回っていると一人の顔見知りと出くわす。
「観月先輩?」
「ん?八夜一年か。どうした」
真っ黒な短髪を七三に綺麗に分け、真っ黒なゴーグルをつけたいつもと変わらない姿で観月先輩が紙の資料を片手にこちらにやってきた。相変わらず制服の上から大量の腕時計をしている。
「いえ、阿南を探しているんですけど......先輩は何を?」
「あぁ、会長と副会長が資料作成が嫌だ、とエスケープしてな。代わりに私がその処理に当たっていたところだ」
まぁ、確かにあの会長と副会長はそういった事が得意そうではないな......。
「残念ながら、阿南一年とは出くわしていないな。すまない」
「いえ、先輩が謝るようなことじゃ」
律儀に頭を下げる観月先輩。
この人がいなかったらきっと生徒会は崩壊していた事だろう......まだ全員を知っているわけではないが。
「そういえば、二人に紹介しようと思っていた他の生徒会メンバーなんだがな」
まるでこちらの心中を見据えたかのように口を開く。
「残念ながらもう少し先になりそうだ」
「えっと、確か死蟲の討伐に出てるんですよね?」
「あぁ、六本腕が現れたことで伊織先生がその任から外されたおかげで少々難航しているようだ。暫く帰ってきていない」
「学業はどうしているんですか?」
「死蟲の討伐における活動はなるべく学校側が融通を効かせてくれる。最もその分休みに登校することもあるがな。八夜一年にもそのうちそういった任が与えられるはずだ」
「そうなんですね......」
鬼と遭遇した経験が確かにその難しさを物語っている。あんなもの簡単にどうこうとできるわけがない。
文字通り命がけというわけだ。
「すまない、私はこれから資料の作成があるのでこれで失礼する」
「こちらこそ、引き留めてすみません」
「気にするな」
ぴくりとも顔を動かさずそういうと観月先輩は生徒会室へ向かっていった。
「どうしたー千草ー?」
観月先輩の背中を見送っていると、階段を下りてきた阿南が姿を見せた。
「おまえ、どこ行ってたんだよ」
「んートイレ?」
「なんで疑問なんだよ」
悪びれもせずいつも通りにニコニコとしている阿南であったが、その顔に少しばかり隠しきれない影があった。
「三浦が探していたぞ」
「三浦が?んーあぁ、委員会の事かな。サンキュー千草!ちょっと教室に行ってくる!」
そういうと早歩きで階段を駆け下り阿南は教室の方へ向かっていった。
廊下に取り残された俺はというと放課後の予定について思案していた。
「丕業の特訓......と言っても、なぁ。どこですればいいのやら。周防先輩にお願いして......いや、あのひと今会長とエスケープしてるんだったな」
独り言をつぶやいていると、微かに花の香りが漂ってくる。
「おやおや、また私との約束を忘れてしまったのかな?」
気が付くと我孫子が目の前に立っていた。下を向いて考えていたから気が付かなかった。
「いや、お前いなかったじゃねーか教室に」
「あまり野暮なことを聞くもんじゃないよ」
「へーへー。で、話ってなんだよ」
そうだね、と少し愁いを帯びた表情で話始める我孫子。
「君は、丕業の事をどこまで知っているんだい?いや、そもそも丕業とは何だと思う?」
こちらの目をじっと見据えてそう問いかける。
確かに、丕業というものを俺自身よく分かってはいない。
気がついたら死蟲に襲われていて、気がついたら俺自身に丕業があると伝えられ、気がついたら丕業を発現させていた。
「死蟲から守る術......じゃないのか?」
「確かにそれも一つだよ。けれどね、そもそもなんで丕業というものが人に備わっているのか。千草、君は知らないだろう?」
「お前は知ってるのか?」
「なぜ私たち躯高校の人間は丕業ではなく、呪いと呼んでいるのか。教えてあげるよ」
我孫子八尾という少女は少し苦し気に、目を瞑り、口を開いた。




