第二十九話 訪れ
「千草、ちゃんとお弁当はもったかい?」
二人で住むには少し大きすぎる家に、婆ちゃんの声が響く。
この家は現在俺と婆ちゃん二人だけしかいない。初めは心細かったこのがらんどうな家が今では愛着を持つまでになった。何かと口うるさい婆ちゃんではあるが、それも俺のためを思っての事だということは分かっているから、素直に感謝せねばなるまい。
「あぁ、ちゃんと持ってるよ。行ってきます」
毎日の繰り返し。そのスタート地点は婆ちゃんにかける挨拶だ。
「千草!」
「ん?なに婆ちゃん」
「あんた、学校は楽しいかい?」
「......少しだけ、楽しいよ」
「そうかい。いってらっしゃい」
婆ちゃんの孫に対する気遣いも、孫が祖母にかける心配も、日常的だ。
そう遠くない尸高校までの道のりを、お気に入りのバンドの新譜をリピートしながら歩く。
安物のイヤホンで鳴り響く、流行とは遠い所で叫んでいるロックバンドのボーカルは、いつも自由を求めていた。
――この新曲、歌詞がいいな。
好きになった本も、曲もてんでバラバラだったりするが、一つだけ共通点がある。それは登場人物がハッピーエンドを向かえない、という点。
別にバッドエンドが好きなわけじゃない。報われない話が好きなわけじゃない。
ただ好きになった曲や小説がたまたまそうなのである。けれど何も悲観することはない。この曲も、あの曲もそこで終わりなのだ。例えこれから先もっともっと酷い結末があったのだとしても、そこで終わっている。最悪は更新されない。
その先に何があるのかを考えるのが好きなんだろうか。だとしたら俺は随分と性根が腐っているらしい。
そんな何かの足しにもならない回答へ帰結した時、既に学校の校門が眼前に立ちはだかっていた。これも日常的だ。
けれど、ここから今日はいつもと少し違う。前々から話に上がっていた京都の姉妹校が交流会の為にこの尸高校へやってくる日なのだ。周りの人たちによるとどうも仲が良いとは言えず、何か問題でも起こるかもしれないとのことだったが、俺にはあまり関係のないことのように思えた。
「流石に会長副会長ぐらいだろ、交流会のメンバーなんて......」
「んー?せやろかぁ?うちは君の事気になってるんやけど」
「あぁ?何でだよ」
「だって、そない鼠色な髪と目があったら嫌でも目に付くと思うんやけどなぁ。あと何故か死蟲の匂いも微かにするし」
「そんな匂いなんてわかるのかよ......っては?」
「あ、ようやっとこっちに気ぃついてくれた!よかったわぁずっと無視されてるんかと思ったんやから」
不意に口に出た言葉に反応されて気が付かなかったが、全くもって見知らぬ人物と会話を繰り広げてしまっていた。
「ようみたら、顔もまぁまぁ整ってるやんか」
「だれだよ、あんた......!」
「あら?そういえば自己紹介がまだやったわ。堪忍な?【飛鳥井 郡】飛ぶ鳥に井戸の井、こおりは区画の郡。躯高校二年で今日交流会に呼ばれたから来たんやけど......こんなもん?自己紹介は」
飛鳥井 郡という少女。
血を想起させる赤黒い艶のある髪は色白の肌と合いまり、妖艶さを醸し出している。ひとつ上とは思えない豊満な身体は異性の注目をこれでもかとひきつけるだろう。俺の横から移動して真正面に立ち自己紹介を始める。少し小柄な体格も相まってこちらを妖しく見上げる仕草は不覚にも見とれてしまった。
「そうですか。で、京都の先輩が俺に何の用ですか」
「嫌やわーだから言うてるやんか。君の事気になってるって。ほら、うちも自己紹介してんやから君も自己紹介してや」
「尸高校一年、生徒会八夜千草です」
簡素に述べた紹介に対してその綺麗な目を見開き反応を示す。
「へぇ、千草君っていうんや。覚えとくね。それに生徒会ってことはまたこれから会うことも多なりそうやね?」
しまった、生徒会は余計だったか。
自分の失敗に打ちひしがれていると飛鳥井先輩は目の前からすうっと近づき、俺の肩に顎を乗せる。
身長差と俺の猫背で向かい合うと丁度彼女の口が俺の耳元にあたる。傍から見ると抱き合っているように見えるだろう。
「これから暫くここにおるから。ようさん楽しいもん見せてな」
かろうじて聞き取れるぐらいの音量でそう口にすると俺の耳を生々しい湿度の在る何かが撫ぜる。
その感触が無くなると同時に飛鳥井先輩は離れ、真っ赤な舌を見せつけながらその場から立ち去り、尸高校へ走ってゆく。
まるで台風が過ぎ去ったかの様に沢山の爪痕を残していった飛鳥井先輩。俺の登校時間が他の生徒よりも早くて良かったと心からそう思った。
様々な出来事が重なり脳内は慌ただしく回転しているが、これだけは分かった。
「ただの変態じゃねーか飛鳥井郡」




