第二十七話 代償
胸中はまたか、という思いで溢れかえっていた。
この声はいつもそうだ。死の直前まで虚無であったはずなのに、ここぞという時にまるで劇の主役のように、英雄かのように手を、いや、声を差し伸べる。
「またか、あんたはいつもいつも。俺が死ぬ直前にならないと声をかけない主義なのか?」
口をついて出る皮肉が、小さな棘を帯びる。
「ふむ、不完全ながらどう抗うか。その様をこの目に焼き付けたいのだがな。死んでしまっては意味はない。死とは無だ。意味の在る死などない。それは残されたものの願望であろう」
声の主が、意としてそう発したかどうかは定かではないが、俺の胸の底を容易くえぐる。
「今はそんな事はどうでもいいんだよ。まだ完全な丕業は発現出来ちゃいない。あんたが力を貸してくれるのか?」
「力を貸す?ハハハッ」
「......なんだよ、結局冷やかしか?」
「いや、失敬。貴様があまりにも荒唐無稽な質問をするものでな」
こいつの発言はいちいち回りくどい。どうにも要領を得ない。
「この力は既に貴様に貸し付けている。他でもない、この私直々にな」
「やっぱこの力はあんたの物だったか」
「ほう、貴様には記憶が無いものだと思っていたがそうではないのか?」
「こんな力をあんたからもらった記憶はない。けど、そう何度も出てこられたら嫌でもこの力とあんたが関係してるのは分かる。それで、今の俺が全力で丕業を発現できたとして。あいつに、あの鬼に勝てるのか?」
俺の問いに、彼の声は静寂で返答する。
「やっぱダメか。なら俺はこのまま死んでもいい。けれど阿南と先生だけでもどうにかできないか?」
死ぬのは怖い。それは人生に一度しか経験することが無く、経験したものは須らくその感想を残せないから。痛いのか、その痛みは続くのか。あるいは快楽なのか。
「......あの鬼は平四郎蟲と言ってな。昔、人に殺された怨恨で死蟲に変性したものだ。それこそおとぎ話の類、生きる暴風。出会ったのは運が無かった。寧ろ貴様はよくその身体をこの時まで持たせたものだ。素直に感嘆する」
「まぁもうすぐ死ぬけどな」
自虐的な乾いた笑いが出る。
何故か今は時が止まったかのように奴が襲ってこない。そもそも奴の姿も阿南も先生も居ない。それどころか先ほどいた場所ですらない。
おそらく、精神や内面、そういったものなのだろう。つまりこいつは最初から俺の中で悠々自適にこの敗戦を観戦していたわけである。
「何も、奴を屠るだけが生き残る術ではあるまい。奴は元人間だ。ならばこそ凡俗な死蟲とは違い思考する。奴に思い知らせばいい、死の体感を」
「出来るのか、俺に?」
「貴様に力を貸し与えているのはこの私だ。奴を確殺するには少々骨を折るが、不可能ではない。だがこれ以上貴様がこの力を身に委ねるとなると、今までの比ではないほどの変質が起きるぞ。引き返すのは難しくなる。それでもか?」
彼の声を聞いている途中から既に返答は決まっていた。
この身が周りの人に、醜悪に映っているのは分かっている。それが今更酷くなったところで、変わりはしない。あるものを無くすのとは違う。元から無いものを更に失ったとて、大したことじゃない。そうだろう阿南。
今あるものを無くす方が余程恐ろしい。
「あぁ、それでもだ。だから寄越せよ、その丕業」
「了承した。良いだろう、貴様の願いと引き換えに安寧を差し出すというのならば!私はまた傍観しよう!この演劇に喝采を!」
ただ一人の拍手が虚空に響く。しかし張本人は、どこまでも愉快に、心の底からこの選択を肯定しているようで――
* *
赤い死が伸びきる直前に、俺の鎧は枝葉のように別れ、絡めとる。
「ぬ?貴様......それは」
絡めとられた腕を引き放そうとするが、鋭く食い込む鎧の一部はぴくりともしない。この引き合いに負けじと、足先から地中に向け、さらに鎧を細分化し食い込ませる。
「先ほどとはまるで様相が違う。まだ力を隠していたのか」
「悪いな、いろいろと賭けたもんで、これ以上は失えそうにない」
精一杯強がって見せたものの、あまりの膂力に体が悲鳴を上げる。
丕業が、完全に発現している。いや、今までで一番かも知れない。
身を覆う骨の鎧は以前よりも大きく頑丈になり、俺の意思に合わせて多少融通が利くようになっている。
それでも俺自身の力が足りず、数歩根負けしている状態だ。
あと少し。数手あれば奴に有効打を与えることが出来そうだが、今この抑えている状態を保つのに全身はその機能を十全に果たしている。
――だれか、あと少し。
「八夜!そのまま少し抑えてろ!」
背後から声がかかる。
力強く頼もしく感じるその声の主は、手に持つ鉄槌を振るい奴の顔面に切っ先を叩きつける。
「ぐぅがぁ!!!」
あの鬼に比べればひどく小さく思える鉄槌が鬼の右頬を抉る。鈍い音と共に鬼の体躯はよろめき、力が緩む。
「この程度がなんだ!」
そのまま倒れ伏すかと思いきや、奴は気合でその場に踏みとどまり尚もこちらを引き抜こうと力を籠める。
くそ、これでもか。もう手は......。
「ありがとう先生、千草。おかげで目が覚めたよ」
涼しげな声で奴の頭頂部に乗り移るのは、先ほど奴に一撃の元やられた阿南であった。
「阿南!おまえ!」
「すまん、すこし気を失っていた。けどもう大丈夫。寝てた分の働きをしよう」
笑顔を携えながらそういうと右手を大きく振りかぶる。よく見ると、左手は普段の状態に戻っている。どうするつもりだ。
「赫檄」
それは煌々と輝く一つの夜明けであった。物陰から太陽が覗く瞬間のような、暗闇を刺す一筋の陽。
阿南が振るった右手は鬼の身体を通り地に橙の矢を落とす。地に対して垂直に突き刺さる夜明け。熱は置き去りに、ただただ光が一条刺すだけであった。
「がががががががあああああああ!!!!」
これまでどこか厳かな雰囲気を持っていた鬼の口からとは到底思えぬ絶叫。真っ二つになったわけではない。肉体的にダメージを負っている様にも思えないが、確かに奴に効いている様である。
崩れ堕ちる鬼からひらりと飛び降りこちらによる阿南。
「何とか、皆無事......だよな?」
「お前こそ。地面に刺さってたぞ」
「それはほら、俺鍛えてるからね」
「......俺も鍛えるか」
などという軽口を掛け合っていると、先生がこちらにやってくる。
「はぁ、お前らの前でなさけねーとこ見せたな。悪かった」
「そんな、先生は連戦で無理してたじゃないっすか」
「うるせーうるせー」
ばつの悪そうに顔を背け煙草に火をつける先生。
先ほど命の削りあいをしていたとは思えない程安堵していた。
「それで、鬼はもう死んだんでしょうか?」
突然真面目な顔をして、そう問う阿南。
「いや、それはないな。気を失っているだけの様だ。こいつはそれぐらいのタフさを持ってる。幸いこの近辺に人は居ねぇし、六本腕を回収してさっさとずらかるぞ」
先生の言葉にはい、と言おうとした瞬間、突然丕業が溶けた。
俺自身の身を守り、あいつと言葉を交わし、鬼の攻撃にも耐えきった丕業が、さらさらと雪解け水のように、流れ落ちた。
「......え?」
パシャリ、と地面に溶けた鎧がぶつかり音を立てる。
そして、俺の鼓膜が揺れる。
「第二幕、まさか脚本から逸脱するとはな。いやそれもまた一興だ」
揺れる鼓膜が、拾った音を文字に変換する。けど、何一つ理解出来なかった。いや、したくなかった。
したくないという強い拒否が、全身を舐める。
錆び付いたブリキのように、ぎりぎりと首をゆっくりと捻る。
眼前には、灰色の髪を長く伸ばした痩せぎすの美丈夫が、骨ばった顔を引くつかせ、そこに居た。




