第二十六話 頭蓋に強く響く
「いつの世も、人というものは助け合う。故に醜い。それが人の人たる所以だ」
おとぎ話に出てくるような鬼が今まさに目の前にいた。人とは何かを語るその言葉は、妙な重みを含んでいた。
――これが、死蟲?
今まで見た来たものが矮小に見えるほどの巨躯。
大きさだけじゃない。その存在感、在り方というものが神話から飛び出してきたと言われても不思議ではなかった。
「先生、あれは」
「あいつは鬼。六本腕同様、いやそれ以上に危険な死蟲だ。まさかこんなところで出くわすとはな」
いつも飄々として余裕を含ませている先生が、いつになく気を張り巡らせている。
それほど危険な相手なのか。
途端に恐怖が全身を支配する。未だに俺の丕業は完全ではない。この不完全な状態であんな奴の攻撃をそう何度も防げるのか。
「良いか、無理は考えるな。攻撃もあまり考えなくてもいい。奴の攻撃を躱すことだけを考えろ、いいな?」
「はい」
「うす!」
それを皮切りに鬼に駆け寄る先生。弾かれた鉄槌は既に拾い上げているから丕業は使えるはず。
「うらっ!」
鉄槌を振り下ろし、鬼の脚を狙い打つ。鈍い音が響き、確実に当たったことを辺りの人間に示す。
だが、当たっているというのにぴくりとも痛がる素振りを見せない鬼。
「無駄だといったはずだが」
身に止まるコバエを払うかのように足を払う。僅かそれだけの動きだというのにとてつもない衝撃が生まれる。
「ぐぁ!!」
軽々と吹き飛び、また元の位置に戻ってきた先生は、既に満身創痍と言ってもいいほどだった。
「人は酷く脆い。故に悪性だ」
「随分と人に恨みを持ってるんだな?」
先生が血反吐を吐きながら軽口を衝く。
「そうとも。我は人を恨んでいる。生半可な気持ちではない。貴様らはどうだ?我らを心の底から、それこそ全てを失ってそれでもなお、恨んでいるか?そうではないだろう。我は恨みつらみ嫉妬憎悪その全てを貴様らに向ける。耐えきれるか?」
「問答は嫌いなんだよ」
先生が阿南にアイコンタクトを送る。察知した阿南が背面の死角から殴打を浴びせる。
「うっら!!」
だが、またしても当たっているのにピクリともしない。
「ええい小賢しい!」
大きく全身を広げ、纏わりつく阿南を払う。
「......どうも、おかしい」
「何がです?」
「初めて奴から攻撃を受けた時、奴自身から直接攻撃を受けたわけじゃない。突然脇腹から衝撃が生まれたんだ」
「そんな力もあるんですね......いや、でも俺たちが来てからその力を使ってない、ですよね?」
「そう、それなんだ。そんな遠距離からの攻撃方法があるなら、さっさとそれで決めちまえばいいものなんだがな......」
「ということは、それが出来ない。あるいはその条件を満たしていないということじゃ......」
「かも知れんが、まだわからんな......来るぞ!」
先生の合図を受けてその場から退避する。間一髪のところで躱したものの、そのすさまじい衝撃は回避してなお、この体に衝撃を与える。骨の芯を揺さぶる痛みに顔を顰める。
「先生!千草!」
「こっちは無事だ!お前も気を付けろ!」
こちらに気を取られた隙をつかれ、今度は阿南が狙われる。
「鬱陶しい。一人ずつ確殺だ」
大きな手を伸ばし、阿南の脚を捕らえる。中空にぶら下げられ、鬼の目の前に吊るされる。
まさに巨木と小枝。質量というものがまるで違う。ミシミシと嫌な音をたてはじめる。
「ぐぅ......ぅがっ!」
「このまま首を抜き、血と臓物を全て絞り出してやる」
「阿南!」
このままでは本当に殺されてしまうという焦りを抱き、急いでその場に駆け寄る。
「あぁ!!」
右手を振るい、奴の脚を薙ぐ。灰色が瞬き、両断する勢いでぶつかる。が、あのダンゴ虫の死蟲を軽く屠ったこの力は、まるで意味をなさずただただ奴と触れ合うばかり。
くそ、どうなっている。いくら奴の力が強いといってもあまりにも不自然だ。そもそも、当たってはいるが、なにかこの感触に違和感を覚える。
右手が触れ続けている状態で膠着してしまう。けれどここを引けば阿南が握りつぶされてしまう。
どうすれば......どうすればいい!
「赫至赫灼!」
頭上に疑似的な陽が昇る。阿南の丕業。
言葉と共に、阿南の両手はより赫く赫く熱を帯びる。その両手で何とか鬼の腕を引きはがそうとしている。
すると、ジュウという何かを焼く音が耳に入る。その源を探ると阿南が触れている鬼の皮膚がうっすらと焼けている様であった。
阿南の丕業は効くのか......?
いや、違う。さっきは効いていなかった。
今もなお奴の脚を押しとどめている自分の右手を見て、確信する。
「先生!阿南!こいつは衝撃とか、力を飛ばすことが出来るんだ!」
「そんなことは分かってる!けど、だからと言ってダメージを与えられねーぞ!」
「違うんです!きっとその能力は一か所しか使えない!一つの力を消し飛ばしている時、別の力は飛ばせないんだ!」
「......なるほど。単一的な攻撃はどれだけ与えようとその力を飛ばされるだけだが、多方面からの攻撃はその限りではないのか」
先生が、俺の伝えたかったことを瞬時に把握してくれる。
「だから、今俺の熱は奴に伝わっているのか。千草が抑えてくれているから」
今なお締め付ける鬼の腕を何とか押しとどめている阿南が呟く。
「ふむ。全てとは言わぬがその推測は正しい」
自身の腕を焼かれ、それでも平然と答える鬼。刻一刻と皮膚が焼けているというのに微動だにしない。
攻撃が通じるようになったのに、先ほどと何も変わっていない。
「この程度がなんだ。この程度とうの昔に味わった。我の憎悪の熱量はこんなものではない。なめるなよ人間」
「なっ!?」
掴んだ阿南をそのままに、奴は手を地面にたたきつける。あまりの衝撃に地面はひび割れ、クレーターが出来ていた。
押しつぶされる形で阿南が地に埋まる。その身はかろうじて繋がっているが最早立つことすらままならないだろう。
「阿南!」
煤けた手を払い、こちらを睨み付ける鬼。
「さて、さっさとあの毒蟲めを連れて帰らぬとな。ここで貴様らは払う」
あの阿南が一撃でやられた。それは俺の心を折るには十分すぎる出来事だった。
情けないことに、膝が笑っている。奴の前にはこの骨の鎧が心許ない様に思えた。
「阿南!八夜!」
怪我をおして駆け寄ってくる先生だが、間に合いそうにない。先生が駆け付けるより先にこの鬼は俺の胴体を引き千切るだろう。
「では貴様からだ、纏骸の子よ」
赫い死が、伸びてくる。俺の身体を容易く引き千切る為に。
――またも、死にかけているのか。度し難い。
その死が伸びきる前に右目から響く声。芝居がかった、こちらを皮肉るような男の声が、再度響く




