第二十四話 灯火
「して、主よ。あれはどうするおつもりで?」
先ほど、突然ひび割れ砕け散った黒い立方体。そこから少し離れた場所で、傍らにいた痩せ身の男に声をかける人物。
声をかけられた痩せ身の男は、日本人の平均身長を大きく超え二メートルに近い体躯をしていたが、声を発したその人物は更に大きく、四肢は丸太のように太ましい。燃え盛る業火のように、見るものに熱を与えそうな真っ赤な皮膚、ぎょろぎょろと辺りを見回す眼球はおとぎ話に出てくる鬼のそれ。
「あれ、とは?」
「毒蟲の奴の事です。あのままではあの人間に屠られるのは目に見えているでしょう」
「ふむ、それは困るな。あの玩具は見ていて飽きぬ。ゆえにここで失うのは惜しいな」
骨にへばり付いた皮膚を強引に引き上げ笑う男。風に揺られる灰色の長髪は曇天の空に溶けだし、どこまでも伸びているかのようであった。
「では、誰かしらを差し向けますか?」
「いや、あの人間の男。ああみえて中々手強い。有象無象を差し向けたとてそのこと如くを無駄に散らせるだけであろう」
「ならば私が行きましょう」
「ほう、あ奴の事は心底憎んでいると思っていたが?」
「えぇ。奴は享楽だけで生きております。人間を殺すのもただの享楽。故に私とは相いれませんが、あなたのご命令とあらばそれも些細な事」
「あはははは、そうかそうか。ならば余自ら懇願しようか。あ奴を連れ戻して来い、平四郎蟲」
「御意に」
巨体から想像できないほど俊敏な動きで、その場を後にする平四郎蟲と呼ばれた人物を後目に、その主たる男は尚も薄い皮膚をぴくぴくと動かしながら、笑う。
「さて、第二幕だ」
* *
紫煙が蔓延る静寂なこの場で呼吸をする二つの命。片方は息も絶え絶えといった様相ではあったが。
「さて、感傷は一旦やめだ。お前にはバックの存在について話してもらう」
「ひゃっく......?なんおことでひゅ?」
「しらばっくれんじゃねーよ。お前のその力、夜辺の奴が何かしら絡んでんだろ。その夜辺の居場所だよ。さっさと吐けよ」
「ひゃひゃ」
顎が裂け、何が言いたいのかいまいちわからないが、それでも伊織には、この男が笑っていることだけは分かった。
「だから嫌いなんだよこーいうの。どこまで怪我負わせていいのか未だにわかんねー。まぁ顎割るのはやりすぎたな」
ふぅと一息つきその場で腰を下ろす。
「なぁ、お前。以前まで普通の人だったのか?何があってそんな姿になっちまったんだ。夜辺亡は人をそういう風にする力でも持ってんのか」
「あおひひょはかみなんてすよ......おくたひにりかいのおよびゃないかんかえをもってひゅ」
「あーダメだ。さっぱりわかんねー。渚の丕業ってこいつらにも効くのかね......」
携帯を取り出し、どこかへと連絡をしようとしていた伊織の脇腹に強烈な痛みが走る。
「がっ!」
上半身と下半身が別れそうになるほどの衝撃は、その場で座り込んでいた伊織を数メートル程吹き飛ばす。
――馬鹿な、周りには誰も居ないかったはず。
そう疑問を感じながらなんとか立ち上がる。
実際近隣には人ひとりいなかった。衝撃は文字通りその脇腹から生まれ落ちてきたのだ。
「ほう、今のでは引き千切れんのか。大した人間だ」
そう悠然とした足取りで、赫々たる鬼がやってきた。
燃え盛る赤い皮膚に丸太の様な四肢。自身の倍ほどある身長は否応なく見上げるほかない。
その一歩一歩が地を揺るがすほどの衝撃を生み出し、まるで逃げられぬ災害のように伊織に歩み寄る。
「なん......だ?てめぇ......その見た目、【鬼】か」
「さぁな。人が我をどういう了見で名付けているか知ったことではないが、我は平四郎蟲。人を屠るものだ」
「次から次へとめんどくさそうな奴が......糞。要件は何だ。こいつか」
なおも地面にへばり付いている六本腕を指さし問う伊織。
「肯定しよう。そいつは我が主のものだ。故にその所有は主にしか在らず。勝手に殺そうなどと努々思うな」
「そうはいかねーよ。芋蔓式にわんさか出やがって。案外夜辺の奴も近くに居るんじゃねーか?」
「その問いについて、否定も肯定もしない」
「それ、肯定した事になんぞ鬼野郎」
「そうか。だが、どうということはない。貴様を屠り、そいつを連れて帰れば問題はない。そうではないか?」
「問題大ありだ!!」
痛みを堪え、素早く鬼の側面へ回る伊織。手にした鉄槌を振るい、お返しとばかりに脇腹にぶつける。
しかし、まるで手ごたえというものが無かった。まるで砂に打ち付けているかのように、ただただ衝撃は何処かへと吸い込まれるかのようだった。
(なんだこれ、当たってるが手ごたえがねぇ......)
打ち付ける場所を変え、数度また打ち込むがやはり手ごたえらしいものは何一つ感じられない。
「無駄なことだ。物事には相性というものがあるのは知ってるな人間。人の身でそこまで至ったのは称賛に値するが、ここまでだ」
大木の様な腕を振るい伊織の鉄槌と正面からぶつかる。その勝敗は鬼に軍配が上がったようで、鉄槌は伊織の手から弾き飛ばされ遠くへ落ちる。
「がっ......くそ!」
「貴様の人並み外れた身体能力も、力もその鉄槌にあると見た。鉄槌が手から離れた今、貴様もただの人であろう」
厳密に言うと、鉄槌が無くても丕業は発現できる。だが万全の丕業を発現するにはなくてはならない存在であった。
どうしようもない、結末。先ほどの気のゆるみが招いた結果。もはや諦めに似た感情が伊織の胸中を支配していた。
――死ぬ前に、お前の結末を知れてよかった。
六本腕の奴を叩きのめし、羽月の事を知ることもできた。これまで復讐を燃料に燃え続けていた何かが、音を立て消えた気がした。
(心残りは生徒会の奴らか。すまねぇな不甲斐無い先生で)
蟲の息で立っていた伊織を、鬼は自らの手を持って引き千切ろうと迫っていた。
ガキンッ!!!
伊織の命を刈り取るべく迫っていた腕は、何かに阻まれた。
「先生!伊織先生!まだ死んでませんよね!先生!」
迫りくる赫腕は、白い骨にも似た西洋の鎧に阻まれていた。それは、全身を覆ているとは言い難い未完成な鎧。
「その声、八夜......か?」
「えぇ。まぁ俺だけじゃないんですけどね」
確実に獲物を屠るつもりでいた鬼は少しの間、気を手放していた。その隙をつき、鬼の横顔を殴りつける灼熱を封じ込めたように、赤黒く陽光を返す拳。
「俺もいますよ先生!」
「阿南も......お前ら何でここに」
「それは、また後で」
面食らった鬼が頭をゆすり伊織らを見据える。
「人間の子が二人増えたとて、何も変わらん」
「あっちで伸びてるの、もしかして六本腕じゃあ......」
「あぁ。あいつをやった隙を狙われた。気を付けろ八夜、阿南も。どうも見た目通りの膂力だけじゃなさそうだ」
「うっす!」
硬化した両腕を撃ちつけ気を引き締める阿南。
「悪いがこいつらにダサいところは見せられないんでな。気を引き締めて、鬼退治といこう」
先ほど消えた何かは別の燃料を元に、また小さく灯しだす。




