01. 突然の婚約破棄
今宵の王宮では、華やかで贅を尽くした夜会が開かれていた。
美しく輝くシャンデリア。高価な食材をふんだんに取り入れた食事。一流の楽団が奏でる流麗な音楽に合わせて、紳士淑女が軽やかにステップを踏む。
ルシアン王子の生誕を祝うパーティーは、すべてが完璧に、滞りなく進んでいた。
パーティーの主役──ルシアン王子が、突然の婚約破棄宣言をするまでは。
「……皆のもの、よく聞け」
王子はおもむろに立ち上がり、招待客に呼びかけた。その傍らに一人の少女が寄り添っている。
全員ダンスや歓談をやめ、静かに王子の声に耳を傾けた。だが一体何の話だろう、と戸惑いを隠せない。王家から重大発表があるとは聞かされてなかったからだ。
そして続く王子の言葉で、会場の空気は凍りついた。
「……僕はここに誓う。ここにいる聖女カトリナこそ僕の唯一。真実の愛を捧げる相手は、彼女をおいて他にいない、と。よって、イリス・ウィンディット、お前との婚約は破棄する!」
「殿下、一体何を……」
「うるさい!代わりにお前は、カロン辺境伯に嫁ぎ、その地で聖女としての役割を果たすのだ!」
進み出た婚約者──イリスの声は途中で遮られた。パーティーの主役である王子の突然の暴挙に、会場はシーンと静まり返っている。
全員が固唾を飲んで見守る中、イリスは壇上に立つ男女を見上げた。
派手でチャラい見た目のルシアン王子と、その腕に絡まるようにしなだれかかる、ピンク髪の少女──聖女カトリナを。
冷たい目でこちらを見下ろす王子の隣で、カトリナは勝ち誇った笑みを浮かべていた。ライバルを蹴落とし、妃の座を射止め、たいそうご満悦の様子だ。
また、イリスが嫁げと命じられた辺境伯領は、魔獣の被害が絶えず、辺境どころか魔境とまで言われる土地柄。命令は事実上の追放と言えた。
そこまでするか普通……とイリスは思ったが、まあやるんだろう、彼らは。気にくわない人間に対して。
その時──パチン、と扇を閉じる音が響いた。凍った空気に臆することなく進み出たのは、社交界の薔薇──パルミラ公爵令嬢だった。
「……お言葉ですが、殿下。王家の婚約とは、そのように簡単に破棄できる軽々しいものではございませんでしょう。聖女イリスに、どのような瑕疵があったというのです?」
「あ、あの、パルミラ様……?」
「イリス、あなたもこのお二方に何か仰ったらいかが?」
戸惑うイリスに向かって、パルミラは気位高くツンと顎をそびやかす。そして、壇上のルシアン王子とカトリナを睨みつけた。
「確かにイリスは平民出身で、足りない所も多々あるでしょう。ですが、聖女として数々の功績を残してきましたわ。彼女を辺境に追いやるなんて王都の……いえ王国全体の損失です!」
──あのパルミラ様がわたしを庇ってる……!
イリスは心底驚愕した。イリスの前世知識によれば、彼女はいわゆる、悪役令嬢のようなポジションの女性だったからだ。
……だった。つまり過去形。
パルミラは宰相の娘で、元々は王子の婚約者の座を狙う一人でもあった。
神殿と王家の決まりでそこにおさまったイリスに、何かにつけ絡んでくる厄介令嬢だったのだ。
しかし、王子のイリスに対する扱いの酷さを目の当たりにし、そのバカさ加減に気づいてからは、どちらかといえばイリスに同情的だった。
それを考慮しても、衆人環視の中、彼女が庇ってくれるなんて予想外である。
イリスはいたく感動した。
だからこそ、パルミラに迷惑をかけるわけにはいかない……!
「……ありがとうございます、パルミラ様。でもいいんです」
さらに何か言おうとするパルミラを押し留め、イリスはルシアン王子と聖女カトリナの前に進み出て、恭しく膝をついた。
「……辺境伯との婚姻、謹んでお受けいたします」
恭順と受諾の意思を示す。すると会場はざわめき、王子が小さく舌打ちした。
「……チッ、少しは泣くとかしろよ。どこまでも可愛げのない女だな」
「殿下の仰る通りですわね」
同調したカトリナが、くすりと笑う。
ルシアン王子は気を取り直したように声を張り上げた。
「辺境伯には先触れを出す。お前は明朝に出発しろ。今すぐ荷物をまとめるんだ」
「……承知いたしました。それでは御前を失礼させていただきます」
跪いていたイリスは一礼し、さっと立ち上がった。招待客の視線を浴びながら、会場を後にする。
「イリス!」
「パルミラ様……」
回廊を歩きだそうとしたところで、背後から呼び止められた。振り向くと、息を切らせたパルミラが立っていた。
「ねえ、なぜ了承してしまったの。本当にあの魔境に行くつもり?」
「仕方のないことです、パルミラ様。ですが、庇って下さってありがとうございました。もうお会いすることはないでしょうが、どうかお元気で」
「それくらい大したことじゃないわ。あ、あなたも、体は大事になさい。病気なんかしたら許さなくてよ!?」
見事なツンデレだった。
パルミラに一礼し、イリスは神殿の私室に戻る。
一人になったところで、
「…………うわぁーーーーやったぁーーーー!!!これであのバカ王子から離れられる!!!!」
イリスは思いっきり快哉を叫んだのだった。
◇◇◇
イリスは元々、平民出身だ。
洗礼で聖属性の魔力があるとわかり、十歳で聖女見習いとして神殿に上がった。
以降必死に研鑽を積んで、努力した結果、若くして筆頭聖女に上りつめた訳だが──
そこで待ち受けていたのが、あのバカ王子との婚約だった。
誤算どころの話じゃない。もはや罰ゲームだろ。
イリスは「聞いてない!」と叫んで神官長に詰め寄ったが、「いやこれは決まりだから……」とモゴモゴ濁され、そのまま流されてしまった。
筆頭聖女といえど、所詮イリスは雇われの身である。王家と神殿の意向には逆らえず、渋々王子と婚約を結んだ。しかし。
見た目通りチャラい王子と、実力でのしあがった平民聖女とでは、水と油。相性が悪いどころではない。
茶会を開けば刺々しい沈黙。夜会のエスコートも、贈り物もなし。普段の関係を思えばそれも致し方ないが、険悪さは増していくばかりだった。
イリスはそもそも誰かと結婚するつもりはなかった。一人でもやっていけるように厳しい修行に耐えたというのに、こんなのあんまりではないだろうか。
多分、この世界に神なんかいないんだ……!
と、聖職者にあるまじき悪態を心の中で叫んでいた時に現れた救世主が、あのピンク髪の少女──カトリナだった。
カトリナは誰が見てもパーフェクトな美少女である。家柄もすこぶる良い。
神殿に入れば俗世は関係ない……というのは建前で、実際は、俗世のヒエラルキーが大きく影響を及ぼす。
カトリナの実家は神殿に高額の寄付をしていた。ゆえに彼女は、最初から特別待遇である。食事は豪華だし、仕事は楽なものばかり。金はすべてを解決するのだ。
そんなわけで、カトリナの聖女としての実力は、まあ……そこそこ。
けれど、バカ王子はすぐに彼女の虜になった。そこに来てあの茶番劇である。
イリスとしては、王子を略奪されても悔しいどころか、むしろ万々歳なのだが。
「婚約破棄、願ったり叶ったりだわー!!!」
あんな男を引き取ってくれたカトリナには感謝しかない。求められれば、いくらでも感謝の言葉を言えそうだ。カトリナは嫌がりそうだけど、お経のように延々唱え続けてもいい。
「よし、こうなったら第二の人生始めるぞー!おーう!」
翌日、イリスはトランクひとつを手に、意気揚々と王都を後にしたのだった。




