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漆、桜、彼方より現る

 桜と一郎。


 茜とケンジが休みの日。

 暁屋は閑散としていた。

 もともと、お客の入りが少ない平日だが、この日は輪をかけて人の訪れが無い。

「珍しいわね」

 思わずフィーネが言った。

「ですね」

 フレアは神妙に頷いた。


 いつものように桟橋の端で胡坐をかいて、煙管を吹かす一番手の一郎。

 紫煙が春の空に吸い込まれていく。

 桜の花びらがちらりと舞い彼の視界に入った。

「・・・・・・どっこいしょっと」

 おもむろに立ち上がった。


 一郎は受付まで行くと、フィーネに告げる。

「ちょっと出かけてくるわ」

「仕事は?」

「若いもんに任せる」

「ん、分った」

 フィーネはいつもにまして従順に返事をした。

「おい、なんだい、どうした今日はやけに物分かりがいいな」

「イチロー」

「ん?」

「今日いい事あるかもよ」

 フィーネは囁くように言った。

「・・・そうかい」

 彼は片手をあげて暁屋を出た。


 舟に乗ると、竿を使って掘割の奥へ進む。

 川下りのルートではない離れたところに、一郎のお気に入りの場所があった。

 人気のないかんせいな田園風景が広がる一角に大きな桜が鎮座している。

 一郎は岸辺に舟を係留すると、舟内に胡坐をかいて大桜を仰ぎ見た。

「・・・似てんだよな」

 彼は独り言を呟くと、酒瓶を桜に掲げて見せる。

「なあ、元気にしてるか」

 コップを二つ並べ、酒を並々注ぐ。

「ここの桜は柳川の大桜とそっくだ。なあ、ばあさん、よく見たなあ桜・・・桜」

 一郎の目に涙が滲む。

「いけねえや」

 ごしごしと袖で目をこする。

「こっちには、茜まで来やがってなあ・・・寂しくないかい桜」

 ふぁさっ。

 一陣の風に吹かれ花びらが舞う。

「じじぃは元気だぜ。なあ、ばぁさん」

 桜吹雪の中、ぐいっと一気に酒をあおる。

「ちえっ、しめっぽくていけねえや」

 舟が揺れ動くほどの突風で、向かいの一杯の酒が零こぼれる。

「春一番?ああ~桜のやつが・・・わわわ」

 係留したロープがほどけ、舟が一回転する。

「どうした、どうした」

 一郎はデッキの上に立ち、竿で荒ぶる舟をおさえる。

「なっ!」

 大桜の岸手前で水柱があがる。

 水柱の上に、何度も見た嫁の姿があった。

 若かりし頃の桜。

「桜っ!」

 水柱の勢いは忽然と止まり、桜は宙に投げ出される。

 一郎は舟から飛び、愛おしくて会いたくて仕方なかった人を抱きしめ落水した。




 ふたりは枯れすすき~っして知ってる?(笑)

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