弐、回想ユング
暁屋船頭ユング。
茜が部屋を離れると、一郎は社長椅子にどっかりと背をもたれ、目を閉じた。
「・・・ユング」
かつていた船頭の名を呟いた。
それは暁屋立ち上げの頃、一郎は川下りを行うにあたって、フィーネと新人のユングを雇って3人体制で仕事をはじめた頃のことである。
貴族出身で時折高慢な態度をみせるユングではあったが、仕事には熱心に取り組んでいた。
船頭になるために、昼夜をとわず意欲的に取りくみ、一郎の熱血指導にも耐えた。
が、船頭には向き不向きがある。
彼には荒天時に問題ある操船技術と、貴族出身からくる横柄な接客態度が問題視された。お客からクレームをつけられるこしも多々あった。
それでも一郎は彼の情熱を信じ、不問にしていた。
彼が船頭となり3日目のこと、業を煮やしたフィーネが一郎に告げる。
「イチロー、ユングはよくないよ、よくない」
真顔で言う彼女に、一郎ははたと思いあたる節に気づきユングの操船する舟に変装して乗り込んだ。
(この目で確かめよう)
と。
ユングは、
「ようこそ。ヤナガー川下りへ。私、船頭のユングと申します。さて、ヤナガーの川下りは由緒正しき、我が血筋3代前のミュラーによってヤナガー国が独立したことが発端とされる。今じゃ平和の世となり格差もなりつつあるが、本来ならば私のような高貴な者は、こんな船頭のような職にはつかない。だが、私は世界の英雄イチローの一番弟子となりて、さらなる高みを目指すのだ。いいかお客様よ、ユング様の素晴らしいガイドに耳を傾けるのだ・・・」
(なに言ってるんだ、こいつ)
一郎に戦慄が走った。とても客商売とは思えない傍若無人の言いようである。
乗船時の安全運航の声かけは一切ない。
しかも自分の話に夢中になるあまり、舟は何度も岸にぶつかり危険極まりない。
小さい子供が舟から顔をつきだして、水面を見つめている。
(こりゃいかん)
一郎は、咄嗟に子どもの親に話しかけた。
「お子さん、危ないですよ」
すると、
「おいっ!そこの若造、私の崇高な話を聞けっ!」
ユングは一郎を怒鳴りつけた。
(いい加減しろ)
心の中でそう思いつつも、頭をさげ彼の船頭ぶりを引き続き観察する。
いかんせん、操船技術が身についていない。
そして、ガイドは常に上から目線で完全にアウトだった。
なんとか、無事に桟橋まで戻ってきたのは、ひたすらなにもなくて良かったと思えたほどだ。
お客もうんざりとした顔をしている。
そんな中、ユングだけが誇らし気な顔をしていた。
(ワシはユングに何を教えていたんだろう)
ただ、一郎は愕然とするばかりだった。
「よう」
「しゃ、社長!」
桟橋にあがると、一郎は正体を明かし、フィーネに指示し臨時休業するよう伝えた。
「ちょっと話がある」
一郎はじっとユングの目を見つめ、
「なんですか、嫌だなあ~抜き打ちで、乗るなら乗ると行ってくださいよ~」
ユングは意に返さず言った。
「お前・・・」
「???」
(こいつは、ひょっとして自分がしていることが分ってないんじゃ・・・だとしたら俺は)
一郎は一気に無力感が押し寄せてくるのを堪えた。
暴走。




