玖、ボブの退職
ボブ辞す。
ケンジはめまぐるしい忙しさに、時を経つのも忘れるほどだった。
はたと気づく。
ボブが一週間も舟屋に来ていないことを。
彼は船頭長のバンに何か知っているかと聞いてみる。
「さあな、辞めたんじゃね」
と、あっさりとした言葉、
「でも、だったら、朝礼で知らせたり・・・」
「おいおい、ケン。うちの舟屋(会社)そんなちゃんとしたところか?」
「はあ」
彼は思わず、頷きながら返事をしてしまう。
(そりゃ、そんなとこあるけど・・・あとで社長に聞いてみよう)
ケンジは3度目の川下りが終わり、珍しく時間があったので、船頭部屋の方で休憩しようと中へ入る。
「あ」
「あ」
ボブと目が合う。
右手のぐるぐる巻きされた包帯が痛々しい。
ロッカーを片付けているのか、左手には大きな袋を持っている。
ぺこりボブは頭をさげた。
「お世話になりました」
「・・・やっぱり・・・あ、すいません」
ケンジは思わずそんな言葉がでてしまった。
「はは」
ボブは苦笑いを浮かべた。
「ご迷惑おかけしました」
「いえいえ、そんな」
ボブは真っすぐにケンジを見た。
「不本意です。だけど、辞めてよかったと思います。これで良かった。きっと」
「・・・・・・」
「ここにはいれない、いられない」
ボブは心の内を正直に吐露する。
(そうだよな)
ケンジは自然と頷いた。
「立つ鳥跡を濁さず。こんなの言っちゃいけないんですけど」
「いいえ」
「ふふ、ちょっとスッキリしました」
ボブはそっと左手を差し伸べる。
ケンジはその手を取った。
「ありがとうございました」
「お元気で」
申し訳ない気持ちもあり、ケンジは深々と頭をさげた。
営業終了後、ケンジは社長室をノックする。
ユングの声がする。
「入れ」
「失礼します」
「なんだ?」
「今日、ボブさんが船頭部屋にいました」
「そうか」
「ボブさん辞めるそうですね」
「ああ」
「何故、みんなに知らせないのですか」
「言う必要があるか」
「・・・・・・」
(ああ、やっぱり)
ケンジは確信した。
(この人はこういう人だと)
「ほかに用はあるのか」
「ありません」
「なら帰れ」
「はい。失礼します」
ほどなく、ケンジが家路へと歩きはじめる。
振り返る社長室の明かりが灯っている。
(いつまで仕事するんだ)
「はあ」
彼はまた溜息をついた。
社長にも正義がある。




