漆、ボブ落水
ボブの落水。
ケンジはいつものようにめまぐるしく仕事をこなしていた。
お客を乗せ川下りから戻ってくると、メルダが手を振っていた。
(急いで次の下りをしろだろ・・・いつものことか)
と思ったが、慌てているのか血相をかえている。
お客を無事降ろした後、メルダは口早に喋った。
「ケン」
「おかみさん」
「水門橋でボブが落水したって」
(言わんこっちゃない)
ケンジは即座に思った。
わずか3日の修業期間、のち、これまでそつなくこなしてきたボブだったが、不慣れなままデビューをさせてしまったことが気の毒でならない。
「ヒヒーン!」
桟橋近くで馬のいななく声がした。
「ケン!」
ユングが手を回し幌馬車に乗るよう促す。
「社長」
ケンジは、竿を持ったまま、馬車へと飛び乗った。
「あいつめ」
ユングは苦虫をかみつぶしたようなしかめ面を見せる。
「社長、やっぱり(デビューが)早かったんですよ」
彼は諭す。
「いんや、油断して調子こいたからだ」
(ヨイショしてそうさせたのは、どこのどいつだ)
ケンジは冷たい視線を送る。
「ケン、舟に飛び乗って、あいつと変われ。出来るだけ、平静を装いお客様を不安がらせるな」
「了解」
馬車は掘割沿いの道を激走し、城入水門橋側へと辿り着いた。
舟は水流の少ない離れた岸に係留している。
ボブはデッキで右腕を押さえうずくまっている。
ケンジは駆け寄り、言葉をかける。
「ボブさん」
苦痛に顔を歪めるボブは、彼の顔を見て安堵の表情を浮かべる。
「ケンさん、すいません。水流の流れに竿をやられちゃって落ちちゃいました」
「怪我は?」
「腕を・・・すいません、お客さんに水がかかっちゃって」
「分かりました。ボブさん、濡れたお客様、こちらへ。皆様、船頭変わってご案内しますので、もうしばらくお待ちください」
ケンジは幌馬車へと案内する。
ユングは目を血走らせてボブを睨んでいる。
「社長行ってきます」
「ああ」
「・・・社長」
「なんだ」
「今回の件はなるべくしてなったと思います」
「ああん」
ケンジは言い捨て残るお客がいる舟へと戻った。
素早く舟へ戻ると、満面の営業スマイルを見せる。
「では、お待たせいたしました。変わりました船頭はケンと申します。残りの舟旅も引き続き楽しんでまいりましょう」
・・・・・・。
・・・・・・。
トラブルのあった舟は、無事、大柳の桟橋へと戻ってきた。
ケンジは振り返る。
トボトボと腕を押さえうつむき加減に去って行くボブの姿を。
彼は妙な胸騒ぎを覚えた。
そしてボブは大柳舟屋へ来なくなった。
うまくいっているように見える時ほど。




