第三十幕 死氷の刃、ジャレスと、滅びのドラゴン、サウルグロス
「力が欲しいんだ。この俺もね」
ジャレスは薄笑いを浮かべていた。
彼は闇夜の中、オーロラの中でたゆたっていた。
辺りにはドラゴン達の死体と……、オーロラによって変形し異形の姿としたドラゴン達の死体が細切れになって、散らばっていた。
ジャレスはオーロラの光の中、まるで海の中にでも浮かんでいるように、たゆたっていた。
「お前は、何者だ?」
滅びのドラゴンは、人間の青年に興味を示す。
「俺? この俺は選ばれた者だよ。ルクレツィアを統べるべくして、この世界に誕生したんだ」
ジャレスは微笑んでいた。
サウルグロスは訝しむ。
「駄目だな。この次元は、我の力の礎となる。この俺は、この太陽の力が欲しい」
「サウルグロス。なら、この俺に、別の世界へ向かう力をくれないか?」
ジャレスは軽く握り拳を作る。
「お前は言う。この世界の外に、あらゆる異世界が存在すると。なら、この世界に、もう用は無い。お前にくれてやる。その代わり、お前の力を、この俺にもくれないか?」
ジャレスは、まるで至極当然のように告げた。
「成る程」
サウルグロスは、彼を見て、唸る。
滅びのドラゴンの答えは、尾から照射される暗き光の球だった。それがオーロラの中をたゆたうジャレスに命中し、ジャレスの肉体が分解されていく。
サウルグロスは、素粒子へと崩壊していくジャレスを一瞥すると、空高く舞い上がろうとする。
「取り引きをしないか?」
全身が粉へと変化していく最中、ジャレスは強大なドラゴンに訊ねる。
「俺はお前に力を教える。だから、お前も教えてくれないか? お前の力を…………」
ジャレスは既に、爪先や皮膚の表現が消し飛び掛けていた。
「ほう。なんだ。つまらぬ秘密などいらぬ」
「ネクロマンシーの方法だよ。その為の魔法だ。いざとなった時に、きっと役に立つ」
サウルグロスは少しだけ、ほんの少しだけ、この青年に興味を持つ。
「お前は死ぬのが怖くないのだろう?」
「ああ。俺は自分の命もどうでもいい」
ジャレスは微笑する……、彼はいつだって笑っていた。怒りたい時も笑う。悲しい時も笑う。苦しい時も笑う。ただ、彼は笑う、という感情以外が分からない。
「何故なのだ?」
サウルグロスは不可解な顔をする。
「俺は何もかもが、どうでもいい。この世界も、自分の価値も、自分の命。他人の命も。好きな人間なんて、何も無かった。自分自身でさえ、好きになれなかった。けれども、俺は力と権力があれば、命のやり取りをしている瞬間が、俺は生きている実感が分かるんだ。何もかもが、ゴミ屑なんだ。なら、せめて、俺はこの世界を俺の思うように、デザインしたい」
ジャレスは握り拳を作り、唇を震わせる。
サウルグロスは、彼に撃ち込んだ力を止める。
「いいだろう。お前に、俺の力を教えよう。いや……、俺の力を分け与えよう。お前が果たして面白くなるか。俺は少しだけお前に興味が湧いた」
邪悪なるドラゴンが告げた。
そして、二人にとっての夜は開ける。
戦争は再び、開幕されようとしていた。
ジャレスは、怒り方を知らない。
ジャレスは、憎み方を知らない。
彼は、楽しい、面白い、という感情が、何よりも勝っている。結局の処、彼は痛みを知らなかった。他人の痛みも、自分の痛みさえも。
†
「あれと、どう戦えばいいのだろうな」
竜王は、ミントに囁き掛ける。
「お父さんでも、あれには勝てないのですか……?」
クレリックの少女は戦慄く。
二人は、瓦礫の中を共に歩き、少しだけ会話を交わしていた。
竜王は、いつの間にか、幼い子供から人間の青年の姿へと変わっていた。
オーロラの先にいる怪物。
邪悪で暗黒なるドラゴン、サウルグロス。
光と太陽のドラゴンであるイブリアは、現れた敵に対して、少しだけ苦々しい声を発していた。
「だが、私も奴に立ち向かう。今は、我が盟友である、ヒドラのラジャル・クォーザと闇の天使シルスグリアの二人が死力を尽くそうとしている。私も、この太陽の力を使い、あれと戦おう」
彼は掌から輝く炎を生む。
「もうすぐ、夜が明けますね」
少女は言う。
「先に訊ねておく」
イブリアは言った。
「あの暗黒のドラゴンは我ら皆で退けるのだ。この世界は悪しき者達の心によって成り立っているのかもしれない。だが、今は、今のみは、我らは一つだ。共に強大な邪悪を討つべく、皆、立ち上がった。ミント、お前はどう思う? 私はずっと、この世界を、もう一度、滅ぼす決断に悩み続けてきた」
彼は少しだけ苦々しげに言う。
何故なら、もはや、今や何よりもドス黒い邪悪によって、この世界は滅ぼされようとしているのだ。
「私には、何も分かりません……」
ミントは言う。
「私は自分の価値さえも、見出せない。何の為に、この世界に生まれて、何の為に生きてきたのか。この腐敗と残酷に満ち溢れた世界で、私は自らの生きる理由、目的を探しました。けれども、今もなお、見つからなかった……。けれども、この世界を守りたい。それだけは、確かに思うのです」
少女は強く言葉を紡ぐ。
人の姿を借りた、金色のドラゴンは頷く。
「私は、お前の為だけにでも。この世界に価値があると信じたい」
二人は、共に昇りゆく太陽を見ていた。
「お父さん。……ただ、私は、もし、あの暗黒のドラゴンを倒した後も、討つべき敵がいます。私の異母兄である、ジャレスだけは決して生かしておくべきはない。彼への憎しみから解き放たれない限り、私の人生の先は無いと考えています」
「そうか。ならば、お前はお前の信念と正義を貫け」
「正義なんかでは……ありません。私の苦しみと憎しみ、そして、ジャレスによって苛まれる記憶を消し去る為に、ただ復讐だけの為に、私はジャレスと対峙する所存です……」
ミントは少しだけ、後ろめたそうに言う。
イブリアは優しく、娘の頭を撫でた。
そして、夜明けは訪れた。




