第十九幕 陰附からの蒼い馬。 1 -暴風の前に-
盗賊達のアジトの中で、マンゴー・ジュースを飲みながら、ガパオ・ライスを口にして、デス・ウィングは考え事をしていた。ガザディスから振舞われた食事だ。あの盗賊の長は、本当に料理が上手い。
彼女は、宗教と信仰における、罪に関して、考えていた。
キリスト教は、他国の宗教の神を悪魔と認定していた。
イエスではなく、後のカトリック教会が考えたとされる、七つの大罪は、権力の統制の為に作られた、悪なのではないのか? と。
傲慢。大食。強欲。憤怒。嫉妬。怠惰。色欲。
それらは権力者達が、国民に対しても蔓延させてきたものだ。人間の本質的な負の感情のようなものを戒める事は、そもそも、権力を統治させる装置なのではないのか?
元々、七つの大罪などという概念は、キリストの教えには存在しなかったのだと聞く。キリスト教の創始者であるイエスは、本当に、罪などというものを望んでいたのだろうか?
七つの大罪に対比させるもので、七つの美徳というものも存在する。
忠義。節制。正義。希望。分別。我慢。博愛。
権力者達が押し付けた価値観にしか見えない。
こんな概念など、ただ、権力を維持したいものなのだ。
少し前に考えられた、新たな七つの大罪だって同じだ。
人体実験。遺伝子改造。環境汚染。社会的不公正。貧困。過度な裕福さ。麻薬中毒……。
新たな七つの罪。
どうせ、権力者が制定して、根源として、権力者が広めているものなんじゃないのか? それら七つの罪は、暴政そのものによって生まれたものではないか。
宗教とは、権力の都合で動き続ける。
凄まじく馬鹿馬鹿しい残酷劇でしかない。
善とか悪とか、倫理観だとか、その国の権力者によって規定されるものだ。
死後の世界において、天国や地獄なんていう向かうべき道が存在するのかどうかそんなものは在り得ない。食人を肯定する文化もあれば、一夫多妻を奨励する文化もある。殺人なども、何によって肯定されるのか。戦争や死刑は合法的な殺人行為ではないのか。
都合の悪い存在は、全て、悪や悪魔、罪とする。
それが、宗教であり、国家だ。
このルクレツィアも同じものでしかない。
権力者によって、罪が規定されていく。
「さて。もうすぐ、この世界は滅ぶのかな?」
デス・ウィングは、あの邪悪なドラゴン、サウルグロスとその軍団が砂漠に侵攻していくのが分かった。砂漠付近にいる冒険者達は、次々とオーロラに浸食され、ドラゴン達の餌食になっていると聞く。
敵は、オーロラの実験を試みている為か、侵略は緩慢だが、もうすぐ、サウルグロスの軍団はルクレツィアに都市部に入り込むつもりでいるのだろう。戦乱が幕を開けるのだ。
冥府から訪れる、死者達の参列のようだ。
彼らが、みなお互いの立場を、横に置いて、立ち向かわなければならない存在だというのに…………。
†
……神様は、この世界にいるのかな?
ガザディスは、山という自然にねそべり、空を仰ぐ時に、そんな事を思う。
デス・ウィングと、もっと話をしてみたい。
この世界の外側の秘密が知りたい。
自分の為に、多くの部下が死んだ。
自分の為に、多くの命が失われた。
そうやって、自責の念に駆られる時、彼はこの世界から救いの声を求め続ける。
苦界だ。
誰もが、病に倒れ、苦しみに悶える。
みな、死後の世界に何を望むのだろうか、と。
地獄絵を見る時、人々は現世の惨状に触れる。宗教において、地獄とは生き方の戒めそのものだった。そして、宗教観による人々の支配の装置となった。デス・ウィングは、盗賊の長、ガザディスに、そのような事を話してくれた。
彼女は、異世界から訪れた者だと言う。
もっと、ガザディスの知らない事を教えて欲しい…………。
前世にて、何者であったのか。
来世にて、何者であるのか。
今の生は通過点にしか過ぎないという、ある種の祈り。
苦しみが多いから、人々は、死後に縋る。
ならば、現世は何の為に存在するのか?
今のガザディスには、その答えが無い。
ただ、この森の中でまどろんでいる時に、生きている自分がいる、という実感がある。
物事の解釈の仕方を変えるのが、数多の宗教の教えなのだ。美しいものだとか、汚いものだとか、正しいものだとか、間違っているものだとか。全て、宗教によって、ねじ曲げられていく。




