第十一幕 ギルド・マスターの娘 -彼女が彼女である事。-
1
母の顔を思い出せない。
父は何もかも、思い出せない。
幼い頃、ミントは貴族達に連れられて、帝都の見世物を見せられていた。それが一体、何を意味するのか彼女には分からなかった。
人間が奇妙な木の上に固定されたり、腕や足がぐにゅぐにゅ、とねじまがっていったり、首の周りに輪が掛けられて、風船のように浮かんでいたのを覚えている。彼女は飴を与えられ、貴族達はそれを観て笑っていた。みんな、幼い彼女に優しい言葉を投げ掛けて、色々な施設へ連れていかれた。大きな広場の中で人と人が戦っていたり、人と大きなイモムシが戦っていたり、それを観て、周りの大人達は喜んでいた。
ミントは大ホールの中で、途中、とても気分が悪くなりうずくまった。ずっと泣き続けた。
大人達は彼女を酷く心配そうに眺めていた。
彼女は人間では無いんだよ。
誰かが、抑揚の無い声で告げた。
だから、もう少し様子を見なさい、と、人間らしい感情を取り戻すようにしなさい、と。人間らしい感情を持つ事が出来れば、悪い者達を嫌う事も、娯楽を楽しむ事を出来る筈だよ、と。
ミントは人間らしく振る舞おうとして、……壊れた。
仮面を作るしかなかった。
大人になって分かった事は……。
彼女が見てきた娯楽、彼女が連れて行かれた遊技場。
それらは残忍で残虐な見世物の施設と、処刑場でしかなかった事だ。
彼女に“人間性”というものを期待していた大人達が、単に“鬼畜”の人外の心を持っていただけに過ぎないという事を意味化する事が出来たのは、大人になってからだった。
……自分の生い立ちは人では無い。
彼女は心の底で、ずっと引っかかっていた。
ハルシャだけが、彼女の救いになった。
誇り高いミノタウロス。
彼は厳しくも優しい。
彼は道徳的な考えも強く、他人の物を盗んだりしたミントを容赦なく殴った。路上で寝る貧しく身体中にデキモノが出来ている人達に向かって罵倒の言葉を言うと、ゲンコツを喰らった。その後で何故、他人の物を盗む事が悪いのか、貧しく病気になっている人を差別するのは良くないという事を彼なりに説明した後、美味しいご飯の店に連れていってくれた。彼の下に付いていると、不思議な安心感があった。
……盗んでいいのは、持たざるものだと俺は思うからだ。お前は今、ご飯食えているだろう? だから止めて欲しい。
……もし、お前が病気に掛かって、全身が動けない程、変なイボだらけになって苦しんでいるのに、無邪気な顔で指差されて笑われたら嫌だろ?
彼女にとって、ハルシャは掛け替えのない肉親に近い存在になった。
……言っておくが、俺だって完璧じゃないからな。何が正しいのか分からない。もし、俺が、お前が思う悪い事をしている時、その時はお前が俺に怒るんだ。
そうして、二人の絆は確固としたものになっていった。
だから、ミントにとって、もはやハルシャが暴政を強いる帝都に仕える事を赦せない。そして、ハルシャも自身の間違いに気付いている。……だが。
ハルシャを反逆者として、処刑させるわけにもいかない……。
後になって知ったが、ミントが“人間らしくなれない”という理由で、当時、衛兵見習いであり、上司の信頼が厚かったハルシャに、半ば養育係を任せる形でミントを渡された、という形だったらしい。きっと、それは正しかった。
2
墓地だ。
地下墓地だった。
ミントと共に行った場所に似ている。
索冥宮と言う名の、クレリックのギルドらしい。
だが、死臭のようなものはしない。
「これがクレリックのギルドか?」
デス・ウィングは、都市の中に創られたピラミッドの中へと入る。ギルド・カードはサレシアから渡されていた。ピラミッドの入り口に入る際のカード・キーになっているみたいだった。この、もう一つのクレリックのギルドに入る為には、入館の資格として、サレシア含めて、ごく一部の者達から、ギルド・カードを受け取る必要があった。
墓地の中を進んでいく。
守衛らしき人物はいないみたいだった。
ただ、気配のようなものは感じる。
囁き声のようなものも聞こえる。
所々から、怨念のようなものが呻いている。
魂というものが存在するのがどうか知らないが、死後に残留した精神エネルギーの思念として、彼らはこの空間を漂っていた。
サレシアは、この場所を”慈悲”だと言っていた。
彼らは”自らを癒やす為”のクレリック達だった。
”来世”にも行けず、無にも為れずに、この世界に留まっている多くの者達だった。気配達は、彼女を監視していたが、デス・ウィングは全身から風の力を放出させていた。その威嚇によって、殆どの者達は、彼女に近付けずにいるみたいだった。
柩が幾つも、幾つも並んでいる。
此処の地図は、サレシアから一応、渡されている。
半分、迷宮のようになっているが、大きな通路を進めば、ギルド・マスターに会えるとの事だった。
建造物の奥へと辿り着く。
それは祭壇だった。
蒼い炎によって、そいつは煌々と照らし出されていた。
亡霊だった。
人の形をしているが、それは不定形で、どうにか人の形を保とうとしているが、ぐにゃぐにゃとした肉塊へと変わりながら、形を戻そうとしている。
「はじめまして。私の名前はデス・ウィング。打ち捨てられたクレリック達のギルド、索冥宮のギルド・マスター、エリュンデューだな?」
亡霊は頷く。
「お前、ミントの母親だろ?」
デス・ウィングは率直に訊ねる。
<サレシアから私の下へ案内されたのですね?>
「ああ、あのクレリックの娘に興味があってな」
<帝都のタブーなのは、御承知の上で、私に会いに来たのですか?>
「勿論。全て教えて欲しい」
デス・ウィングは有無を言わせない口調だった。
<分かりました>
亡霊は、彼女を少し怖れながらも、まるで吐き出すように話していく。
<私は国王バザーリアンの愛人でした。あの男のハーレムに住まう女の一人だったのです。正妻を望みましたが、叶わぬ夢でした。バザーリアン、あの男は、王宮地下において、ある実験を行っていました。それは、砂漠の主である竜王イブリアの血を、自身の体液と混ぜて人工生命体を作る実験でした>
「竜王イブリアの血……?」
<ええ。どのような形で入手したのかは私には知り得ません。ただ、本物である事は確かであったそうです。そして、ドラゴンの王の血と、彼の体液は混ぜられ、精製され、それは私の子宮に注入されました>
デス・ウィングは驚いた後、そして楽しそうな顔になる。
「つまり、…………」
<はい、ミント。あの子は、私の子宮から生まれた子であり、現国王バザーリアン・ルクレツィアの隠し子であり、更に、竜王イブリアの子でもあるのです。彼女は……、人間では無いのです。人と竜の半獣人。……ハーフ・ドラゴンとでも、申しましょうか……。もし、あの子の中に流れる、ドラゴンの血が覚醒すれば、どのような災厄を招くのか……。何もかもが、帝都のタブーとなる所以なのです、ああ…………>
それを聞いて…………。
デス・ウィングは、とてつもなく狂ったような嬉々とした笑顔を浮かべた。
「面白過ぎる! やはり、あのクレリックを追っていて、正解だったな! ありがとう、処刑された者達の鎮魂者エリュンデュー・シェレディア。礼を言う、私はショーを楽しめそうだ」
亡霊は、眼の前にいる女をおぞましく思う。
彼女を、このピラミッドの中から、出してはならないのだと……。
だが……。
「妙な気は起こすなよ。だが、私はお前の大切な子が気に入っているんだ。なあ、聞きたいが。あのクレリックの少女の中に眠っている何かが目覚めれば、面白い事態になるのか? それから、現国王の隠し子って事を表立てたら、一体、どんな風になるんだろうな? それから、竜王イブリアの落とし子? 王宮地下の人体実験の結果? 面白過ぎる。さて、色々な大多数の奴らに、無作為に、拡散してやりたいな!」
エリュンデューは、眼の前の女を始末する事を考える。だが……勝てる見込みが無いのも分かっていた。どうすればいいのか……。
彼女は、しばし黙考した後に、それを口にする。
<ミント……。あの子は回復魔法は苦手でしょう? 何故なら、あの子の本当の素質は…………>
エリュンデューの次に口走った言葉によって、それはデス・ウィングの歪んだ心を、ますます燃え上がらせるものになってしまった…………。
3
「ハルシャ。私は人間として戦いたい、この世界と。人ならざる邪悪な者達に暴政を敷かれ、侵略されていく事を止めさせたい。それが、私が人間としての証だと思うから」
ミントは、固く握り拳を作り、強く決意する。
この世界の闇と戦い続ける為に。
……………………。
†
デス・ウィング




