第六十八幕 東の工業地帯、ザッハ・レイドル。
今日は、曇り空だ。
先ほど、ぽつりぽつりと小雨が降り注いでいた。
ルクレツィアの東部には、ザッハ・レイドルという工業地帯が存在した。
そこで建築に必要な煉瓦、家具、衣類に必要な繊維などが多く生産されていた。
また、医療機関も充実しており、クレリック達も多く住んでいた。
此処は言わば、ルクレツィアの経済を回す都市部として、重要な都市だ。
そこを、ヴィラガが編成した巨大鬼のオーガの部隊がゴブリンの軍団を率いて強襲を試みようとしていた。此処を占拠出来たならば、あるいは壊滅させる事が出来れば、ルクレツィアの経済に大きな打撃を与える事が可能だろう。
だが、強大な門番が立ちはだかっている。
ドラゴン達だ。
立ち並ぶ工場の所々に、ドラゴン達が番人として駐屯している。
更にどうやら、今日は本来ならば西部のプランドランで開拓を行い、イブリアと共に異世界に資源を求めて旅立っていた、強力なドラゴンの魔法使いのザルクファンドが現場確認に来訪している。実に日が悪い。
……どうされますか? 隊長殿……。
ヴィラガはオーガの一体に質問されて、揺るぎ無い狂気に満ちた意思を持って答えた。
「全員、何の為に此処に来た? 我々はアリゼ様に心臓を捧げた身では無いのか?」
ゴブリン達は大量の爆薬の準備をしている。
この工業地帯の何割かでも、薪の山に出来ればテロは成功だと言える。
ゴブリン達が爆弾の設置場所の地図を確認している途中だった。
王女であるミントと闇の天使イルムは、森のダンジョンに。
ハルシャとガザディスの二人は王宮に留まっている。
彼らの戦力を分断して、一つ一つ削り取っていくというのがアリゼの戦略だった。
<物陰で貴様らは何をコソコソとやっている?>
魔法を詠唱しているような声が響いてきた。 特徴的なトサカを生やしたドラゴンだった。
色鮮やかなトサカを持った二足歩行のドラゴンである、ザルクファンドがヴィラガの部隊を見下ろしていた。他のドラゴンよりも、比較的、小柄だ。……小柄、といっても、人型種族よりも、よほど巨大ではあるのだが。
聞く処によると、このドラゴンは強力無比の重力魔法を操るらしい。
<お前らがアレか。例の女騎士達のテロリストの集団か。お前たちを見かけたら、この俺はひねり潰せと言われているんだがなあ?>
ザルクファンドははばたきながら、ヴィラガ達を見下ろしていた。
ぼっ、ぼっ、と。
ヴィラガの周りにいる大鬼の怪物オーガ達の全身が燃え盛っていく。
ゴブリン達の軍団は、炎や氷、稲妻や毒など、様々な吐息のブレスによって薙ぎ払われていった。ヴィラガは息を飲む。
……任務を果たせないっ!
ヴィラガは愕然としていた。
ドラゴン達は、完全に統制が取れている。自分達などよりもだ。
つまり、彼らは強大な力を持っているだけでなく、ある種の軍隊のように動いている、という事になる。
「畜生がああああっ!」
ヴィラガは巨大な鎖の付いた鉄球を振り回しながら、ドラゴン達へと向かっていった。
ぐしゅり、と。
ヴィラガの両腕はねじ周っていく。
ザルクファンドだった。
噂によれば、重力魔法を使うドラゴンの魔法使いなのだと聞く。
「ううおおおぉおおおおおおおぉぉぉぉおぉぉっ!」
ヴィラガは叫び狂っていた。
彼の全身が引き裂かれていく。
ヴィラガは薄れゆく意識の中で、アリゼの囁き声が耳に聞こえていた。
†
「私の考えを言っていいかな?」
イルムはダンジョン内にいる怪物達と戦っていた。
ミントは怪物から逃げながら、ジェドを探し続ける。
「何?」
「多分、獣人のエボンと、白いオークの二人は捨て石なんじゃないかしら」
巨大な髑髏の頭部の怪物から逃げながら、イルムは攻撃魔法を放っていた。
「捨て石?」
ミントは地下世界への深部へと向かっていく。
「私達の力を……戦力を見誤っている敵とは思えないのよね。ヴィラガっての、聞く処によると、ハルシャよりもかなり弱いでしょ。かといって、アリゼ一人で私達全員を倒せる程、うぬぼれているとも思えない」
「つまり、どういう事?」
「モンスターと市民の違いは何処にあると思う?」
イルムは意味深に訊ねる。
「私は王女をしていて、この国を治めている。それくらい知っているわ」
「本当の意味で?」
「本当の意味かは分からないけど。モンスターと市民の違いは“対話が出来るかどうか”。それが決定的。人型種族、ドラゴン、スフィンクス……。あらゆる生き物達が共存しているこの世界において、会話が出来ない存在というものは、つねにモンスターとされてきた」
「そう。ゴブリン(悪鬼)、オーガ(大鬼)、一部の獣人、ゾンビ、あらゆる怪物達……」
「そのせいで、不当な迫害をされてきた者達も多い。でも、アリゼの目的は彼ら追いやられた者達を復讐させる為に、テロを起こすんじゃ?」
「思ったんだけど。もっと、ヤバい事なのかもしれない」
イルムは、ようやく、巨大な頭蓋骨を消し飛ばして片付ける。
「もし、アリゼが、あらゆる生き物達、ゴブリンやオーガ、獣人などではなく、より共存を強制しようとするのなら…………」
イルムは周辺のモンスター達をあらかた片付けていた。
「まさか………………」
ミントは更に、最奥へと下っていく。
「ルクレツィア各地に点在する、ダンジョン。隣あった別の異世界。それらの者達全てと共存させようという思想だったとするなら…………」
「かなり、マズイ事になるわね……」
ミントは、どうやら、ジェドの姿を見かけたみたいだった。
粘液状の怪物によって、ジェドは囚われていた。
ミントはその怪物の稲妻によって焼き払っていく。
ジェドは気絶しているだけみたいだった。
ミントはジェドを背中につかむと、イルムの元へと戻る。
「一体、ルクレツィアにはどんなモンスター達が眠っているのか。あるいは、封印されているのか。あるいは、この多次元世界には…………」
ミントは忌々しそうな顔をしていた。
「アリゼの目的は共存という名前のテロ行為だとするなら、もし、モンスター達の質が極めて、ルクレツィアの一般市民にとって危険極まり無いものだとするなら、かなりマズイ事になるわね」
二人はそう言うと、森のダンジョンの出口を求めて再び彷徨い続けた。
†
ヴィラガは全身が焼け爛れる中、何かが体内で目覚めていくのを理解する。
あの異端宗教の教団の最奥にてよこたわる、巨大なデーモンから力を得る事になった。全身が別の何かへと変容していったのが分かる。
気付けば、ヴィラガはまるで違った生き物になっていくような気がした。
彼はドラゴン達の横を駆け抜けて、工業地帯の至る処を爆撃していた。
全身は炎に焼かれながら、ヴィラガは動き続ける。
ヴィラガの全身はあらゆる人型種族の手によって、拘束されていた。
ヴィラガは鎖によって全身を縛り付けられて、地に伏せる。
意識を失う直前、彼は自身の身体が崩壊していくのを感じていた。
彼は意識の中でアリゼの幻影を見る。
アリゼは笑っている。優し気な笑顔だ。
眼の前のドラゴン達を次々と切り払って、薙ぎ倒していく。
「みんな。仲良くね?」
アリゼの声が聞こえる。
ヴィラガは薄れゆく意識の中で見ていた。
アリゼと、ザルクファンドが対峙していた。
<お前は一体、なんだんだ? 人間なのか? 魔法による身体強化も使っていないみたいだが?>
「うふふっー? ザルクファンドって言うんでしょ? ドラゴンの魔法使いさーんっ! 大丈夫だよー! 私はみんなが仲良くして欲しいだけだから、誰も殺してないよ?」
<確かに我々の側では、みな、負傷しているが致命傷を与えていないな。何が目的だ?>
「ドラゴンは今やエルフに次いで、希少種族なんでしょう? 何故、死のうとするの? みんな仲良くすればいいのに」
<俺は死んでも貴様を止める任務があるんだがなあ。他の奴らもだ。死んでルクレツィアを守れという意志で此処にいる。俺達の種族に対する侮蔑か?>
アリゼの全身から禍々しく、忌々しいオーラが放たれていた。
アリゼの隣をゴブリン達が駆け抜けていく。
彼らは背中に火薬を背負っていた。
何やら、意味不明な歌を歌っている。
どうやら、アリゼと
「うん。ドラゴン達は殺さないよ。ねえ、私達の側に付かない?」
アリゼは満面の笑顔を浮かべていた。
ザルクファンドは斬り伏せられて、倒れている同胞のドラゴン達を見る。みな、巧みに致命傷を避けられて、戦闘不能にされている。並の人間が狙って出来る事では無い。
<やっぱり、なんなんだ? お前は?>
ザルクファンドは重力魔法の詠唱を始めていた。
「人間、皆殺しにしない?」
アリゼは跳躍していた。
「私は“神”を受肉した者」
アリゼの刃がザルクファンドの胸を引き裂いていく。
傷はかなり深い。
魔法を上手く詠唱出来ない。
「私、分かったの。この国に何が必要無いかって。私と同じ種族。私と同じ存在。そう、人間。人間を一人残らず皆殺しにすれば、ルクレツィアは平和になるわ!」
アリゼは何処までも無邪気で、安らかな顔をしていた。
アリゼに忠誠と妄信を誓ったゴブリン達が工業地帯を自らの身体に巻き付けた爆弾によって破壊していく。ゴブリン達は次々とアリゼの命によって散っていき、爆裂四散していった。工業地帯の建物は次々と破壊されていく。
血と硝煙の臭いがする。
アリゼは目的を達成したのか、この場を去っていくみたいだった。
<そうか。ガザディスと……、そして、ジェドも殺すつもりか>
ザルクファンドは魔法の詠唱を練り上げる。
だが、上手くいかない。
代わりに、口から炎のブレスを、背を向けているアリゼ目掛けて吐いた。
アリゼは跳躍していた。
ザルクファンドの胸元を再び、斬り付ける。
「貴方だけは死ぬ?」
彼女は邪悪な微笑みを浮かべていた。




