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第六十三幕 赤き歌姫の宣戦布告。 1


 南のドロルレーン。

 そこは、帝都より南に位置し、蒸気機関車によって駅に停車する事が出来た。

 エボンは他の乗客達に混ざって、この場所に訪れた。


 近くには、かつて国王の側近をしていた悪魔ロギスマが襲撃したアレンタの村が復興しつつあると聞く。今回は、人間が多い、そこは除く。


 此処には獣人達が多く住んでいる。

 

 早速、強大な悪魔が授けてくれた力を試すにはもってこいの場所だった。


 ジャッカル頭のアヌビスの獣人、小柄のミノタウロス、猫頭の獣人、鳥人などが主に生息している。長閑だ。口にした動物の死体などを加工して、追悼を込めて衣類や飾り物にしている。……これからは、彼らも同じ飾り物になるとも知らずに……長閑に畑などを耕している。


「さてと。見晴らし台が無いかねっ、と」

 彼は両の獣の耳をぴくりぴくりと動かしていく。

 ちょうど、近くに見晴らし台が見えた。……まだ低い。


 彼は街を見渡していた。

 遠くには森が見える。鬱蒼と茂っている。

 そう言えば、獣人達に混ざって人間達も多い。兵士の格好をしている者達もいた。街の自警団だろうか。


 大きな塔が見えた。

 おそらく、頂上はかなりの絶景だろう。だが、出来れば、もっと高い場所がいい。


「何だ、お前、旅の者か?」

 犬頭の獣人が、エボンの傍に近寄ってくる。


「そうだなあ。ここらで、一番、高い場所って、何処かな?」

「それは。此処から、二キロ程歩いた処のあの塔だよ。あそこの塔では、様々な魔法のアイテムなどが売られている」

「そうかい。そう言えば、だ。暗黒のドラゴンが世界を破壊する前に、何カ月か前に、北で魔女達が殺害した人数はどれくらいだったっけ? 西でドラゴンの将軍が殺害したエルフ共の数は?」

「ふうむ…………、ちょっと、お主、物騒な事を聞きよる。そんなの知らんよ、ただ、多くの血が流れたとは聞いておる」

 犬頭の老人は、少しエボンを不審げな顔で眺めていた。


「なあに。この国は復興しつつあるが、そこら辺にまだまだ夜盗が多いそうじゃあねえぇか。何でも、大量に殺せるヤバイ奴がこの近くを徘徊しているそうだぜ?」

「聞かん話だが。警戒だけはしておくよ」


 エボンは老人に手を振った。

 塔か。

 百メートル以上はありそうだ。


「……ちなみに、此処は人口四十万人程度か。どんだけ殺せるか楽しみだな」

 彼は例の塔に近付く。そして、そのまま階段を使わずに跳躍だけで壁を蹴り、屋上へと辿り着いた。成る程、此処からは街一面がよく見渡せる。


「征服の拠点は、まず、此処からだな。さて、悪魔様の御力ってのを試してくれようか」

 エボンは懐からアップルパイを取り出した。

 アリゼが作ってくれた手製のものだ、とても美味で、仲間内で評判が高い。彼はアップルパイを食べ終えると、にんまりと唇を歪める。


 エボンは変身していく。

 全身に力が漲っていく。

 やがて、筋肉により服がはち切れそうになった。彼は服を次々と脱いでいく。


 巨大な四足歩行の獣になる。

 気のせいか、頭部も、眼球も、口も、複数あるような気がした。



 南のドロルレーンの街が燃えている。


 ミントとジェド、イルムの三名が斥候より事件を聞かされたのは、夕方の事だった。


「明らかに露骨になってきたわね」

 イルムは腕を組みながら言った。

「やっぱり、先日、私とジェドを襲撃した連中?」

「十中八九、間違いないわね。ミント、貴方を狙っているわよ」

「私だけとは限らないわ、イルム。……考えてもみて、貴方が敵だったらどうする? 本当に始末したいのは私だけなのかしら?」


 ミントとイルムは翼を広げる。

 それぞれ、ドラゴンの翼を、異形の天使の翼を翻した。


「あ、あの、俺も向かっていいでしょうか……」

 ジェドがおそるおそる、訊ねた。


「ジェドは待機していて」

「危ないから籠もっていなさいっ!」

 ミントとイルム二人の言葉が唱和する。


 高速で飛んで、王宮から数時間は掛かるだろう。スピードを飛躍的に上げる魔法を掛けても、二時間弱は必要だ。……災厄をもたらした者を見つける事が出来ればよいのだが……。


 ジェドは二人の背中を見て、うなだれていた。

 突然、彼の背中を手を置く者が現れる。


「ジェド。我々は城で待機だ。重要な任務だぞ」

 ハルシャだった。

 彼は大型の戦斧を担ぎながら、神妙な顔をしていた。


「あ、ハルシャさん。どうしたんですか?」

「ミントとイルムは行ったか。無事に帰ってこればいいのだが……。南の街の襲撃は、罠か、あるいは陽動かもしれん…………」

「罠?」

「ああ。城の警備を……戦力を手薄にする為のな。特にあの闇の天使イルムは強力だ。性格に難があり、ミントに嫌がらせをするのが趣味らしいが、彼女は日に日に力を増している。今後も、味方でいてくれればいいのだが」



 黒焦げ死体が、串刺しになって並んでいる。

 此処に住んでいた住民の成れの果てだろう。


 無作為に千切られた、手足や顔の肉片、内臓なども街の所々に転がっていた。


 燃え盛る炎の中、この街で一番高い塔の上に、その男は上半身裸で佇んでいた。


 ミントとイルムは、少しだけ、その男の狂的な禍々しさに、一瞬だけ見惚れていた。

 

 破壊。

 それだけが、眼の前の男からは絶大に渦巻いていた。


「よう。王女さま、天使さま。ご機嫌麗しゅう」

 男はうやうやしく頭を下げる。


「貴方は何者?」

 王女は訊ねる。


「俺の名は、エボン・シャドウ。我らが大いなる信託者、我らを導く巫女である、女騎士アリゼ様の片腕だ」


「ふうん。見た処、獣人族みたいだけど……?」

 イルムは彼をまじまじと吟味していた。

「天使さまよおぉ。お前は気付いたみてぇだが。俺は忌み子だ。人間と獣人の間に生まれた子供だな。迫害され、砂漠の洞窟に捨てられた。両親は…………」

「竜王イブリアに近付き、暗黒のドラゴン、サウルグロスの兵団として都市の侵略に加わったグリーシャという女と同じ、というわけね」

 ミントが言葉をさえぎる。


「そうだな。テメェら帝都のもの共を憎んでいる」

「安心して、私達、帝都の法律は今後、忌み子達を…………」

 ミントとイルムは、エボンと名乗った男がつかんでいるモノを見ていた。

 それは、ボロ雑巾のようになった人間の女性だった。元々は美しい顔だったのだろう。それが殴られ、蹴られ、ズタボロだった。


「悪いが…………、交渉は決裂だよ」

 そう言って、エボン・シャドウは、人間の女の顔面をまるでサッカー・ボールのように勢いよく蹴り飛ばす。女の口元から何本もの歯が飛び散っていく。女の身体は宙に浮く。まるで、パスでもするように、もう一度、容赦の無い蹴りが頭蓋へと叩き込まれていた。


 イルムは蹴り殺されて屍となった人間女性の肉体を抱き抱えていた。


「あんた、女嫌いでしょ? DV野郎」

 イルムは呆れた口調で告げる。


「テメェらも、ボロ雑巾にしてやるよ。……女が嫌いか、確かに嫌いだな。ただし、俺の主君であるアリゼ様を除いて、だがな」

 

 エボンの肉体が変容し、体躯が巨大化していく。


 頭が無数にある巨大な四足歩行の獣へと変わっていった。

 獣は跳躍し、無数の牙によって手始めにイルムを喰らおうとする。


 イルムは…………。

 いつの間にか、右手に細長い槍を手にしていた。

 槍はくるくる、と周り、襲い掛かる牙の全てをへし折っていく。


 怪物は予期せぬダメージに困惑しながら、地面に着地する。

 そして、今度は魔法の詠唱を行うと、口から、炎のブレスを吐き散らしていく。


 イルムは左手を掲げる。

 巨大な魔法円が生まれた。


 その瞬間に。

 炎のブレスは、全て虚空へとかき消されていく。


 獣は、少しだけたじろいでいるみたいだった。

 ミントは二人の戦いを、ただただ見ているだけだった。


「もう、飽きた。お前は大体、分かった」

 イルムは口の中で呪文を詠唱していた。


 多頭の獣の周辺に、大量の暗黒の球体が次々と生まれていく。逃げられないような形で、獣を包囲していた。そして、球体は次々と獣へと襲い掛かっていく。

 音もなく、その攻撃は続いていく。

 

「弱い…………」

 闇の天使イルムは左手を掲げながら、闇色の球体によって体力や魔力を吸われて、人型へと戻り、のたうち回っているエボンを見下ろしていた。


 ミントは少しだけ、唖然としながら、イルムを見ていた。

 実際に、イルムの実力を見たのは始めてだと言える。

 そして、これはサウルグロスの使っていた魔法だ。強大な、ルクレツィア全土の生きとし生ける者を滅ぼさんとする邪悪なる魔法。


 イルムは容赦なく、眼の前にいる獣人の男を痛めつけていた。

 指先から、デス・ウィングの作り出す風の弾丸を生み出して、何度も、何度も、エボンの肉体に風穴を開けていく。その度に肉がえぐれ、血が四散する音が響いていた。


「ははあっ? この臭せぇ、獣野郎。テメェ、再生能力あんだろ? 嬉しいわね。この私の楽しみがいがあるわ。すぐに息絶えずに、もっとこの私を楽しませる事ね」

 その顔付きは、明らかに処刑人であり、拷問者と言えるものだった。

 闇の天使は、眼を見開きながら、わざと急所を外し、敵が苦しむ様を存分に楽しんでいた。


 ミントは敵を徹底して、なぶろうとするイルムを見ながら、彼女がかつて相対してきた者達を思い出す。


 初対面で彼女を生きながらバラバラにしようとした、メアリー。

 巧妙に他人を不幸へと突き落とそうとする、デス・ウィング。

 そして、幼い頃から、何度も何度もミントを虐げてきたジャレス。


 彼らの横顔と、……イルムの横顔が重なる……。


「ねえ、イルムやめて…………」

 ミントは思わず、涙声になっていた。


「私の前で、誰かを虐めるのは……、それがたとえ、敵だとしても……」


 イルムは、少しだけ憎悪の籠もった眼でミントを見つめていた。


「何を言っているの? 王女さま? 私は友達だと思っていた? 言った筈よ。私は、貴方の地位が欲しいって」


 イルムは、いつも毒を吐きながらも、嫌味まじりにミントの仕事を手伝ってくれていた。なんだかんだで、彼女の存在は大きかった。


「お願い、やめて……」

 ミントはイルムの服の袖を掴む。


「………………、分かったわよ」

 二人は地面へと着地する。


 炎が街一面を焦がしていた。

 イルムはミントの手を振り解くと、エボンへと近付いていき。

 そして、エボンの顔面を強烈に蹴り上げる。

 そのまま、エボンは気絶したみたいだった。


「こいつ、捕虜にして連れ帰ろうか? アリゼとかいう気持ちの悪い女騎士の情報を吐かせる為にね」

 そう言って、もう一度、イルムは気絶しているエボンの腹を力いっぱいに蹴り飛ばしたのだった。

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