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第六十一幕 月と雨


 月の光が照らす、夜の中だった。


 アリゼは筋骨逞しいオークのヴィラガの胸元を指先でなぞる。

 ヴィラガはマスクを嵌めていた。


「うふふっ。ねえ、ヴィラガ。どうしたの? それ?」

「果樹園の処刑人のマスクで御座います。女騎士様」

 白い肌のオークは眼の前の女に誓う。


「女騎士様。そう言えば、お尋ねしたい事が御座います。貴女が帝都を追われる事となった、理由の一つに、オークという豚のごとき容姿の種族と恋仲になったからであったとか?」

「うふふっ。まあ、私は人種差別嫌いだし、当時、彼は使用人だった。種族だけでなく、身分も違っていたのかしら? 私は仮にも王族護衛軍の騎士団長をしていたから」

「そのオークの処分は?」

「反逆者として、果樹園しょけいばに実る事になったわ。処刑場に連れていかれる間、私が剣を持たされて、介錯を言い渡された。悲しいけれど、彼の首を刎ねるしかなかったの……」

 アリゼは眼の前の白いオークを強く抱き締める。


「女騎士様。貴女様はとても欲深い。わたくしめは、身も心も貴女様に忠誠を誓い、命を捧げるつもりでいる。だが、貴女はあらゆる者達を魅了し、褥を共にしている…………」

「うふふっ。だって、この私は、みんなを愛しているから。大いなる愛を持って包んで上げているの」


 アリゼは奏でる、千一夜物語を。

 そして、歌姫の作り出す物語に、みな聴き惚れるのだ。


 月の光が、廃墟を改装した居城の中に差し込んでくる。


 男は仮面を外す。

 ヴィラガはアリゼの瞳の奥を視る、映るのは何処までも醜い筋肉質のヒヒや豚のような顔立ちの大男だ。


 姫気味のごとき女騎士と、醜男である亜人オークの背徳的な物語。

 帝都で人々の間で流行する禁忌のポルノグラフィー。

 他人種に対する不安と、抑圧された性の具現化として描かれている物語。


 アリゼとヴィラガの二人は、背徳的に、それらの物語をなぞっていく。


「アリゼ様、貴女はわたしのモノだ」

 オークは自らの願望を口にする。

「嬉しいわ」

 アリゼは答える。


 ヴィラガは気付いていた。

 犯され、支配され、独占され、なぶられ、汚されているのは自分の方なのだと……。

 眼の前の女は魔女であり、化け物なのだと……。


 たとえ、二人いる時は、一つの男女であろうとも、この主従関係が覆る事は無い。

 ヴィラガはこの歌姫に仕える狂える騎士であり、彼女の為に死に、彼女の為に殺すであろう。明日も、その次の日も……。


 夜風が闇の中に入り込んでくる。

 女騎士の透き通る金髪が靡いていく。


「昔ね。宮廷で付き合っていた恋仲のオークと子供を作ろうと思っていたの」

「左様ですか」

 人間とオークの間に子供は作れない……。仮に出来たとしても、忌み子として悲惨な末路を迎えるだろう。


「彼の事が大好きだった。介錯は私がしたんだけど……。その前に、武器商人の女貴族ミランダがね。特に私と政治的に一番対立していた女。彼女が見せしめとして、私の愛したオークの使用人の腹を死なないように裂いて、腹の中に大量に石や木材、その他の色々なものを詰め込んで縫い上げていた。よくもまあ、そんな拷問が思い付くのかって……」


 ヴィラガは白い肌のオークだ。

 黒い肌のオーク達は自身を迫害し、両親を死に追いやった……。

 少しだけ、アリゼのかつての恋人を妬み、黒い肌の者達を憎み……ミランダという邪悪に対して、心の底で、賞賛を送る。


「“ブタ共に強姦され輪姦されて、栄誉ある美しき姫気味の末路はブタ共の子を孕みこの世のものとは思えない汚辱を味わい汚物と化す事だ。故に、私はそのような処遇をプレゼントとしてお前に与えてやった。ほら、お前は妊娠が素晴らしいんだろう? 腹が肥え太ったブタを差し出してやった。”。武器商人ミランダが、この私に言った事は一字一句覚えているわ」

「…………、ミランダは先の戦争で死にました……。私が首を刎ねる事は出来ませぬ」

「とても、残念な事だわ。私が宮廷を追われる事に、彼女から手回しをされたし」


 アリゼは、月光浴を続ける。

 この窓の向こうには、帝都が見える。

 アリゼとヴィラガと、彼らに付き従う同胞達が憎悪し、反旗を翻したいあの絢爛豪華な帝都が。


「さて。私を愛し、私が愛する者よ。貴方は何を望んでいるのかしら?」

 女騎士は……魔女は囁く。


「地獄を。全てを焦土と化す地獄を、我らの手によって作り上げましょうぞ」


 二人は月夜を眺める。欠けているが、美しい。

 アリゼとヴィラガ、二人の感情は背徳的であり、どこか清らかな無垢な祈りでもあった。



 ミントは墓石の前に佇んでいた。

 かつて、謀反人としてジャレスに殺害されたオーク、ゾアーグの墓だ。

 そして、その隣には、リザード・マンのアダンの墓が作られている。

 ハルシャの弟であるラッハは、ハルシャが埋葬したらしい。後で、回ろうと思っている。


「…………、私に力が欲しい…………」

 その日のルクレツィアは雨が降っていた。

 彼女は傘も差さずに、墓の前に佇んでいた。


 一体、どれだけの者達が亡くなったのだろうか……。分からない……。

 

 帝都の復興させるだけの力が欲しい。何者にも負けないだけの力がだ。


「私は今や、命まで狙われている。……どうすればいいのだろう? 王女様になった……、でも、私にこの国を良くする事なんて出来るのだろうか。みんな、私に力を貸して欲しい……」

 ミントは祈りを捧げる。

 雨は止む事なく、更に激しくなっていく。


「傘、持ってきたけど?」

 ミントの後ろで、最近、よく聞く声が聞こえた。

 ミントは振り向く。


「ベッドで寝ていたんじゃないの? 貴方、爆弾の破片が身体に刺さって、軽く怪我もしたって聞いていたけど」

 イルムがジェドと一緒に、傘を差して佇んでいた。

 イルムは折り畳んでいる、透明な傘をミントに向けて放り投げる。


「ただでさえ怪我しているのに、風邪でも引かれたら溜まったものじゃないわ」

 闇の天使は、不機嫌そうな顔をしていた。


 ミントは思わず、半泣きになりながら、イルムに抱き付く。


「ちょ、一体、何よっ!」

 ミントはイルムの胸元に顔をうずめていた。……おそらく、泣いているのだろう。

 ジェドは少しだけ、羨ましそうな顔でイルムを見ていた。

 イルムはますます、不機嫌そうな顔になる。


「……私はメアリーじゃないのよ? 気持ち悪い変態のレズじゃない。触らないで欲しいわね! さっさと離れて、王宮に帰るわよっ!」

「…………、少しだけ、ほんの少しだけ、…………、こうさせて…………」

 ミントは明らかに泣き声だった。

 イルムは鼻を鳴らす。


「分かったわよ…………。王宮に帰って、焼き菓子でも食べましょう。ハーブ入りの紅茶と一緒に。この私が作ったんだから、ありがたく口にしなさいよ」


 口角を上げて、そんな事を言いながらも、イルムは困ったように泣きじゃくるミントの頭を撫でていた。



 廃墟の中をリビングに改装した場所だった。


 アリゼの隣に、獣人の少女二人が彼女の髪の毛を撫でていた。一人は猫耳を生やした少女で、もう一人は犬の頭を持っている少女だった。彼女達はアリゼの化粧係をしている。


 ヴィラガは部屋の隅でソファーに座り、沈黙していた。


 音なく、部屋の中に入り込んでくる者がいた。


「よう。アリゼ様よう、王宮内部の状況は多少、調べが付いたぜ」

 部屋の中に乱雑に入ってきたのは、狼のような耳を生やした青年だった。獰猛そうだが、端正とも言える顔立ちだ。


「ありがとう、エボン。でも、その仕事はもう何日も前に終わったの」

 エボンと言われた獣人の青年は、舌打ちをする。


「なんだよ。余計な仕事だったつーのか。俺は無駄足かよ」

「エボン・シャドウ。口を慎め」

 ヴィラガが入ってきた青年を軽く睨み付ける。


「なんだよ。実力から言ってよう。オーク、俺様は、No2くらいだよなあ? オイッ! テメェの顔面を俺の爪と牙で引き裂いてもいいんだぜえ?」

「貴様の素っ首を落としてもいいのだぞ?」

 互いに、二人は睨み合っていた。


「ほらー、ほらー、二人共、喧嘩しないのー。二人共、私の大切な同胞じゃない?」

 アリゼは立ち上がる。


「そうだ、アリゼ様よおぉー。王女様を襲撃するのに、何で、俺を選んでくれなかったんだよ? 喉元引き裂いてやれたのによおっ!」

「ふふふっ、頼もしいけど、まだ私達には力が足りないわ。さてと、今日は行く場所があるわ。エボン、ヴィラガ、貴方達、二人に付いてきて欲しいの」

 アリゼは露出度の高い防具の意味をなしていない装飾的な鎧を着込んで、頭に羽飾りの付いた兜を被る。


「どこだい? なあ、何処かで、暴れさせてくれるっーのなら、大歓迎だけどなあぁ?」

「それは、まだ。今日、これから向かうのは、異端宗教のギルド呪性王の建造物の地下深くにある、大悪魔ゾア・リヒターのいる場所よ」

 アリゼは意味ありげな笑みを浮かべるのだった。



挿絵(By みてみん)


ミント

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