第四十六幕 貪婪の空の下。今にも崩れ落ちてしまいそうな、この世界の下で。 2
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見晴らしの良い広場だった。
壊れた噴水がある。
ボール遊びをしている子供達がいる。投げ合っているボールは良く見ると、リンゴやグレープ・フルーツだった。それをボールにして遊んでいる。
ドラム缶の中に火を付けて、魚を焙っている者達もいた。そして、それに値段を付けて、周りの者達に売っている。そういえば、スラムの中には所々、露店があった。ささやかな生活用品などを売って、日々の暮らしを営んでいる者達が多い。
ジャレスが待ち合わせに支持した場所である、双頭の風見鶏は、まるで戦旗のように地面から生えていた。おそらくは、目印や道標の役割を果たしているのだろう。
ミントとハルシャ、メアリーの三名が広場の中央へと向かう。
ジェドには予め、物陰から狙撃するように指示していた。
「ボール遊びをしている子供。ブラウニー・キッズの一人ね」
メアリーは二人に告げる。
「他にも、瓦礫の中に何名か隠れているぞ」
ハルシャも言う。
「では、間違いなく、ジャレスは此処にいますね。彼が告げた通り」
ミントは杖を手にして、いつでも迎撃する態勢を構える。
「何より気にいらないのは、ジャレス。この辺りはスラムの民間人が大量に住んでいる場所。とても嫌な男だわ」
ミントは全身を小刻みに震わせる。
「それは私がどうにかするわ。勿論、彼らを傷付けずに」
メアリーが応じた。
「奴は何処に隠れていると思う? 建物の中か?」
ハルシャは魔法の詠唱に入った。
三名全員を、煌びやかなドーム状の魔法円が覆う。
魔力増幅。そして、防御魔法だ。
「メアリー」
ハルシャはハルバードを構えて、臨戦態勢に入るメアリーの名を呼ぶ。
「何?」
「俺は物体を強化出来る呪文が得意だ。物の威力の硬度を上げたり、他者の魔力を増幅させる事が出来る。おそらく、お前の幻影の能力の威力も底上げする事が出来ると思う」
「頼もしいわ」
空は曇りだ。
ぽつり、ぽつり、と、雨が降ってくる。
「厭な雨ね」
ミントが言う。
それは突然の事だった。
広場の中央に何かが、投げ捨てられる。
それは、ビニールに包まれた肉や魚。果物。
そして、大量の宝石や金貨や紙幣だった。
降ってきたものを見て、スラムの住民達が物珍しそうに、そして嬉しそうに建物の中から出てくる。敵は……明らかに、スラムの住民達を高価なもので引き寄せて“肉の壁”に使おうとしている。見え見えだった。
メアリーは。
問答無用で、辺り一面に、炎の幻影を生み出した。
「貴方達」
彼女は低い声音で告げる。
「近付いたら、焼き殺すわよ」
メアリーはそう言うと、空を見上げた。
続けて、ミントも天空を見上げる。
スフィンクス。
翼の生えた獅子の頭を持った生物が、空をたゆたっていた。
その生物の背から、何者かが此方へと飛び降りてくる。
刀身の無い剣を手にしたジャレスだった。
彼は唇を歪める。
彼の顔は、ミントを見ていた。
ミントは杖の先から、球体状の稲妻を発射する。
「雨。気持ちいいよ」
ジャレスは落下しながら、両手を広げる。
「ハルシャッ!」
メアリーが叫ぶ。
メアリーの炎の幻影をものともせず、あるいはまだ実体化されていない幻影だと見破ってか、何名かのスラムの住民達が落下してきた宝石や金貨、紙幣を回収しようとしていた。
雨。
雨は地面に落下する前に、氷の針と化していた。
落下してきた宝物を手にしようとしてきた住民達の全身を、針となった氷の雨が次々と串刺しにしていく。
ジャレスはミントの放った雷撃に撃たれながらも、地面に着地する。
「三名共、ご苦労。そして約束を破ったね。もう一人、物陰に隠れているんだね」
ジャレスはとても嬉しそうに顔を上げる。
「予告通り、君達三人にあの時の復讐に来たよ。存分に苦しめて殺して上げる」
そう言うと、ジャレスは刀身の無い剣を振り回し始めていた。
メアリーは跳躍する。
すると、一度に、三名、五名、七名…………、十名以上のメアリーが出現する。
「ほう? 幻影による分身かな?」
ジャレスは刀身の無い剣を降り続ける。
分身が次々と細切れに刻まれていく。
「どれが、本物かなあ~♪」
彼は心底、楽しそうだった。
特大火球がジャレスを襲う。
ミントがドラゴンの吐息のように放ったものだった。
「そろそろ、試させて貰うよ」
ジャレスは意味深な言葉を放つ。
彼は剣を握っていない、左手の掌を、ミントへと向ける。
「何か分からないけど、受けて立つわっ!」
ミントは炎と雷撃の入り混じった魔法を生成して、ジャレスへとぶつけようとする。
ハルシャが跳躍して。
ミントに突進して彼女を押し倒す。
ミントの放とうとした魔法は、ジャレスにぶつけられる事なく、空高くへと飛んでいってしまった。
「ちょっ、ハルシャ、何する…………」
ミントは自分が立っていた場所を見る。
その場所の背後には建造物があった。スラム内の大きな住居だ。
建造物一つが、丸々、消滅していた。
メアリーはボウガンの幻影を幾つも空気中で作成して、ジャレスへと矢を放っていく。
ジャレスは。
自分へと向けられた矢を全て、左手の掌で消し去っていく。
ミントとハルシャは立ち上がる。
「ハルシャ。この男の攻撃、ルクレツィアの魔法なのかしら? ザルクファンドの重力操作のような古代魔法か何か?」
メアリーは離れた場所にいるハルシャに訊ねる。
「分からん。俺は耳にした事が無い」
ミントとハルシャ、メアリーの三名は。
ジャレスが確かに、建造物一つや、生み出した無数の矢を一瞬にして掻き消したのを見ていた。……以前は、使えなかった筈だ。
「で、本人に聞きたいけど。貴方、何したの?」
メアリーは威圧的に、この現象を行ったジャレス本人に訊ねた。
「さあ? くくっ、ふふっ、それは秘密だよぉ」
「まあ。普通、答えないわよね」
メアリーはジャレスを隔てた向こう側にいる、ミントとハルシャに眼をやる。
「この男。“魔法”なんて使っていないわ。私と同じように“超能力”の類を使っている。そうでしょう?」
メアリーはジャレスに再び訊ねる。
ジャレスは答えない、が、その表情は肯定を意味していた。
「サウルグロスも途中で覚醒した。奴独自の特殊なネクロマンシーの超能力。オーロラや暗黒魔法とは別に。この男、私やルブル、そしてデス・ウィングと同じように、超能力の類を使っているわ」
「どう違うの?」
ミントは訊ねる。
「魔法は世界からエネルギーを借りている。魔力が必要みたいね。私達、超能力者の方は、自らの精神エネルギーや生命エネルギーのみを媒介に使っている。そして、調べてみて、腸う能力の方が、この世界の魔法よりも、持続力、威力、応用力が遥かに高いわ」
メアリーは酷く不機嫌そうな顔になる。
「ふふっ。俺はプレゼントを授かったんだ。女神さまから、ね」
ジャレスはそう言うと。
彼の背後から、何やら人型のものが実体化していく。
それは白く清純な衣を纏った、薄い桃色の光を放つ黄金色の髪の女だった。背中には純白の翼が生えている。
「ふうん。それが女神さま?」
「そうだよ。俺をいつも守護してくれるんだ」
ジャレスは左の掌をメアリーに向ける。
瞬間……。
ミントの魔法によって刃の部位が炎と稲妻に包まれた戦斧を手にしたハルシャが、全力で、ジャレスに背後から切り掛かった。
「貴殿のやる事など想定済みだ。性格もな。三名で貴殿との戦いは、散々、打ち合わせしているっ!」
ジャレスが女神と呼んだ“何か”は、全身を真っ二つにされ火ダルマになっていた。そして、ジャレス本人も、脇腹の辺りを深くえぐられていた。
ジャレスは咄嗟にハルシャを避けたが、深く傷を負ってしまっていた。
「惜しいわね。胴を二つに分けるつもりだったんだけど」
ミントは言いながら、両手から火球を生み出す。
メアリーはそれに応じて、両手から鉈を生成する。
「見た処、掌から“存在を消滅させる何か”を放っているみたいね。不可視の剣もやっかい。両腕を切断した方が早いわね」
「頼んだわよ。私は焼き殺す事を狙う」
ジャレスは辺りを見渡す。
「君達、こんなに強かったっけ? それに容赦無いなあ」
しゅん、しゅん。
ジャレスが刀身の無い剣を振るう音が聞こえた。
「悪いけど。二度とサウルグロスの悲劇を起こさせない。ジャレス、私達は全力で貴方をブチ殺す。貴方に一切の希望を与えない」
ミントは両手から二つの火球を放った。
ジャレスは跳躍して、それを避けようとする。
既に空中へ飛んでいたメアリーが。
ジャレスの左腕を鉈で、切断していた。
「惜しいわ。右腕も貰えると思ったのに」
ごろり、と。
ジャレスの左腕が地面に転がる。
ミントは背中から、ドラゴンの翼を出して空を旋回する。
「ちょっと、君達、酷いなあ。とても、とても酷い……」
ジャレスは落ちた腕を回収しようとするが……。
ハルシャの斧がジャレスの喉を勢いよく、切り裂いていた。
「あれ?」
ミントは上空で口を大きく開く。
そして。
彼女はドラゴンのブレスを吹き掛けた。
超高温の焔が、ジャレスの全身を焼いていく。
メアリーは更に追撃としてジャレスの周辺を、彼が脱出不可能なように、巨大な揺り籠状の檻の幻影を作成し始める。
ジャレスは高熱に包まれながらも立ち上がり、檻を壊そうとした。
「今よ」
メアリーは指先を弾く。
それを合図に。
物陰に隠れていたジェドが“他人の死”を振るった。
ジャレスの喉が、勢いよく切り裂かれ、彼の首が地面に転がる音が響いた。
そのまま、ジャレスは死体となり、炎に包まれながら、全身が炭化していく。
後には、黒い消し炭だけが残されていた。
†
「やったわね」
ミントは黒い炭となった、ジャレスの死体をまじまじと眺めていた。
「完全に倒したわ。サウルグロスの時のように、自らをネクロマンシーで甦らせる、という事も無いわ」
メアリーが言う。
「精神体になられたらやっかいだ。一応、警戒しておくか?」
ハルシャは二人に訊ねる。
三名共、まったく臨戦態勢を崩さなかった。
「何か奇妙よ、メアリー、ハルシャ」
ミントが不安げに、二人の顔を見る。
「生きている感じがするの?」
メアリーは訊ねた。
「一応、血の繋がった兄妹だから分かるの…………。どういう理屈か分からないけど、こいつ、この男、まだ生きているわ」
ハルシャが炭化して、もはや人の原型を留めていないものに触れる。
「完全に死んでいる。何かしらの魔力も感じないぞ」
「まあ。もうタダの炭じゃない。こうなってしまうと、ルブルだってアンデッド化出来ないわよ。素材にさえ使えない」
メアリーは腕を組みながら、首をひねる。
「生きている、感じがするの…………」
ミントは折れ無かった。
「ハルシャ。貴方、死んだ者の精神体とか知覚出来るかしら?」
「俺の使える魔法で可能だ。この男は、精神体。所謂、霊体の方も、霧散してしまったみたいだ」
「じゃあ、私達の完全勝利ね」
メアリーは鼻を鳴らす。
「ミント、今日の処は帰るわよ。こうなってしまっては、もう治癒も復活も不可能。貴方の心の迷いや恐怖がジャレスという心の幻を生んでいるのよ」
メアリーはそう言うと、転がっている刀身の無い剣をハルシャへと放り投げる。
「貴方が有効活用して。それ強力な武器なんでしょう? 戦利品代わりに持っていけばいいわ」
「あ、ああ」
ミノタウロスは頷く。
先程まで降っていた雨が、いよいよ、どしゃぶりになっていた。
ジャレスの部下の暗殺部隊である、ブラウニー・キッズ達は動きを見せなかった。三名に慄いて、動けないのかもしれない。




