第四十五幕 犇めく陰謀
1
北東の砂漠の宮殿の中だった。
そこには、昆虫種族達が集まっていた。
オアシスの中、ヤシの木が揺らめく。
ロギスマは死亡したサウルグロスの代わりに、宮殿の主を務めていた。
昆虫種族達の大部分は、ルクレツィア帝都に住居を移したが、何割かは、依然としてロギスマに従っていた。
宮殿の奥。
そこに治療室が設けられていた。
一人の女が、顔の包帯を外しながら、部屋の中にある鏡を見ていた。
「あのドラゴンは倒されたのね」
彼女は右目で、鏡を見据える。
顔半分は酷い火傷痕だった。左眼も潰れている。
「悔しいわ。それで、ロギスマ。帝都の状態はどうなっているのかしら?」
「さあてな。受胎告知の娘、ミントが王女をしているらしいぜ。国王の正当な後継者だからなあ。まあ、もっとも、国民の大部分はいなくなっちまったけどなぁ」
「ふうん? パラダイス・フォールは?」
「壊滅だ。みんな、死体の山になっちまったよ。俺は異世界に行ける力があるから逃げられた。だが、お前はよく生きてられたなぁ。俺は正直、驚いているんだぜぇ?」
ロギスマに従っている昆虫種族の何体かが、代えの包帯などの治療器具を持ってくる。
ミランダは火傷で醜くなった全身を見ながら、やり場の無い復讐心に燃えていた。
「で、これからどうする?」
黄金宮殿の魔王となった灰色の肌の男は、かつて武器商人グループを牛耳っていた女に訊ねる。
「決まっているでしょう? 我々の権力を取り戻すわよ」
「正気かよ? やるにしても。今は伏見の時だぜ。俺はしばらく、平和に暮らしてぇぜ。この黄金宮殿に俺の部屋と金銀財宝が残っていたのは良かったが……。帝都で自慢出来る相手も、使えるものも、全部、粉微塵になっちまったよ」
ロギスマは両手を広げて、途方に暮れる。
「王女を殺すわ」
「俺達二人だけでか? 奴の味方を知っているか? 竜王イブリア。天空樹のヒドラ、ラジャル。盗賊団の主、ガザディス……奴は今や王宮の近衛隊長だ。それに、元王族護衛軍のハルシャ。サレシアも生きている。西の辺りは、ドラゴン達の居住区だ。ドラゴンの軍団も今や帝都王宮の味方だ。王女様を全力で支援するとよ。新たなる時代を作るとか抜かしてやがるんだぜ。魔女ルブルやメアリーも奴らの味方にいる、一応、北の再建を行っているそうだぜ」
「全員、私が殺す」
ミランダは凄んだ。
「てめぇの兵器は壊滅した。作り直す為の設備も無い。それに、お前自身満身創痍だろ」
「ロギスマ」
元貴族であり、武器商人の女は言った。
「核の熱を浴びて、私の全身は毒素に侵されている。おそらく、癌や白血病、それらの病気が臓器に転移していっている。私はもう一度、権力に返り咲きたい。私は死など怖くない。帝都は私達の者よ、私の命が消える前に、奪い返してみせる」
ミランダは、握り拳を作り、鏡を殴り付ける。
「はあ…………っ」
ロギスマは完全に意気消沈して、医務室を出る。
彼はどこか別の世界へと飛び立つ事が出来る。
だが、かの大悪魔ミズガルマは、ロギスマに魔王を継げ、と言って死んだ。
……俺はそんな器じゃねぇよ。小物なんだよ。
彼は途方に暮れていた。
ジャッカルの頭部をした獣人が黄金宮殿に近付いてくる。
彼はどうやら、伝令の仕事をしている者らしかった。
「おい、なんだよ、お前」
彼は宮殿の途中にある階段に座りながら、ジャッカルに訊ねる。
伝令は、ロギスマにある事を告げた。
「……それは、本当なのか……!?」
ロギスマは歯茎を剥き出す。
「元の帝都に戻す準備を整えねぇといけねぇな。だが、俺達は分が悪い、悪過ぎる。帝都で平和に浸かっているゴミ共め。南京虫共め。必ずや、俺達は権力に返り咲いてやるぞ」
ロギスマは喜びの雄叫びを上げた。
2
ミントはベッドの上で眼を覚ます。
悪夢に魘されていたのだ。
「ジャレスが……、生きている……?」
ハルシャとメアリーの帰還によって、その事実が知らされた。
あの残忍な異母兄は一体、何を画策しているのだろうか。
それに。
ハルシャいわく、以前よりパワーアップしていると言っていた。なら、どうすればいいのか。ミントもあの時よりも強くなった。以前のジャレスならばミント一人でも五分以上の戦いに挑めるかもしれない。
だが。
……敵の能力は未知数だ。まるでどんな力を発現させたのか分からない。その正体を見破れずに敗走して申し訳ない。
ハルシャはそう言っていた。
だが、ミントはそれよりも彼の身の安全に喜んだ。
メアリーは傷の治療の為に、スフィンクスに跨り、北にいるルブルの下へと向かったとの事だった。
彼女は王女と振る舞わなければならないが、その際の戴冠式はとても些細なものだった。ルクレツィアの復興を宣言したが、彼女一人では心許ない。そもそも宮殿に住まう従者達の殆どが死に絶えてしまった。今は各ギルドのメンバー達が協力してミントを支えている、という状態だ。特にガザディスとサレシアには、かなり世話になっている。二人共、多くの部下を失いほぼ、ギルドが壊滅している為に、積極的にミントに協力してくれた。他にも天空樹のラジャルも、その部下達を派遣してミントの手助けをしてくれた。政治、経済、福祉、医療、教育、商品の流通、施設の復興、事務的なものは山積みだ。どう考えても、ミントの手に負えるものではない。
とにかく、人材がいる。
そして、それぞれの技能を駆使出来る者が数多くいる。
ルクレツィアの復興は長引くだろう。
だが、ジャレスが行動を起こしたら……?
彼はおそらくミントを狙っている。
そして、ミントの周辺の者達の命をも奪いに来るだろう。奴はそういう男なのだから。
周到な準備をしておかなければならない。
ジャレスを迎撃する為の……。だが、どうやって?
彼女は部屋の中で頭を抱え込んでいた。
ドアがノックされる。
ミントは寝巻の上に簡素なガウンを羽織る。
「入っていいかしら?」
老淑女であるサレシアの声だった。
「どうぞ」
ミントは答える。
クレリックの純白の衣装を纏ったサレシアは重々しそうな顔で言った。
「王宮の前に人間の死体が転がっていました」
「それで?」
「はい。彼らの人体に傷で文字が描かれていました」
ミントはサレシアがこれ以上言わずとも理解した。
「やはり…………、私の異母兄ですか?」
「ええ。ミント、ハルシャ、メアリーの三名ともう一度、戦いたいと。三人で来い、場所は…………」
サレシアは少しだけ言い淀む。
「場所は?」
「大スラムがあった場所です。そこで待つと」
このクレリック達の長は神妙な顔をしていた。
「大スラム。あの場所は、入り組んでいますね」
ミントは言う。
「はい。あの場所はサウルグロスの攻撃によるダメージが比較的少なく、今も以前のように入り組んでいます。出来れば、道に詳しいガザディスを同伴させたいのですが……」
「私とハルシャ、メアリーの三名で来い、でしょう? 他に連れてくるなと、何らかの脅迫行為が伝言には書かれていたのでしょう?」
「はい。……それにしても、ジャレス。次期国王だった男。……やはり、貴方が王女に戴冠して良かった」
ミントはクローゼットから、青いワンピースを取り出して着替える。
「メアリーが治療から戻るまで待ちます。それくらいの時間なら、おそらくジャレスも許容するでしょうから」
ミントは頭に向日葵を模した髪飾りを付ける。
そして、壁に立て掛けてあったクレリックの杖を手にした。
「奴を倒さなくては。それにしても、あの滅びのドラゴンに殺されれば良かったのに」
そうミントは露骨な本心を口にした。




