第四十三幕 帝都の復興。忍び寄る影。
ルクレツィアには、しばらくの間、平和が訪れていた。
破壊された街々や村々は徐々に復興が始まっている。
ミントとジェド、そしてハルシャとメアリーの四名が帝都の通りを歩いていた。
露店でミントが菓子パンを買って、他の三名にも渡す。
「でも、本当にみなさん、よく頑張りましたね」
今や、帝都の王女となった少女ミントは、みなに満面の笑顔を振りまく。
国王は死に、正式な国王の継承者であったジャレスも死亡したと見なされて、国王の愛人の娘であるミントが王女に戴冠したのだった。生き残っている者達に異存は無かった。
「それにしても、これからどうするんだろうな?」
ハルシャは青空を見ながら訊ねる。
「それは、私達が作っていくしかないんじゃないですか。これからのルクレツィアの未来を」
「未来か」
堅物なミノタウロスは眉間に皺を寄せる。
「結果としてギルド同士は結束し、帝都の暴政も無くなりました。だから、ほら、私達の未来は希望に満ちている筈です」
「そうだな。本当に、俺は心からそう願う」
西の方面では、ザルクファンドを中心としたドラゴン達が統治し、復興を進めていた。ルブルとメアリーは領土こそ彼女達の所有物という事になっているが、破壊する方に喜びを見いだせるが、創造する事は出来ない、という理由で、北の辺りの復興を生き残った他の者達に任せた。
「ジェドもなんだかんだで頑張りましたね」
そう言いながら、ミントは少年の頭を撫でる。
ジェドは顔を真っ赤にする。
「ははっ、ミントさん、いえ、その…………」
「それにしても、私は平和な時代、平和な世界というものを知らないわ。皆が一致団結して、幸せに生きる。そんな日が来るなんて思わなかった」
「まあ、ドサクサで夜盗の群れも結成されているらしいがな。ガザディスが上手くやっているそうだ。奴は盗賊の先輩だからな。新たに生まれた外れモノの教育には熱心だそうだ」
かつて邪精霊の盗賊団の主であったガザディスは、今や、立派に王宮の近衛隊長を務めていた。
「しかし、いいの? 王女様がこんな処で歩いていて」
「いいのよ、メアリー。私は国民達が頑張って生きていく姿をこの眼で見てみたい。ずっと願っていた事だから。これからは私が、私達が平和な時代を作っていく。出来るだけ多くの人々が幸福になれる世界を」
「ふうん。まあ、サウルグロスのお陰ね。あの暗黒のドラゴン、結果として、この世界を汚いものを浄化してしまったわけねぇ」
メアリーは淡々と述べる。
彼女としては、何だか毒気を抜かれてしまったみたいだった。
「処で……」
メアリーが他の三名に告げる。
「私達、尾けられているわね」
彼女はぽつり、と言った。
ハルシャは頷く。
「やはり、か。心当たりは……?」
「さあ? ギルド同士は一応、仲良くなったんじゃないの? まあ、私個人へ復讐したい輩がいるかもしれないから」
メアリーは舌舐めずりをする。
「解せないな。俺達全員に何かしらの敵意を感じるが」
ハルシャは顎に手を置く。
「まあまあ、二人共」
ミントは困ったような顔になる。
ふと。
メアリーは何かを左手で受け止める。
同時に、ハルシャもミントとジェドを背中から押し倒し、屈んだ。
メアリーはつかんだものを、他の三名に見せる。
「これ、毒矢よ。先端の部分がナイフになっている」
そう言いながら、メアリーは、自らのどろどろに溶けつつある掌を見せた。
「メアリーさん。大丈夫なんですか!?」
ジェドが訊ねる。
「さあ?」
メアリーは何故だか、穴の開いた掌を見ながら、淡白な反応で返す。ハルシャには、彼女が敵の攻撃の手段や毒の種類を分析している事が分かった。
「分かったわ。矢に塗られている毒の種類は特殊な強酸。当たるとダメージが広がるみたいね。まあ、致死毒では無いって事は、私達を多少、痛め付けて捕縛したいのかも」
メアリーはそう説明する。
土建屋達によって少しずつ再建しつつある街並みの中、木材が積まれた場所に、人影が見えた。
腰に弓矢を手にしている。
まだ、幼い少女だった。
彼女は魔法使いのようにフードを被り、全身をマントで纏っていた。
「あいつか」
ハルシャは言う。
「あら。好みの子よ」
メアリーは舌舐めずりをする。
少女は矢をメアリーの頭に放った。
メアリーはこめかみ辺りに、矢をかすらせる。盛大に血が飛んだ。メアリーは真っ赤に染まったメイドのホワイトブリムを地面に投げ捨てる。彼女の首筋の辺りも、毒矢で射抜かれていた。
メアリーは首の矢も抜き取る。
「感じてきたわ。下半身、どろどろに塩垂れてる。ショーツ、びしょびしょ」
メアリーは楽しそうに唇を裂けたように歪める。
手にしている戦斧を軽く振り回してみせる。
「あの、ミントさん。女の人が性的に興奮した顔って、あんな風になるんですか?」
「多分、違うでしょ。……ってか、私に恥ずかしい事、聞かないで」
ジェドとミントは、メアリーが性欲全開で興奮している顔を見て、かなりドン引きしていた。メアリーは唇を歪ませて、両眼が殺気立っている。そして、ずぶり、ずぶりと、毒矢をかすめたこめかみを掻き毟っていた。
「ちょっと、手足刻んで生け取りにしてくるわっ! 誰の刺客か吐かせるのっ!」
「待て、俺も付いていく。明らかに罠だ」
「私一人であの子を辱めたいのっ! 私もあの子に性的愛撫をしたいっ!」
「ふざけるなっ! 頼むから正気になれっ! 俺達全員が危険に晒される」
ハルシャは真顔でメアリーの狂態を止めようとする。
ミントとジェドは顔を引き攣らせながら、菓子パンを食べていた。二人の間で、何とも言えない沈黙が続く。
しばらくして、ジェドがパンを食べ終える。
「美味しいですね、これ……」
「あ、うん。ルクレツィアは復興しつつある。生き残った国民は少しずつ生活を取り戻しているわ」
「こんな平和がいつまでも続くといいですね」
「あ、そうね。ジェド…………」
ミントは何処かしこりのようなものを抱えていた。
何か、とても嫌な予感がする。
ジャレス……。
彼は本当に死んだのだろうか?
†
「邪教崇拝のギルド、暗黒魔道士達の育成に勤しんでいた『呪性王』の拠点?」
ハルシャとメアリーは首を傾げる。
闇の天使シルスグリアも、彼女が育成していた暗黒魔道士達の代表者であるシトリーも、先の戦いで命を落としたと聞く。その後、他の暗黒魔道士達は散り散りになったらしい。まだ、此処を拠点にしているギルドの者達もいるかもしれない。
だが。
この闇の神殿は、サウルグロスとの戦いにおいて、大破していた。ボロボロの廃墟と化している。隕石が衝突したり、死霊術によってアンデッドが生きている者達を喰い散らかした痕まであると聞く。
「前に来た事があるわ。此処で、闇の天使に会った。でも、どうもさっきの子、私が行った事の無い階段を降りたみたいね」
メアリーは冷静になって分析していく。
「そうか。俺が先頭になる。罠だった場合、対処する」
「私が先頭の方がいい気がすると思うけど」
「いや、お前は俺の背後で支援してくれ」
「ふん、女の人は弱いだろう、って考え丸見えよ。私が前に行く。それに、以前、入った事があるから、以前通った道に出たら教えられる」
そう言うと、メアリーが前方になり、階段を降りる事になった。
ハルシャは松明に火を付けて辺りを照らす。
何名かの人影が集まってくる。
「これは、これは」
「この廃神殿で何をやっているかと思えば」
手に山刀や弓矢を手にした男達だった。
「お前達は?」
ハルシャは微動だにしない。
「俺達はヤミヘビガラス。盗賊団だ。邪精霊が解体され、帝都に付いた今、俺達は奴らの代わりに賊を働けるってもんだ」
どうやら、五名程の男達みたいだった。
「先を急ぐ。この先に何があるか知らないか?」
ハルシャは明らかに面倒臭そうな顔をしていた。
盗賊団の者達は、ゲラゲラと笑っていた。
メアリーは始めから、彼らに何の興味も持っていなかった。
「ハルシャ」
「分かっている」
「この辺りに潜んでいるわ。様子を窺っているわね」
「こいつらヤミヘビ何とかは何だと思う?」
「囮。泳がされている。私達の出方を窺っているわね。私達の力量を図りたいのかしら。もっとも、この盗賊団とか言う奴らはその自覚が無い」
髭面の大男が、大きな剣を抜いた。
「ガザディスには嫌な気分にさせられていたんだ。何が盗賊の間にもルールが必要だあ? 俺達にルールはいらねぇ。奪って、楽しむだけよ」
男は凄んで見せる。
「哀れね。自分達が何か上位の存在に操られているだけとも知らずに」
メアリーがぽつりと言った。
盗賊団ヤミヘビガラスのメンバーの一人が、巨大な大蛇を召喚する。蛇の怪物が、二人へ襲い掛かっていく。
ハルシャは難なく、蛇の攻撃をさけた。
メアリーは自分の幻影の分身を作って、分身を攻撃させた。
「先を急ぐわよ」
メアリーはミノタウロスに言う。
「ああ」
完全に盗賊団ヤミヘビガラスは、二人によって無視された。
後ろで屈辱の怒声が湧いている。
「小鬼のように動き回る何者かがいる。複数。何かしら、私達を明らかに狙っている」
「帝都の覇権を欲している者達かもな。心当たりは…………」
ハルシャは呻いた。
ルクレツィア中で、滅びのドラゴンから世界を守った者達が、今やこの世界を統治している。それを快く思っていない者達も多い。大ギルド同士は和解し、パラダイス・フォールズも消滅したが、各地で夜盗達の集団が少しずつ生まれつつあると聞く。やはり、帝都の再建は早めた方がいい。山賊、盗賊、夜盗、その他の犯罪者といったものは、崩壊した国家の中で、食うに困った住民の中から生まれてくるのだ。
二人は地下通路の奥へと進んでいく。
どうやら、此処は、ヤミヘビガラスのアジトになっているみたいだ。あちこちに生活臭がする。テーブルに食器、食べ掛けの食べ物などがある。
地下の荒れ果てた大聖堂の中に、二人は辿り着く。
ハルシャが止まった。
メアリーも気付く。
二人共、互いの巨大戦斧を構える。
「私達を狙っているわねぇ」
メアリーは気だるそうに言った。
「気配は五、六……、いや、十名以上にも増えている」
「一人捕まえて何者か吐かせましょうか?」
「……止めてくれ」
ハルシャは溜め息を吐いた。
「見つけたぞっ! てめぇらっ!」
ヤミヘビガラスのメンバーである大剣を持った大男が、二人へ襲い掛かってくる。
「おとなしく、俺達にやられろっ!」
大男は。
突然、細切れの肉塊になる。
ハルシャとメアリーは身構える。
「何だ?」
「鋼鉄製の糸」
メアリーは呟いた。
ハルシャは薄闇の中、浮かんでいるものを見る。
それは鋭利な糸だった。
それらを大男に巻き付けて、一気に引き、全身を細切れにしたのだった。
物陰を徘徊する人影が少しだけ姿を見せる。
それは年の頃、十歳程度の少年だった。
「子供……?」
ハルシャは首をひねる。
「先程、街頭で私達を毒矢で襲撃したのも小さな女の子だったわねえ」
メアリーは戦斧をかざす。
「まあ。虫みたいに動くから。ちょっと、あぶり出すわ」
ハルバードの尖端の槍になっている部分から炎が放出される。
地下聖堂一帯が炎に包まれていく。
潜んでいた何名かの者達が現れた。
全員が十歳前後の子供達だった。
彼らは手に手に、それぞれの得物を構えている。
「ようやく出てきたわね」
メアリーはそう言うと。
幻影で作成した炎を一瞬で消す。
「まるで、手品みたいだね」
子供の一人がメアリーに訊ねた。
「ええ。私、幻影使いだから。もっとも、幻影を実体化させる事が出来るわねえ。このまま、貴方達を焼死体に変える事も出来たのよ」
彼女は飄々と言う。
「処で」
メアリーは戦斧の柄を地面に突き立てて宣告する。
「貴方達を雇っている者の名を吐け。命だけは助けてあげるわ」
彼女は嬉々とした顔をしていた。
……あの可愛い女の子だけは、ちょっと手足の一、二本。皮膚や耳を削ぐけどね。
そう言いながらも、自らの性的欲求だけは満足させるつもりでいた。
†
「貴方達、何者?」
ミントは次々と殺害された民間人の死体を眺めながら憤りを隠せなかった。
路地裏や屋根を伝って、何者かがミントとジェドの二人を狙撃してきている。その際に民間人を無差別に殺し回っている。
「取り替え子」
小さな人影の一人が言った。
弓矢やジャベリンなどの狙撃用の武器によって、敵は二人を狙っている。
「ミントさんっ! 此処は俺が囮になりますっ!」
ジェドは叫ぶ。
「いや、いいから、ジェド。私は大丈夫だから、それよりも私の傍から離れないでね」
ミントはジェドの熱い思いを軽くあしらった。
ジェドは少しだけ傷付いたように、しょぼくれる。
「ジェド」
ミントはジェドを抱き締める。
「ミント、さん……?」
ジェドは顔を真っ赤にした。
「飛んで逃げるわよ」
彼女は背中を大きめに露出させたワンピースを着ていた。彼女の背中からドラゴンの翼が生える。ミントはジェドをつかんだまま、そのまま空高く舞い上がる。
弓矢が次々と二人に向けて放たれていく。
ミントは右手を構える。
「邪魔っ!」
彼女の掌から、幾つもの球体状になった稲妻が生まれて、辺り一面に巻き散っていく。二人を狙撃した者達は物陰へとすぐに隠れる。
「このまま、宮殿に向かうわ」
「あの、メアリーさんとハルシャさんは……?」
「あの二人なら大丈夫でしょう。二人共、私達の方を心配していると思う」
彼女は帝都の空を飛んで逃げる中、舌打ちする。
「敵の素性を聞いておくべきだったわ。答えてくれるか分からないけど」
メアリーなら、拷問してでも調べ上げるだろう。
ミントはメアリーとハルシャの帰還を待つ事に決めた。
だが……、心当たりはある。
やはり、生きているとしか思えない。
あの忌まわしい異母兄が……。




