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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
37/189

P36 非情と実相の内側で




 全身がしびれて、使いものにならなくなりそうなおぞましい絶叫がそのとき、響いた。





 その瞬間に起こったことを、ニースは俄かには理解することができなかった。

 個としての許容量など軽く超えそうな大音声に、聴覚どころか視界すら一瞬真っ白になった。壮絶な吐き気とめまいとともに視界を取り戻した時には、その根部に張り巡らされていた氷の魔術が、木っ端微塵に砕け散ったあとだった。

 有り得ないはずの光景に愕然としたのは、決してニースだけではない。

 一人二人の魔術ならともかく、このオルグヴァル【崩都】級の「開花」を防ぐべく紡がれ続けていた魔術は、魔術師団の魔術師二小隊分の魔力が持続して込められ続けていたものだったのだ。オルグヴァル【崩都】級よりさらに上の魔物ならともかく、普通のオルグヴァル【崩都】級が破れるはずもない、ものだったのだ。

 有り得ない。有り得ない。有り得て良かろう、はずもない。

 しかし目前の現実は、いくら否定しようと決して変わることなどなくあまりに、壮絶だった。


「…っうわあああああああ!!!」


 最初に声を、あげたのは誰か。それは魔術師団のものか、あるいは騎士団のものか。

 どちらでもいい。どちらでも招かれる結果に変わりはない。あまりの事態に半ば我を失い立ちすくみ、本来の自分らが取るべき行動を魔術師たちは忘れた。或いは統制も命令も何もかも忘れて逃げまどおうとした。

 そんな無力な人間たちへと、その身を喰らい尽くさんとする、壮絶な本数の触手が大挙して、押し寄せる。

 呆然と状況を眺めていた、ニースはしかしその直前で思考を己の目前へ取り戻した。迫る触手、慌てて詠唱を破棄した氷壁の術式を彼は展開―――襲い来る触手の数があまりにも多すぎる、間に合わない。

 何とか一人分だけ完成した氷壁が、刹那に鳴らすのは破砕音。

 触手がぶつかるその瞬間、氷は触手もろとも、甲高い音を立てて欠片すら見えなくなるまでに一気に粉砕された。


「あ、あああ、あ、」


 ぴくぴくと、おそらく不随意にであろう「誰か」の指が視界の端で動く。

 その一瞬前には魔術師であったものたちを物言わぬ串刺しの屍へと変え果てた触手は、ニースが新たな氷刃を顕現させるのをすら待たずにひと息にそれらを己の元へと、がばりとおぞましく開いたその大口へと引き込み―――喰らいついた。


「……っ!!」


 成長の抑制を解除された、その根部が急激な伸長を開始する。ぐちゃり、ばきりと容赦のないぬめった鈍い音が響き渡っているのは、詳しく考えたくもない「それ」の大口の中で展開される惨劇ゆえだ。

 己の触手もろとも魔術師たちを喰らったオルグヴァル【崩都】級は、それまで何度も何度も潰され続けていたその両翼を瞬く間に、最初にニースが目にしたものとは比較にならないほどの大きさで再生した。

 文献の隅に参考として、小さくしか記載されてはいなかった「事実」に愕然とする暇もない。ギゲェエエエアアアア、歓喜めいた魔物の絶叫、痺れたままの鼓膜が更に麻痺していくような感覚、…その翼が生み出す、烈風。

 その風もまた、それまでニースたちが受けて来たものとはまるで比べ物にならない。

 立て続けに絶え間なく押し寄せる猛烈な風に、魔術の使用にただならぬ疲弊を蓄積した今のニースの身体は耐えきれなかった。


「…ぐはっ!!」


 圧力に負ける、吹き飛ばされる。

 瓦礫にまともに背をぶつけ、しかし痛みに顔をしかめる時間すら惜しんでその場からひと息にニースは跳躍した。ぎしりと胸の内側で骨が軋む音。恐ろしいまでの肉体への負荷を感じつつも、しかしそれが決して間違いではなかったことは、すぐさま明らかになる。

 命が刈り取られる、絶叫。烈風にニースと同じように吹き飛ばされた騎士や魔術師の多くが、その一瞬にして彼らへ降り注いだ、或いは地面から這い出てきた触手の犠牲になった。

 鉄錆びた噴き出る血の匂いが、瞬く間にこの場の空気全体を容赦なく蹂躙する。

 その直撃から回避したはずの、ニースすらその蹂躙の例外とはならない。縦横無尽に動くものへと飛びかかってくる触手。その猛撃に、他の人間と比してみれば、相当な強化を施しているはずのニースの防護の術式すらぴきりと、ひび割れた。


「…っ一刻も早く、第三位階未満の騎士および魔術師は下がれ!!」


 声を張り上げたその瞬間、肺腑に突き刺さるような痛みを感じ思わず、ニースはえづきかけた。

 先ほどの回避運動のときから既に感じてはいたが、やはり。どうやら先ほどの瓦礫との衝突で、骨かどこかがどうにかなってしまったようだ。

 しかし今、こんなところで己が引き下がるわけにはいかない。分かっている。分かり切っている、ただのそれは事実だ。

 彼の主の術式は、既に砕け、そしてまた異なる誰か団長によって再度同じものがこの場に張り直された。だがここまで予想外が続いてしまうと、たとえ団長の扱う最上級の防護結界であっても、この異常のオルグヴァル【崩都】級のすべてをその内側に封じ込められるかどうか。

 歓喜の咆哮をあげる、魔物の「芽」が伸びる。非常識なまでの速さに、背筋がざわついた。

 しかし現在のニースに、この場から逃げだすという選択肢はだからこそ有り得ない。たとえこの場は逃げ出せても、この魔物、常識という常識が通用しない、一体どうやってか奇妙な進化を続けるオルグヴァル【崩都】級を倒さなければ結局の意味はないのだ。さらに言うならこんな、何もかも文献の頼りにならぬモノの「開花」など、そのかけらも想像に及ばないような惨劇しか待っていないだろうことは予測がつく。

 何としてでも「開花」の前に、これを討伐しなければ。

 本来この国にあるはずの未来は、確実に最低に蹂躙され、絶たれる。


「【我が意志の具現たる真紅の焔火、今我の眼前とす彼の邪悪を打ち祓う煉獄となり、顕現せよ】!!」


 それは誰に言われずとも、まともな思考能力を持つ者であれば分かっていることだ。この場でまだまともな思考能力を保持している者など、周囲の阿鼻叫喚を見れば一目瞭然であるが。

 そんな彼の思考を薙ぐように、不意にニースの後方より勢いよく炎の魔術が放たれる。狂乱すらわずかに鎮めたそれは、さらにさらにと何重にも連なり襲来する烈風の壁すら貫き、魔物へと衝突する。燃え上がる。

 上へ上へと、ひたすらの伸長を続ける魔物の「枝葉」。

 猛烈な勢いで燃え上がった、それにわずかに、ニースは眼鏡の奥で目を見開いた。


「…よ、ニース。どうにもやばい状況だな」

「そう認識ができるなら、私に話しかけるよりも先に、まずすることがあるだろう」


 こちらに向かって駆け寄ってくるのは、同級のよしみという名目で今でもなぜか付き合いの続く一人。

 いつもへらへらと緊張感のない表情を浮かべているはずの彼の顔にすら、しかし今はまったく余裕がない。無論ニースもまた然りだ。

 ひどく混迷する場において、暗闇を引き裂き轟々と燃え上がる「赤」という色彩をもって燃え上がり魔物が苦悶の絶叫をあげる、その光景はどんな言葉を連ねるより明白な指令であった。

 彼の魔術が皮切りになったかのように、あちこちから炎の魔術を詠唱する声が響きはじめる。

 仮初にも、混乱はわずかにだが一つの方向へと収束する。――燃やし尽くせ。


「おまえらしい、やり方だな」


 傍らの男に苦笑する。その成長を最低限に留めていた氷の魔術が砕かれてしまった以上、今の自分たちができるのは出来る限りに強い炎によって、上へ上へと伸びようとする、一刻も早くその頂上に花を咲かせようとするオルグヴァル【崩都】級の妨害をすること。それしかない。

 どうしてかこの場に戻ってこない、己の主をニースは思った。

 彼女の焔さえあれば、それを核とした複合の魔術を発動しあれを焼きつくすことも不可能ではないだろうに、と。


「時にニース。おまえ、お嬢様はどうしたんだ?」


 というかそもそも、凄まじいボロボロだな。

 また新たな術式を手の内で隙なく構築しつつも、実際にその口から紡がれるのは常とあまり変わらず軽薄な声と言葉だけだ。それはむしろこちらが聞きたい、反射的にいい返しそうになった言葉をぐっと抑え、必要最低限のそれだけを彼は声に乗せた。


「うるさい。今は奴を倒すことだけに集中しろ、エネフ」

「分かってるさ。言われなくともね」


 傍らの男――第八騎士団副長エネフレク・テレパストは、ニースの辛辣な毒舌にもただ笑った。

 笑ったかと思えばニースの方へにふわりと彼は手をかざす、身体がわずかな白い光に包まれた瞬間、呼吸がだいぶ楽になった。

 一つ深く息を吐き、おまえのところの団長はどうしたと、そう言いさして途中で言葉をニースは止めた。己の身分をかさに着た小心者の第八騎士団長が、こんな誰もの予想を裏切る状況を見て、逃げ出さないはずも、ないか。

 そんなニースの思考を読んだかのように、ニヤリとエネフは笑ってみせた。


「あんなののお片付け程度、自分のようなものが出る幕ではない、とよ」

「…そうか」


 次々に叩きこまれる魔術に、ようやく襲い来る触手の乱舞が緩む。その隙を見逃さず走り出した騎士たちの剣に槍に、魔術師たちは炎の術式を宿す。多くの術式紋がまるで華のように中空へと開く、オルグヴァル【崩都】級との交錯の瞬間、それまでよりさらに規模の大きい炎の爆発が起きた。

 爆ぜる炎の爆音を、魔物の絶叫が即座にかき消す。触手の動きが遅い、切り刻まれる。数人分の風が連なった刃が、その背におぞましく広がる翼の、一方を切り落とすことに成功する。

 しかし、足りない。――足りない。


「【我導くは零下の氷刃、(あまね)く暴魔を断罪す、(ひょう)を纏いし透なる剣】」


 あまりに足りない。時間が、力が。

 どんなに何度潰されようと、伸びることを止めない枝葉。誰がどこから燃やそうと、一瞬ののちにはまた同じような高さにまで伸長する破滅への階段。

 何度目かに撃ち放たれた複合の炎の魔術に、どう、と大きな音とともにオルグヴァル【崩都】級はその場に後ろに倒れた。

 しかしそれでも、足りない、足りない。

 本体の攻撃も防御も棄て、ひたすらの伸長を続ける枝葉を止めるにはあまりに、時間が足りない。


「【凍てつく楔と今成りて、彼の邪黒の真芯を穿て】…っ!!」


 ひたすら伸び続ける枝葉が、とうとうオルグヴァル【崩都】級の眼球の位置にまで到達する。

 少しでもその成長の障りになることを願いつつ、創出した複数の氷の刃をニースは、魔物の目に向かって力の限り投擲した。

 狙い通りに突き刺さるそれに、ギャアアアアア、と恐ろしい絶叫が新たに上がる。

 すかさず過たずその場所につぎ込まれたエネフの焔が、わずかに伸長の度合いが鈍った枝葉の先端を塵すら残さず、焼き払った。


「ニース。ほんとうにお嬢様はどうしたんだ」

「…分からない」

「分からない? おまえがか」


 至極意外そうな声を向けられたのが、どこか癪に障るが事実なのでそうだと肯定を返す。あえてこんなことを聞いてくるエネフが言いたいことなど、彼とて分かり切っていたからだ。

 そして言葉を交わす間にも、決して止まることなく枝葉は上へと向かって伸びていく。響き止まない魔物の叫びは、彼らの耳どころか思考すら麻痺させんばかりにおぞましかった。

 伸長の速度は、開始の当初から考えればやや鈍くなってはいる。しかしそれでも足りない。今ここに存在する火力だけでは、オルグヴァル【崩都】級本体を倒すことはできても、「開花」までにその討伐を間に合わせることができない。

 お嬢様。最年少の団長ながら、既にこの国最強の焔遣いとも綽名(あだな)される己の主をニースは思う。

 あなたはいったい今、どこで、なにを。


「まずい…っ!!」


 詠唱の合間、響いたその声が誰の上げたものだったのかは知らない。しかしただでさえ切羽詰まった表情であったその場全員の顔が、今度こそ完全に色という色をすべてなくした。

 頭部の頂上へ、枝葉が伸びる。もはや何かも分からぬ飛礫が投げつけられ刃が枝葉を刻み、襲来する焔がすべてを燃やそうとする、魔物のさらなる絶叫が響き渡る―――止まらない。

 オルグヴァル【崩都】級の全身が、その全てを一点に集中させるかのように急速に(しな)びていく。すべての集中する一点とは無論、魔物の頭部、濁った緑のつぼみらしきものが形づくられ始めたその部分だ。

 間に合わない? 現実になっていく悪夢に、思考すら凍りつきかける。

 あらゆる魔術の驟雨(しゅうう)の中、蕾は決して朽ちることなく。

 その色を徐々に、そして確実に赫めいたものへと変化させていく――





「――――――【この手が抱くは殲魔の光。暁降(あかときくた)ちに陽を告げる、始原の未来(さき)への一閃なり】」





 (あか)に色づいた花弁が、今にも開こうとした瞬間。

 その中心を貫いたのは、決してここにはあるはずのない何にも侵されることのない「白」だった。




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