第25話・・・侮辱/フォース・・・
哉瓦は腹から肩にかけて負った鋭い切り傷を左手で押さえながら、刀を支えに起き上がった。
血がぽたぽたと地面に落ちる。哉瓦の左手はもう血まみれだ。
「まだそれだけの元気があるとは。さすがですね」
哉瓦が疲弊しきった目をキイルに向ける。
礼儀正しい佇まいのキイルは、刀の血を紙で拭いながら目を合わさず喋り掛けてきた。拭った紙は宙に放り、ひらひらと舞い落ちる。
そして刀の切っ先と共に目を哉瓦と合わせた。
哉瓦は呼吸を整えながら考えた。
(何が起きた? 仮に俺と奴の気量が天地の差だとしよう……それでも、あいつの刀に纏ってた気量は大したことはなかった…! あの量なら俺の防硬法で問題なく防げたはず…)
考え抜いても混乱するだけ。
でも一つだけ確かなことがある。
哉瓦は傷口を〝火〟で軽く焼き、出血を無理やり押さえた。
そして刀を改めて構え、集中力を一瞬で極限まで高める
(どんな司力か知らないが、当たらなければ意味がない!)
「舐められたものですね」
「?」
その場から動かず、刀を構えるキイル溜息交じりにそんな声を上げる。
「貴方の考えていることは大体分かりますよ。…どんな司力か知らないけど、防硬法を破ってくるのは確か。だったら当たらなければいい。大方そんなところでしょう?」
図星である故に、哉瓦は言葉を噤む。
キイルはまた溜息をついた。
「私が、それほどの深手を負った相手に遅れを取ると、本気で思っているのですか?」
瞬間、キイルが加速法を使い、一瞬で距離を詰めた。
(速い!)
両手で持つキイルの刀が振り下ろされる。
哉瓦は頭上で刀を横にして防ぐ。カキン、という金属音が響き、キイルの刀が弾かれる。だがキイルの刀はそのまま円を描くような流れる動作で、哉瓦の脇腹に鋭く切り込んでいく。頭上に上げた刀では防ぐのに間に合わないと判断し、バックステップでかわす。キイルの刀が腹の十数センチ前を通過した。
哉瓦は後ろに下がりながら刀を振り下ろし、炎の斬撃を飛ばす。火は〝放発〟によって増幅していき、視界を真っ赤に染めた。
「貴方は本当に愚者ですね」
「!?」
後ろから、穏やかで冷ややかな声がした。
「そんなことをしては自分で敵の姿を視界から消しているようなもの。愚かとしか言い様がありません」
哉瓦が力任せに振り向くと、そこには切り裂かんと居合切りをするキイルがいた。哉瓦のバックから放たれる炎の灯りがキイルの姿見と刀を全体的に朱に照らしている。それが地味に哉瓦の恐怖を煽った。
(刀じゃ間に合わないっ。防硬法はどういうわけか通じないッ。何とかかわすしか)
だが、そんな余裕などなく、再び宙に鮮血が舞った。
辛うじて哉瓦は右腕で庇うことで胴体への傷は僅かで済んだ……が、
(右腕はもう使い物にならないな)
だらっと、右腕を垂らし、止めどない血が流れ出る。
哉瓦は歯を食いしばりながら視線を前に向ける。
そこには追撃をせずを余裕の笑みでこちらを見据えるキイル。
目の前に敵に対する感情が歪むのが自分には分かった。
(……………………………………………………………でも、)
哉瓦の目付きが変わった。
そして、確信の声音でキイルに言った。
「おい。それ、妖刀だろ」
「! おやおや…」
キイルの表情が初めて不意に変わる。驚きの表情に。
図星かどうか見抜く観察眼を哉瓦は持ち合わせていない。
でも、確信できるだけの根拠が哉瓦にはあった。
キイルは穏やかな笑みで哉瓦に問い掛けた。
「理由を聞いても? まさかとは思いますが、「俺の防硬法を破れるなんて妖刀しかない」などという理由ではありませんよね?」
「違うよ」
キイルが僅かばかり危惧していたことは杞憂に終わり、哉瓦は今斬られた右腕を肘を曲げて上げた。
「最初に斬られた時も変な違和感はあったんだが、今ので確信した」
「斬られて妖刀から放出されている負の気を感じ取りましたか? 抑えていたつもりなんですけどね」
「……俺は5年前に妖槍で斬られたことがあるんだよ。妖具っていうのはどれも気分が悪くなるような気を発してる。俺なら斬られれば、例えどんなに抑えたとしても妖具特有の禍々しい気を感じ取ることができる」
「……なるほど。一度斬られたことによって負の気に敏感になったということですか」
妖刀であると認めたキイルに、特に意に返した様子はない。
ばれたところで問題ないといった様子だ。
哉瓦はキイルに軽蔑の視線を向けた。
「妖刀なんてものに頼るなんて、剣士失格。お前の太刀筋は綺麗だったよ。俺に傷を負わせた司力も正直凄いと感心したところもあった。敵ながら天晴だと思ったよ、ほんと。……でもがっかりだ。…なあ、そんな物の力で勝って嬉しいのか?」
妖具は邪法によって生み出された武器。
精神を侵されていないのは大したものだが、本来の道から外れた方法で大きな力を得たことに変わりはない。
努力を怠った者を、哉瓦は軽蔑する。
ぱちぱちと、キイルが瞬きをした。
哉瓦の目が訝し気に細む。
その瞬きに黒い感情は見受けられなかったからだ。
ただ、純粋に、驚いているようだった。
「………………………………本当に愚者なのですね」
「? どういうことだ」
哉瓦の疑問に、キイルはまたも溜息をつく。
「貴方が今言ったではないですか。『抑えた』、と」
「?」
「はあ」
キイルからは刀を持たない左手で額を押さえた。
その行動に演技は一切含まれていないように思えた。
「貴方の言う通りこれは妖刀です。名を妖刀『絶狂』。確かに私はこれを手に入れ、強大な力を手に入れました。そこまでは認めます。人間の屑と言われようが構いません。実際その通りですから」
あっさりとそんなことを言うキイルの評価が哉瓦の中でぐんと下がった。
しかし、次のキイルの言葉でその評価が揺れた。
「ですが、いつ私が貴方に対して妖刀の力を使いましたか?」
「…………え」
当然の疑問が湧いた。
こいつは何を言ってるんだ、と。
「貴方は言いましたよね? 『例えどんなに抑えたとしても』、と。そうですよ? 私は妖刀の力を抑えてました。『使ってませんでした』。貴方如きに使う必要はないと思っていましたから」
その言葉は、重く哉瓦にのしかかった。
ブラフの可能性は捨てきれない。
しかし、哉瓦の脳裏にとある考えが思い浮かんだ。
「では妖刀の本来の力を使っていたと仮定しますよ? 妖具とはえてして禍々しい司力を宿しているものです。……それが、『防御が効かない』などという『普通』の司力だと、本気で思っているのですか」
考えをキイル本人の口から告げられ、哉瓦の口が震えた。
「じゃ、じゃあ……まさか………」
「ええ」
キイルは淡々と続けた。
「貴方自身にダメージを与えたのは私自身の司力です」
「ッッ……」
哉瓦の顔を見て、キイルは呆れた顔をした。
「信じたくない、という顔ですね」
すると、キイルが何かを思い付いたような笑みを浮かべた。
「どうやら頭が追い付いてないようなので、一つハンデを差し上げましょう」
「はん……で…?」
そして、信じられないことを言った。
「私の司力を教えてあげます」
◆ ◆ ◆
(キイル…志場章貴は〝協調系風属性〟)
柊蕨は『グラード・アス』のアジトでやること終え、森の中を闊歩していた。
パンジーの『用意』ができたので自由に動けるようになったのだ。
静在法で周囲に探知されないようにしながら、頭の中で考える。
(志場章貴としての警備会社での戦闘記録。キイルとしての過去の事件簿。…それらからキイルの司力は容易に察しがつく)
蕨は心中で結論から述べた。
(キイルが〝協調〟しているのは『自分』と『相手』の〝気〟だ)
(おそらくやり口は、相手の気に触れ、その際自分の気を混ぜた風で相手の気を少しだけ掠め取る。保持法か)
〝保持法〟。
自分以外の気を体内で保管する法技。下級法技であり、相手の気を持っていてもメリットは特にないため、味方間で使われることが多い。
(戦闘に不向きな法技をこんな方法で使うとはね)
キイルの知能に改めて感服する蕨。
(……あとはその気をじっくりと全体に〝協調〟させる。…キイルの戦闘データからすると、数分あれば十分かな)
協調の大前提は、二つの対象に己の気を纏わせること。
つまり気は本来パイプ役であり、気そのものに他の性質協調し、加えることは困難を極める。
それを時間も掛けずに、『自分』と『相手』の二つの気を〝協調〟する。
そうしたらどうなるか?
(防硬法は言わば自分の「内」と「外」に気を張って防御力を高める法技だ。哉瓦の気量なら強硬な防御力を得られるだろう。……しかし、それすらも意味がなくなる)
哉瓦は自分の気を纏っているつもりだが、キイルの気もまた哉瓦の気なので、自然にキイルの気を受け入れていまっているのだ。
例えどんなに濃度、硬度を上げても材質が『自分』の気である以上、同じ『自分』の気には効かない。
(しかもこれはあくまでキイルの『司力』だからなー。…これに妖刀の『司力』が加わったらやべーよなー。……全く防御できない、つまり鎧も何も着ていない状態で、妖刀の刃を受けるんだから)
蕨は視線をとある方向に向けた。
予測が合っていれば、哉瓦とキイルが戦闘をしているはず。
(哉瓦……大丈夫かな?)
◆ ◆ ◆
「ご理解頂けましたか?」
哉瓦の表情が驚愕と恐怖に染め上げられる。
たった今キイルから聞いたキイルの『司力』。
綿密な気操作を必要とする高等テクニックだ。
防御力に関してはS級レベルはあるであろう哉瓦に傷を負わせた。
何より妖刀の司力を使わずしてここまでの司力を扱うことに驚きを隠せない。
「貴方は先ほど、随分と私を侮辱してくれましたね」
「っ」
「先ほども申しました通り、それを否定する気はありません。事実ですから」
「……、」
「それで、」
そこでキイルの笑みが深まった。谷底に落とされそうな錯覚を覚えるほどの黒い笑みが。
「同じ台詞をもう一度私に言えますか?」
言えない。
言う資格もなければ、言う気も起らなかった。




