321話
そのピアノの音。サロメは噛み締める。体に染み込んでいく。音。
「……悪くないわね。あたしでも実物を見るのが初めてなピアノもある。急いで買わずに、もう少し色々試してみるのもいいんじゃないの」
高い買い物なのだから。悩んで悩んで悩み抜いたものならば、きっとスタジオで輝きを放つはず。納得もするはず。
「そう……ですね。はい」
なんだかモヤモヤとしたものに心を支配されつつも、ハイディは頷いて飲み込む。本音を言えば、今日で決めたかった。しかし、言われたことも一理ある。一刻も早く決めたい。でもそれは本当に気に入ったものなのか。板挟み。
むむむ、と低く唸る少女を見ていると。流石のサロメも思うところがある。元々は適当に終わらせるつもりだった。けれども。
「……また付き合ってやるわよ」
「え?」
意外すぎるひと言に、ハイディの声も高くなる。また? こうやって買い物に? この人が? もうこれっきり、のはずだった。そうなるのだろうと。知り合って間もないが、そういう人物であると理解したつもりだった。だが。そうでも……ない?
乗り掛かった船。だろうとなんだろうと構わず下船するサロメではあるが、同様に心につっかえるものがあって。
「ピアノ、決めるまでは。あたしが暇な時ならね。今日はチョー忙しかったのに。サービスしとくわ」
できるだけ恩は売っておく。いつかどっかで使えるかもしれないし。それに。この子は——。
「はぁ……それはどうも……」
なんだかしっくりこない違和感を感じつつも、ハイディは感謝を口にする。ありがたい。けどどこか異質なありがたさ。それでも頼るしかないわけで。
一旦はサロメは頭を切り替える。やること。ひとつひとつ終わらせていく。まずは。ここのピアノを知ること。
「つーわけで。片っ端から弾いてくわよ。カルメン」
「なに?」
名指しされたカルメンは不満げな表情。自分の知らないところで話が進んでいるような。立ち位置はどこ?
ひとつ、深呼吸してサロメは鼓動を整える。先ほどの演奏。この人物は。
「中々やるわ。まだまだだけどね」
上手い。少しだけ評価を上げておく。にしても、思ったより自分の通う学園のレベルは高そう。以前聴いた、同じくクラシック専攻の少女の演奏もまぁ。まぁまぁの及第点。
「なんか言い方。ムッとする」
でもま。弾けること。それは楽しいから。もうちょっとだけ、カルメンは一緒に踊ってみよう。そう決めてイスに腰掛けた。
†




