30 青鸞王の愛、青鸞王妃の愛
その数日後、永安宮の一室に、ひっそりと集まる者たちがいた。
五色の布で飾られた部屋の奥には、祭壇が設けられており、花や果物が溢れんばかりに供えられている。
祭壇に近い席には俊輝が座り、そばに美朱、青霞、天雪の三人の妃が控えていた。禁軍大将軍の翼飛の姿もあり、天雪と目が合うと軽く手を上げるなどして、仲の良さそうな様子だ。
隅の方には雨桐と笙鈴が立ち、静かに頭を下げて控えていた。笙鈴の肩には、小丸がおとなしく丸まっている。
やがて、部屋の入口からゆっくりと、二人の人物が入ってきた。
赤い絹に金の刺繍の煌びやかな衣装は、婚礼衣装。それを身に着けた二人は、もちろん新郎新婦である。
今日は、青鸞王とその妃の、遅ればせながらの結婚式なのだ。
魅音は、団扇を顔の前に掲げている。花嫁は顔を隠すべし、という昔からの作法があるからだが、もちろん横から楽しそうな表情が覗いている。
彼女は珍しく髪を高く結い上げ、いつもより濃いめの化粧をしていた。目鼻立ちがはっきりしているので、顔がとても華やかに見えて美しい。
昂宇も、いつも紺色の官服しか身に着けないせいか、赤い婚礼衣装で顔が明るく見えた。元々整った顔立ちなのを、周囲に思い出させる。
背が高いところへ長い上着を身に着けているので、立ち姿が映えた。
俊輝が式を執り行う提案をした時、昂宇は最初、辞退しようとした。
「結婚式⁉ そんな、僕は考えもしてなかったし……だいたい、僕と魅音が夫婦になったいきさつもいきさつだし、親戚が来るわけでもないし、それに巫の僕がそういう華やかな祝事というのは……」
「魅音はやりたいそうだぞ? なあ、魅音」
話を振られた魅音は、目をキラキラさせてうなずく。
「人間の結婚式、やってみたい! それにね昂宇、お祝いの食事を卵尽くしにしてくれるって!」
「卵に釣られないで下さい!」
ツッコミを入れた昂宇だが、俊輝がまあまあと口添えをする。
「巫だからといって祝い事を避ける必要もないし、今の昂宇と魅音にかかわる人々だけで、内輪でやればいいだろう。それに、さすがに結婚式がナシというのは、陶家が納得しないと思うぞ」
陶家、というか、翠蘭である。お気に入りの魅音が結婚式もなしに誰かの妻になる(なった)、などと聞いたら、魅音を連れ戻そうとしかねない。
「やろうよ、昂宇。実は婚礼衣装、もうあったりして」
魅音の爆弾発言に、昂宇は仰天した。
「えっ⁉ み、魅音が用意したんですか⁉」
「ううん。泰山娘娘からの贈り物」
泰山堂に婚礼衣装が一式置かれているのを、宮女が見つけたのだ。
魅音の母代わりである、泰山娘娘の心づくしだった。いや、もしかしたら、きちんと結婚式をやれという脅しかもしれない。
「……………………わ、わかりました。やりましょう、結婚式」
昂宇はある意味、神の圧力に屈したのである。
二人は、皆に見守られながら、赤い毛氈の敷かれた道をゆっくり歩いていった。そして祭壇にたどり着くと、その前にひざまずく。
祭壇には、婚姻を司る女神・女媧の絵が掲げられていた。
昂宇と魅音は交互に、一言ずつ、誓詞を唱える。
『私たち二人は、天帝のもと、互いに信頼し、尊重し、一生を共にすると誓います』
言い終わると、二人は額づいた。そして立ち上がり、互いに向き合って、再び頭を下げる。
顔を上げた昂宇は、魅音をじっと見つめた。
魅音は団扇から上目遣いを覗かせ、悪戯っぽく笑った。
照帝国の結婚式は、これで終わりである。どちらかというと、この後の宴会に重きが置かれているのだ。
宴会までの間、新郎新婦は二人でゆっくりできるように、極楽殿の一室を用意されていた。
「あーよかった、手順間違わなかったね!」
魅音は団扇を置くと、ながいすに腰かけて昂宇を見上げる。
式の後、部屋に入る前に、二人は皆から口々に祝福の言葉をもらっていた。
『魅音、おめでとう。正直に言うと、少しだけ羨ましいけれど』
美朱は、そうささやいた。
『でも、陛下と昂宇さんが並び立つかもしれないと思うと、魅音が私たちの代表として結婚してくれたような気もして。何だか不思議ね』
照帝国では、皇帝と結婚式を挙げることができるのは皇后だけである。美朱たち妃は、後宮入りの際に花嫁衣裳だけは身に着けたものの、式を経験していない。それで、そのような複雑な気持ちになったのだろう。
一方、元宮女の青霞は頬を上気させ、
『私は参列できただけで大興奮だったわ! 先帝の結婚式の準備にしか参加したことないんだもの。とても綺麗よ魅音、おめでとう!』
とぶち上がっており、天雪は意外にも逆に落ち着いていた。
『私は兄や姉がたくさんいて、何度か結婚式にも参列しているから……でも、お友達が結婚するって素敵ね。おめでとう魅音、お幸せに!』
笙鈴と雨桐は隅の方にいたので、魅音の方から声をかけに行ってみると、笙鈴はボロボロ泣いており雨桐がもらい泣きをしていた。
『うっうっ、お二人とも陰界から無事にお戻りになって、こうして式ができて本当に良かったと思ったら、つい……』
また涙をこぼす笙鈴に、魅音が「笙鈴が一緒に来てくれたからだよ」と言うと、
『お役に立てない、なんてことがあったら、後宮に残らせていただいている意味がないですから。でも、嬉しいです。本当におめでとうございます』
と、ようやく笑顔を浮かべていた。
幸せな気分で、魅音は言う。
「結構いいもんだね、結婚式って。みんなが喜んでて」
「そう、ですね」
昂宇はうなずいて、魅音の隣に座る。
「たぶん、魅音のおかげだ。ありがとう」
「えっ、何⁉ いきなりお礼とか」
微妙に引いてしまった魅音に、昂宇は向き直った。
「いや、ここは正直に白状しますが、こんなに祝福されたのは初めてなんです。魅音と結婚しなかったら、一生あり得なかったと思う」
「そうなんだ。じゃあやっぱり結婚式してよかったよ、んふふ」
魅音は微笑んでから、あ、と声を上げた。
「そうだ昂宇、聞こうと思ってたことがあって」
「何です?」
「陰界の牡丹宮で昂宇を見つけた時のことだよ。やっぱり気になる。昂宇、変だったよね?」
口をとがらせた魅音は、昂宇の口真似をする。
「『あなたは誰ですか?』なーんて言ってさ。え、私のこと忘れちゃった? みたいな」
「あ」
「冗談であんなこと言うわけないし、って後から思って。何だったの、あれ」
まっすぐに見上げて来る瞳から、昂宇はつい視線を逸らした。
「あー、その……あれは」
「あれは?」
「……つまり、ですね。西王母に魂を連れ去られる時、心を探るようなことを言われて、そう、とっさに結界で心を守ったんです」
嘘は言っていない。昂宇が守ろうとしたのは心の全てではなく、唯一、魅音への気持ちだけなのだけれど。
(あの時は、僕のせいで西王母が魅音を害するんじゃないかと思った。いくら魅音でも、神々には敵わないだろう。守るには、ああするしかなかった)
それは昂宇の、魅音に対する『愛』だ。
(僕が魅音を思う気持ちと、魅音が僕を思う気持ちは、たぶん少し違う。重いと思われたくない。この結婚は成り行きでも、魅音は嬉しそうだ。このまま、幸せなままにしておきたい)
だから彼は、魅音の笑顔を見つめながらも、本心を口にしなかった。
「へぇ! じゃあ、探られないように記憶ごと封印しちゃったんだ」
魅音は素直に受け止めている。
「そうですそうです。ああ、そうだ魅音」
早口で答えた昂宇は、別の話題を探して逆に質問する。
「僕も聞きたいことがあったんでした。何で、僕の作った霊牌を持ってたんです?」
「えっ」
「とっくに必要なくなったものなのに。いや、助かったんですよ、あれのおかげで魅音の記憶が結界を破って入ってきたので」
「ああ、それで思い出したの? じゃあ持ってってよかった」
にかっ、と魅音は笑う。
「なんでか、ずっと捨てられなかったの。昂宇の思い出だからかな」
はっ、と昂宇は息を呑み、彼女の瞳を探るように見つめた。
「僕との思い出を……大事に、だ覚えていようとしてくれてたんですか」
「いや、それは当たり前じゃない? だって、昂宇だもん。何かあった時はいつでも助けに行こう、とまで思ってましたけど?」
「え、本当ですか?」
「本当だよ? ちょっと何、その意外そうな顔。こっちは願掛けで、卵断ちまでしたっていうのに!」
魅音はプイッとそっぽを向く。
「全くもう」
「魅音」
ぱっ、と、昂宇が魅音の手を捕まえた。
「わっ。何?」
昂宇は一度、言葉を切った。そして、改めて続ける。
「あなたが青鸞王妃になったのは成り行きですが、神仙を目指して学ぶために、この立場を利用してくれたらいい。ついでに、僕が俊輝の相談役をやるように、魅音も妃たちの相談役になって差し上げたらいいと思います。だから……」
魅音と正面から向かい合い、もう片方の手も握ると、昂宇は思い切って口にした。
「だから、青鸞王妃、やってくれますか? 人間としての生を、僕と、夫婦として過ごしてくれますかっ⁉」
「あ、うん。そのつもりだよ?」
目をぱちくりさせ、彼女はさらっとうなずく。
「私だって、人間の夫婦ってどんな感じなのか、興味あったもん。昂宇となら悪くないなって思うよ。結婚式の誓詞だって、ちゃんと本気で言ったし」
「本当ですか? 夫婦ですよ?」
昂宇は念を押す。
「これから先、僕がどんな道を選ぶかわからないですが、それでも?」
「うん。皇帝やるかもしれないし、陛下の補佐を続けるかもしれないし、山に引っ込むかもしれないんでしょ? 私だって、これから何するかわからないよ。でも、どれをとっても面白そうだし」
未来を楽しみにしているように、魅音は笑った。
「そばに、いつでも帰れる。そういう人がいる、ってことでしょ」
昂宇は、きゅっ、と唇を噛んで、こみ上げるものを堪える。
「……そうですね。孤独じゃない」
一人でいるのは慣れていた。
陰界で目覚めた時は、世界に昂宇ただ一人きりのように感じられた。
けれど、離れていても彼のことを考えている人がいた。助けに来てくれる人がいた。
少しかすれた声で、彼は誓う。
「僕も、魅音のそばに帰る。ずっと」
「うん。ちなみに人間の生が終わった後も、私たち会えると思うけど。私は狐仙に戻れば陽界と陰界を自由に行き来できるし、昂宇はたぶん、西王母様のところで働くんでしょ」
「そ、それはどうかな……でも、陰界でも、その、よろしく」
「うん」
魅音はにっこりと笑い、きゅっ、と昂宇の手を握り直した。
「私たちの『愛』は、お互いが帰る場所だっていう『愛』なんだ。いいね、好きだな!」
「…………」
「あれ?」
魅音は昂宇の顔を覗き込む。
「ちょっと、何で涙ぐんでるの」
バッ、と昂宇は顔を背ける。
「は? 泣いてませんが」
まるであやすように、魅音は握った昂宇の手を「ホントにー?」と揺らす。
「本当ですっ」
素早く昂宇は立ち上がった。
「さあほら魅音、そろそろ会食の時間ですよ、着替えましょう。卵を死ぬほど食べるんでしょう?」
「食べる!」
魅音も立ち上がって、拳を握った。
「この時のために二食抜いた!」
そんな魅音のお待ちかね、極楽殿での宴会である。
たっぷりと料理の盛られた膳が、宮女たちによって次々と運ばれてきた。
「わっ、鳩の卵入り餡かけ! 玉米卵! それに卵の糕―!」
魅音は両手を組み合わせ、喜びの声を上げた。卵断ちをしている間、妃たちに勧められても食べるのを我慢していたものの数々を、しっかりと頭に焼きつけて覚えていたのである。
しかも美朱に、
『この際だから、結婚式の宴会まで我慢したらどう? 二人の結婚生活がうまく行くように、願掛けで』
などと言われ、めちゃくちゃ頑張ったのだ。
「いやもう、本気で夢に出てきましたからね、卵ちゃん! どうしよう泣きそう! いっただきまーす!」
彼女は早速、パクつき始めた。
「ひゃああ! 美味しいっ! 優しさと幸福の塊! やっぱり卵は最高!」
「心おきなく召し上がれ」
勧めた美朱が、ふと視線を上げ、俊輝と視線を合わせてはにかんでいる。
青霞は、
「ねぇ魅音、功労者の笙鈴にも美味しいものを届けてあげないと。私、宮女に言っておくわ。ねぇ、ちょっと!」
と宮女を呼び止め、指示を出す。
天雪は、
「昂宇さん、お聞きしたいんですけど、動物の剥製を動かす方術ってありますか? 私、背中に乗ってみたいの」
と割と真剣に、昂宇に質問し始めた。
食事が一通り終わり、ゆっくり酒を飲む時間になった頃、昂宇は酔い覚ましに席を立った。
極楽殿の回廊を歩き、縁台に出る。見上げれば冷たい月が煌々と光り、吐いた息が凍りながら空へと帰っていく。
「昂宇!」
声がかかって振り向くと、魅音が廊下をやって来るところだった。
「魅音。翼飛殿はいいんですか?」
「大将軍様ってば、お酒の飲みっぷりも大将軍なんだもん。もう無理! 逃げてきちゃった」
赤い頬をした魅音は、何やら笑っている。
「翼飛様と話してて可笑しかったんだけど、私は影絵をする時に幕の裏側にいたから、翼飛様は私の狐姿は見てないんだよね。『あの九尾狐の影絵は上手かったな、本物の狐がしゃべってるみたいに口が動いていた。どうやってやったんだ?』だって」
「じゃあ、あれだけ一緒に行動していて、まだ狐仙の本性は気づかれてないってことですか? すごいな」
昂宇も笑ってしまった。
「ああ魅音、泰山娘娘に婚礼衣装のお礼を申し上げに行こうと思うんですが」
「そうだね! じゃあ明日にでも、後宮の泰山堂に行こっか」
「はい、じゃあ許可を取ります」
「へー。てっきり、女だらけの後宮なんてもう行きたくない、って言うと思ったよ」
「…………あれ? そういえば、嫌な感じがしないな……」
話しながら、二人は宴会場に戻っていく。
空からはちらちらと、雪が舞い始めていた。
そんな空の上で、二人を見ていた影があった。
宙に浮かぶ九尾狐と、その背に横座りに座った西王母だ。
『大姐、ホントによかったの? 昂宇のこと、あっさり帰らせちゃって。女嫌いの呪いも解いちゃったし』
自分の背中を、九尾狐は首をひねって見上げた。
西王母はうなずく。
『もちろん。玉秋、そなたは誤解しているようだが、私は昂宇を特別視しているわけではないぞ。他にも気に入りの巫は各地におってだな、例えば倒友剛、翻浩然、折家軍……』
『え、大姐、好みの巫の名を全部覚えてんのー⁉ ドン引きっ』
鼻に皺を寄せる、玉秋である。
西王母は笑って、団扇で下界を指した。
『見てみよ、昂宇があんなに生き生きとしておる。魅音がそばにいた方が、あやつは力を増す。いずれ私の役にも立ってくれよう。それに……』
九尾狐の頭に、西王母のたおやかな手が優しく触れる。
『私は玉秋がいれば、それで十分だ。言ったことがなかったか?』
『ないよぅ』
『それは済まなかったな』
『ンッフー』
九尾狐は機嫌よく、西王母の手に自分から頭をこすりつける。
いつしかその姿は、くるくると雪を巻くようにして消え――
殿舎からは夜を温めるような賑わいが、ただ、聞こえていた。
【第2部 完】
第2部もお付き合いありがとうございました。
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本日(1月12日)発売の書籍2巻には、このすぐ後の時系列になる番外編があります。なんとたっぷり2万字超え!
青鸞王夫妻になった魅音と昂宇、そして妃たちが繰り広げる色鮮やかな物語を、ぜひお楽しみ下さい。




