7 女が苦手な新人宦官
というような成り行きがあって。
魅音には元々、担当の老宦官がいたけれど、俊輝の一声で『新人』の昴宇に交代になった。
そして今日、昴宇が花籃宮に挨拶にきたという建前で、二人して魅音の部屋で睨み合い……もとい、打ち合わせをしている。
「怪異ねー。原因がわからない、って言ってたけど、今までどんな調査したの?」
魅音は仕方なく聞いてみる。成果が得られていないのだから、他の手を考えなくてはならない。
長い髪を黒の帽子の中に押し込め、灰色の地味な宦官服姿の昴宇は、むっつりと答えた。
「どんな、と言っても。後宮のあちらこちらを歩き回って、何か感じ取れないかと」
「実際に怪異に遭った宮女から、詳しい話は聞いたんでしょ?」
「雨桐さんから聞いたので十分です」
魅音は眉をしかめた。
「又聞きじゃなくて、目撃した本人に聞きなさいよ。何で聞かないのよ」
すると、昴宇は目を逸らす。
「し、新入りの宦官のフリをしてるんですから、あれこれ聞いたら怪しまれるじゃないですか……」
「女の人だぁいすき! っていうふうにヘラヘラ声をかけまくる宦官、っていう設定で行動すればいいじゃないの。そのくらいは演じられるでしょ?」
そこへ、雨桐が茶を持って入ってきた。まず魅音の前に茶杯を置き、次に昴宇の前に置く。
「どうぞ」
昴宇はビクッと雨桐から身を引いた。
「ひっ! あっ、ど、どうも」
雨桐はちょっと不思議そうにしつつも、茶卓子を持って出て行く。
魅音はジトッと、昴宇を睨んだ。
「…………もしかして。女が苦手なの?」
するといきなり、昴宇は背筋を伸ばしてツーンと顎を上げた。
「わ、悪いですか⁉」
「開き直るんじゃないわよ、思春期か! 女の何がそんなに苦手なの⁉」
「何……な、何でもいいでしょう、ほっといて下さいっ」
「私相手には平気で色々話してるくせに!」
「魅音は女性ではないですから。結界に引っかかった間抜けな妖怪ですから」
「妖怪じゃなくて狐仙ですし⁉ 今はフツーの人間の女ですし⁉」
「仙術で仮病を使ったくせにフツーとか、聞いて呆れますね⁉」
言い合いになってしまったけれど、要するに昴宇は、魅音を女と見なしていないのだ。だから平気らしい。
(腹立つぅー! まあいいわ。よくないけど。とにかく、後宮で調査をするのに女が苦手なんて、困ったな)
これではとても、女好きを装うことなんてできそうにない。魅音が彼を引っ張りながら動かなくてはならないだろう。俊輝が魅音をこの件に引っ張り込んだ理由の一端が、わかったような気がした。
「……結界は、そのままにしといて。確かに、後宮に何か悪いモノが巣くっている場合は逃げられずに済むものね」
魅音は茶を飲み干すと、立ち上がる。
「じゃあその、昴宇が話を聞いてない人に、まずは話を聞かないとね。私が、怪奇現象に興味津々の妃を演じればいいんでしょ」
「はあ、まあ、そうですね。何かあったら呼んで下さい」
「あなたも! 一緒に! 来るの!」
「えっ」
「えっ、じゃない。いくら女が苦手でも、黙って私に付き従うくらいできるでしょ⁉」
その時、ちゅっ、という可愛らしい鳴き声がした。
見ると、魅音の椅子のすぐ足下に、白黒まだらのネズミがちょこんと座ってこちらを見上げている。前足を身体の前にそろえたその様子は、何かを待っているようだ。
「あら、お前、外廷で縄を噛み切ってくれた……いつの間についてきてたの? そうか、報酬を渡していなかったね。タダ働きは嫌よね」
ひょい、と屈み込んで両手ですくい上げ、卓の上に載せる。
「雨桐さーん、すみません! 何かネズミが食べられるものはありますか?」
戻って来た雨桐が、近くの棚にあった小さな壺を手に取って差し出す。
「私のことは、侍女として接して下されば。私もお妃様と思ってお世話させていただきますので。ここに、いつでもつまめるように木の実や干した果物が入っていますので、翠蘭様のご自由に」
「ありがとう」
壺の蓋を外し、中から松の実を取り出すと、魅音はネズミに渡した。
「はい。さっきは助かったわ」
ネズミは小さな両手でしっかりと実を持ち、さっそくかじり始める。ちょっと目を細めるなどして、何だか嬉しそうだ。
「お前、ここで暮らす? 昴宇だけじゃ心許ないから、私の助手をしてほしいな」
勧誘している魅音を、昴宇は苦い表情で睨むのだった。
そんなわけで、後宮を出るためにやる気マンマンの魅音に、昴宇がビクビクしながら付き添う、という調査開始となった。二百年を生きる狐仙の生まれ変わりと方術士の組み合わせだが、見た目は若い妃と新入りの宦官である。
「雨桐、怪異を目撃したっていう宮女から、話を聞きたいの。どういうふうにしたらいい?」
「かしこまりました、探してここに呼びましょう。この話はだいぶ噂になって広まっておりまして、私も人づてに聞いたのですが、辿ってみます」
そして、雨桐はすぐに二人の宮女を連れてきたのだが。
「わ、私が聞いた話では、牡丹宮です」
一人の宮女は、牡丹宮──本来は皇后が住まう宮で、現在は誰も住んでいない──の、掃除を担当していた。
「時々、風を入れて掃除をするんです。それで、他の子が掃除に行ってみたら、締め切った部屋からすすり泣きが聞こえるって……開けても誰もいなかったらしくって。私も当番が回ってきたら行かなくちゃいけないのに、どうしよう」
「私が聞いたのは、象牙宮の話でした」
もう一人も怯えた様子で訴える。象牙宮は『夫人』が暮らす四つの宮の一つだが、やはり今は誰も住んでいない。
「宮女たちの暮らす寮から、美朱様の珊瑚宮に行く途中で、象牙宮の前を通るんです。その格子窓を透かして、中に人影が見えるんだとか。誰かいるのかな、と思って近づいてみると、格子の隙間からぎょろりと血走った目が覗くって……! 私は無理、怖くて見られない!」
魅音は軽く額を押さえてから、聞く。
「ええっと、待って。あなたたちが見たり聞いたりしたのではなく……?」
「あの、翠蘭様」
雨桐が困り顔で口を開く。
「実は、話の出所までたどり着けなかったんです。遡ってみても、途中で別の宮の話になったり、最近の話なのか昔話なのか曖昧だったりで。でも唯一、鬼火だけは、最近見たという者が何人もおります」
「珍珠宮の跡地に現れる、っていう?」
「以前はそうだったんですが、最近は他の宮付近の方が多いようです。実はその……私も見ました。林の中、青白い炎が、すーっと宙を移動するのを」
「ふーん……。ねぇ昴宇。……あれ? 昴宇?」
魅音が振り向くと、昴宇は部屋の戸口の外から顔だけ覗かせる。
「な、なんでしょうか」
(女だらけのこの部屋には入れないわけか)
魅音は呆れながらも聞く。
「あちこち歩き回ったと言ってたけど、牡丹宮や象牙宮には行ったの?」
「もちろんです。中を確認しましたが、特に何の異常もありませんでした」
「なるほど」
魅音は宮女たちに向き直ると、一応それっぽい体裁で言った。
「えーと、そう、宮女たちが気持ちよく働けるようにするのも妃のつとめですからね。詳しく調べてみるわ」
「ありがとうございます!」
二人は少しホッとした様子で、仕事に戻っていった。
「まったくもう。ほとんどは噂話じゃないの」
「それにしては数が多いですし、鬼火が見えるのは本当なので、皆、怯えてしまって。私も正直、少し恐ろしいです」
雨桐は愁眉を開かない。さらに昴宇が付け加える。
「そこへ結界にあなたが引っかかったものだから、本物がかかった! と思いましたよね」
「本物といえば本物ですけどぉ」
本性が人外の魅音は、しぶしぶ認める。
「鬼火が多い、っていうのは、まあ気にならないこともないけど。でも、弱いし何もしないし群れないし、怖がることないのに」
「そ、そうなんですか」
「幽鬼としては低級で、自分の意志をはっきり持てないのよ。クラゲ、ってわかる? 海の中をただ漂ってる生き物。あいつみたいな感じ」
まるで知り合いのように、魅音は説明する。
「とにかく、今の後宮でそういう噂話が広まりやすいのは仕方ないよね。珍貴妃の件があった後だし、建物が多いわりに人が少なくてガランとしてて、不気味だし。やっぱり、人が住んでいない建物をそのままにしておくのは防犯上よくないな」
「空き家問題みたいに言ってますが、不審者ではなくて怪異の話ですからね?」
昴宇の突っ込みに、怪異がちっとも恐ろしくない魅音は「あ、そうだった。へへ」と笑ったのだった。




