27 インチキを暴け
一方の陰界では、宏峰の土地神である海建が、やりたい放題やっていた。
雲海に浮かぶ島のように、白い靄にいくつかの宮が浮かんで見える。土地神は大きく跳躍し、宮の屋根にズシンと降りては、瓦を割り散らかした。鉄の匂いに釣られ、また飛ぶ。
土地神がたどり着いたのは、後宮の角楼だった。屋根の上から頭をぐうっと下げ、吊り下げられた鐘を見つけると、ウギイイイ、と歓喜の声を上げる。
無理やり楼の中に入り込むと、鐘にかじりついた。歯が当たって、ゴゥン、ガリン、と音を立てる。
その巨大な身体が、ふと動きを止めた。顔が動き、ふんふん、と鼻をうごめかす。
もっと美味そうな、金目のものの匂いだ。
土地神は一瞬で鐘から興味を失い、パッ、と手をはなすと、ズシンと地面に降り立った。そのまま、匂いだけを頼りに四つ足でドスドスと走り出す。
たどり着いたのは、ひときわ美しい宮だった。高貴な人物が住むのだろう。きっと、金目のものがたくさんあるに違いない。
ドガン、と壁を崩し、土地神は内院へと乗り込む。
そこには橋の渡された池があり、池の前、地面に敷かれた布の上には、輝く宝物が山と積まれていた。
玉のはまった衣装箱、同じく玉をちりばめた宝剣、美しく輝く銀の食器や酒器、黄金でできた鳳凰の像。
ウォオォン、と、土地神は歓喜の雄叫びを上げる。
そして、よだれを垂らしながら一直線に宝物に突進した。
「よし。捕えた」
つぶやいたのは、数珠の巻かれた手で印を結んだ、難昂宇だ。
バチイッ、と空間に光が走り、青く光る紐のようなものが土地神に絡みついた。かつて魅音を捕えた結界の、強化版である。
土地神は一瞬、何が起こったのかわからないようだったが、すぐに紐から逃れようとがむしゃらに暴れ出した。庭の植木がへし折られ、灯籠が吹っ飛ぶ。
「くっ……長くは持たない」
昂宇は急いで霊符を指先に挟むと、土地神に向けた。
「済まないな、海建。もしかしたら燕貞が全部勝手にやっているのかもしれないが、そもそもの発端はお前なんだ。……『炎』」
ボッ、と土地神の足元が燃え出した。全身を包むまでには至らないが、土地神は苛立って、ギャオオオウウ、と、怒りの声を上げる。
すぐに、土地神の輪郭がぼやけ始めた。
「陽界へ、逃げようとしている。魅音、笙鈴、翼飛殿、準備はできているだろうか」
なおも霊符を突き付けながら、昂宇がつぶやいていると――
その隣に、ふわりと九尾狐が降り立った。
『あたし、陽界に行って見てくる』
「えっ」
驚いて昂宇が見上げると、九尾狐は嫌そうに鼻に皺を寄せつつも言った。
『だってしょうがないじゃん、魅音がこいつをちゃんと倒すかどうか、見届けなくちゃいけないんだから。大姐、あたしがいなくて寂しいと思うけど、しばらく我慢してねっ!』
西王母はにっこりと団扇を仰ぎながら、
「ああ」
と軽く返事をする。
『ちゃんと昂宇を見張っててよっ⁉ 絶対だからねっ!』
「わかった、わかった」
『もうっ』
九尾狐は、プン、と鼻面を上に向けたけれど、気を取り直したように土地神に向き直った。
『行くよっ』
土地神の姿が、靄に溶けるようにして消えていく。そこに九尾狐は突っ込み、後を追うようにして姿を消した。
「ふぅ……」
昂宇はその場で座り込むと、頭を垂れて大きく息をついた。
(僕にできるのは、ここまでだ)
その時、何か平らなものが昂宇の顎の下に入った。
いつの間にか西王母が彼の前に立っており、手に持っていた団扇で昂宇の顎をくいっと持ち上げたのだ。
『昂宇』
「はい」
じっ、と目を見つめられて昂宇がおとなしくていると、やがて西王母は微笑んで、団扇を離した。
『よし。後は果報を待つばかりだな』
「……? 西王母様、今、僕に何か……?」
昂宇の質問には答えず、西王母は興味を失ったかのように、くるりと踵を返す。
『さて、私は宮の中で少し休むとしよう。昂宇はここでお待ち。帰る時は気をつけてな』
「あっ、はいっ、その、お世話になりました!」
いきなり連れて来られた上で帰る時の挨拶が、これでいいのか疑問に思いつつも、昂宇は頭を下げる。
後は、西王母の言う通り、待つばかりだ。
その頃、陽界の宏峰では、祈祷の会場で大きな動きが起こっていた。領民たちから見ると、次のようになる。
まず、焚かれていた護摩の炎が、不意に弱まった。逆に、張り巡らされた白い幕の裏側の方が、なぜか明るくなる。
その明かりに照らされて、幕に何か四つ足の巨大な影が映ったのだ。
男の声が、大きく響いた。
「神様だ! 土地神様が現れた!」
ざわっ、と領民がざわめく。
「本当だ!」
「ああ、土地神様!」
燕貞は少々、戸惑ったように見えたものの、そんな領民たちに呼びかけた。
「土地神様が、皆さんの信仰に応えて現れたのです! さあ、さらに祈ってください。我々の願いを聞き届けて頂きましょう!」
彼の言葉に煽られて、領民たちはより一層、熱心に祭文を唱えた。
ところが、やがて幕に別の影が映ったのだ。それは土地神とされる影よりも大きく、どう見ても、狐の姿をしていた。尾が、九つも揺らめいている。
領民たちは再び、祈るのをやめてざわめいた。
「き、九尾……⁉」
「えっ、何、九尾って」
「伝説の霊獣だよ、九尾狐様だ!」
狐の影の、口の部分が、くわっと開いた。鋭い女の声が響く。
『許海建、許燕貞! ついに見つけたぞ、金に汚い小悪党め! 天昌から追放されてもなお、宏峰の民を騙しておるのか!』
「えっ」
「えっ」
領民たちが一瞬、静かになる。
燕貞のあわてた声が響いた。
「なっ、何だ、一体何が起こっている⁉ 皆さん、さあ、祈ってください!」
『黙れ燕貞! 海建の罪状は、横領、備品の転売、賄賂の要求など数えきれん。これらは神々の前に明らかである!』
狐の口が動き、そして天昌にいた頃の海建のせこい犯罪が、次々と並べ立てられていく。
『これらは新皇帝の名のもとに調べ上げられた罪状だ、とくと見よ!』
白い幕の向こうから、ぽーん、と巻物が飛んできた。手前にいた領民が、あわてて受け止め、中を見る。
「な、何か書いてある。読める者はいるか」
「俺が読む。……これは……本当だ、海建様が罰を受けたという記録だ!」
波紋が広がるようにざわめきが伝わっていく。四つ足の影は、何やら怖がるようにプルプルと震えるばかりだ。
「土地神様が、あんな……」
「九尾狐様に、罰せられているのか?」
再び、女の声。
『さあ、冥界で裁いてくれようぞ!』
ばっ、と狐の影が後足で立ち上がった瞬間――
ドガーン!
空から何か大きなものが降ってきて、壇の供物の上に叩きつけられた。
わああ、きゃああ、と領民たちは騒いで壇から離れ、壇を遠巻きにする。
壇の中央にいたのは、人面に猪の身体の土地神・海建だった。もがくようにして立ち上がると、身体をブルブルッと振って、まとわりついていた青白い紐を弾き飛ばす。
幕に映った九尾狐の影が、叫んだ。
『よっしゃ、ちょうどいいところに! ……じゃなくて。これが、土地神の真の姿だ!』
翼飛を先頭に、鎧を付けた男たちが数人、馬でドドッと乗り込んで来た。土地神を取り囲む。
一方、白い幕の裏の明かりが、フッと消えた。
美しい身なりをした女が、幕の前にひょっこりと現れる。もちろん、今まで九尾狐のフリをして叫んでいた魅音である。
「笙鈴、糸!」
「はいっ!」
応えがあって、キラリ、と宙に細いものが光り、それはキュンキュンと土地神の周りを走り、そしてギュッと収束して締め上げた。
魅音は再び声を張る。
「照帝国を守る者たちよ! 今こそ、この邪神を倒すのだ!」
兵士たちが鬨の声を上げ、槍を持って一斉に襲いかかった。
土地神は、グワオッ、と激しく暴れた。数本の糸がちぎれ、自由になった前足の片方が振り回される。
「うわああ!」
数人の兵士が吹っ飛んだ。
「な、なんだ、あれは」
「何て恐ろしい……!」
領民たちが怯える声が聞こえてくる。
陌刀を構え、翼飛は走りだした。土地神をぐるりと回り込んでいく。
翼飛を追って身体を巡らせた土地神が、襲いかかろうと右前足を伸ばしたが、ひらり、ひらりと躱した彼はさらに走った。
一瞬、後足に絡まっていた糸が邪魔になった。土地神はよろける。
すかさず、翼飛は向き直りざま踏み切った。
「どりゃあっ!」
炎の赤を反射して、陌刀が一閃、振り下ろされる。
右前足が切り飛ばされた。くるくると宙を舞い、ドッと地面に落ちる。
ギャアアッ、と凄まじい叫び声が上がり、土地神の目が怒りに燃え上がった。先ほどとは比べ物にならない力で暴れ出す。
護摩の火炉が破壊されて火のついた木が飛び散り、翼飛や兵士たちの目を一瞬眩ませたその時、土地神に絡みついていた全ての糸が引きちぎられた。
牙をむき出した土地神は、残った左前足を大きく振りかぶった。
狙いは、翼飛だ。
(危ない……!)
その攻撃が翼飛の目の前で、ブン! と大きく空ぶる。
「グワッ?」
鋭い爪は、何も捕えていない。
少しずつ、土地神の身体が縮んでいる。そのため、翼飛への攻撃の間合いが狂っていた。
土地神への信仰の力が、ぐんぐんと削がれているのだ。
ハッとしたように、燕貞があたりを見回した。
「あ……あぁ……」
やみくもに手足を振り回す土地神を、遠巻きに見ている領民たちの、目、目、目。
その目に、神に向けた信仰の光は、もはや宿っていない。不気味な化け物を見る目つきだ。
翼飛は陌刀をくるりと回し、両手で構えた。
「許海建、許燕貞! 新皇帝の命で捕縛する、覚悟せよ!」
柄の突端が、ドン、と土地神の胸に突っ込む。ギャアッ、と情けない声を上げて、土地神は壇の上に転がった。
たちまち、不思議な糸が新たに宙を走る。
化け物の身体はきりきりと締め上げられ、そして動かなくなった。
「そ……そんな……」
よろめく許燕貞の肩を、誰かがポンと叩く。
ギョッとした燕貞が振り向くと、翼飛の部下たちが立っており、先頭の一人が手にした縄を無表情でピンと張って見せた。




