26 許氏廟の祈祷
魅音と笙鈴と小丸は、狐仙堂から狐仙堂へと渡ることで、陰界の後宮から陽界の宏峰に姿を現した。
板を屋根の形に立てかけただけの狐仙堂は、町の外に向いており、晩秋の田畑が広がっているのが見える。太陽は山の端に沈もうとしており、振り向くと町のあちらこちらに篝火が点っていた。
「こ、ここが、宏峰……ということでしょうか?」
笙鈴は、初めての景色に戸惑いながらあたりを見回した。そして、クシュンとくしゃみをする。天昌よりも高地にあるため、桂花の香りをまとった風が冷たく吹き抜けていた。
何やら、ドーン、ドーンと太鼓の音が響いている。
『何だろう……時告げの太鼓? あ、違う!』
見回してみると、町から出てすぐの丘の上、海建の廟の周りが、明るく浮かび上がっている。大きな篝火が、いくつも焚かれているのだ。太鼓はそちらから聞こえてくる。
そして、領民たちが続々と廟の方へ坂道を上っていくのが見えた。
『廟に、人を集めてるんだ。あそこで祈祷をするつもりね。……笙鈴、私は翼飛様を探してくる。先にあの廟に行っていてくれる?』
「わかりました!」
魅音は頭に小丸を載せたまま、町に入った。まずは大通りを『王』家の屋敷の方へと向かう。
いくらもいかないうちに、数騎の馬が駆け足でやってくるのに出くわした。先頭の馬に乗っているのは、鎧姿の白翼飛だ。
魅音は素早く人間の姿に戻ると、手を振った。
「翼飛様!」
「魅音⁉」
翼飛は驚いて、手綱を引き馬を止める。
「どうしたんだ、戻って来たのか? その格好は一体?」
「え?」
すっかり意識の外だったが、魅音は『青鸞王妃』として恥ずかしくない、いかにも妃という格好をしているのだ。この町では完全に浮いている。
「どうりで人の視線が気になると思ったわー。ま、気にしないで下さい!」
さらりと流し、魅音は本題に入った。
「昂宇の魂は見つけました、無事です!」
「本当か、よかった! いや、でも、見つけただけなのか?」
「詳しいことはおいおい。今は簡単に説明させていただきますね!」
魅音は、西王母に会えたこと、そして昂宇の魂を返してもらう条件として、海建――宏峰の土地神を倒すよう言われたことを話した。
翼飛は唸る。
「あの神、陰界でも暴れてたってのか」
「はい。それで、昂宇が言うには、神に力を与えているのは民の信仰の力だと。燕貞は、手品みたいなことをして海建のご利益だってことにして、民を騙しているんです」
「あいつ……! くっそ、放っておかないでさっさとふん縛っとけばよかった!」
翼飛は悔しそうに歯ぎしりした。
「そう、お前が宏峰を発ってから、俺の方は部下を使ってこのあたりをくまなく捜索してみたんだ。そうしたら、山小屋に領主が軟禁されていた」
「軟禁⁉ 病気ではなかったってことですか?」
「病気っつーか、少々ボケていて、話が通じない。そんな状態だから、まんまと領主の座を乗っ取られていたんだな」
海建・燕貞親子が宏峰を私物化していた、動かぬ証拠である。
「それで領主の屋敷に乗り込んでみたら、燕貞がいない。前に、民を集めて祈祷するとか何とかって話をしただろ? もしかしてあれを今夜やるつもりかと考えて、部下を連れて廟の様子を見に来たんだ」
「翼飛様、いい勘してるー!」
うっかり上から目線で褒めてしまい、彼の部下たちに睨まれる魅音である。
「あ、失礼しました。そう、まさに廟に人が集まりつつあるのを見ましたよ。祈祷が始まったら、また信仰の力が神に送られてしまう」
「すぐに行って止めよう」
「はい。でも、今日だけ止めても」
魅音の言葉に、翼飛は「あっ」と口を開く。
「そうか。土地神への信仰自体を、ぶち壊しにする必要があるのか。つまり……燕貞の企みを領民たちの前でバラさなきゃならない」
「そうできれば一番です。どうやってやればいいのかは、現場を見てみないと……とにかく、廟に行ってみましょう!」
「ああ。ほら、来い!」
翼飛がパッと、片手を伸ばしてきた。
「あ、はい……うわっ、と」
魅音が反射的に掴まると、ぐんっと鞍の上に引き上げられた。彼の前にすっぽりと収まる。
「行くぞ!」
彼の掛け声に部下たちが「おう!」と答え、一行は走り出した。
丘のふもとの木陰に馬を繋ぎ、魅音と翼飛、その部下たちは密かに丘を登る。
海建の廟の周りは、人で埋め尽くされていた。前院には、三方に白い幕が張られている。その中に、土を盛り上げた場所、いわゆる『壇』が作られ、宏峰で収穫された農作物や反物などが供物として捧げられていた。
(ええと、笙鈴、笙鈴はどこ?)
領民たちの最後方を移動しながら、魅音が見回すと、木の陰で誰かが手を上げて合図しているのに気づいた。
「笙鈴!」
「魅音様、翼飛様にお会いできたんですね!」
半妖とはいえ、一人では心細かったらしく、笙鈴はホッとした笑みを見せた。翼飛が不思議そうに尋ねる。
「あんたは?」
「翼飛様、こちらは周笙鈴。後宮で一番霊感の強い、心強い友人です」
「そんな、恐れ多い……あの、初めてお目にかかります。周笙鈴と申します」
侍女姿の笙鈴は、丁寧に礼をする。翼飛はうなずきかけた。
「白翼飛だ、魅音の友人なら信じよう。話は色々と聞かせてもらったぞ」
道々、魅音はこれまでのことをかいつまんで説明していた。
「それで、どうやって燕貞を」
翼飛が言いかけた時、わあっ、と領民たちが沸いた。
許燕貞が、壇の前に現れたのだ。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。私の父のために、町が荒らされ、ご迷惑をおかけしています」
彼はゆっくりと、領民たちを見回す。
「父は、情け深い人でした。だからこそ、死してなお宏峰に恵みをもたらし、皆さんに神として祀っていただくことになりました。それなのに、最近のこの暴れよう……しかしこれもまた、『愛』なのです。息子の私への愛情です」
声を震わせ、こぶしを握り、彼は続ける。
「自分が先帝によって無実の罪で追放されたこと、そしてそのせいで息子の私が不遇だと、怒っているのです」
領民たちの間から、同情のため息や同意の声が漏れた。しかし、燕貞は気を取り直したように、少し声の調子を上げた。
「私は、皆さんのおかげもあり、この宏峰で幸せに暮らしている。ですから、父の名誉さえ回復されればそれでいいのです。天昌に赴いて話も聞いて頂きましたし、もう十分です。宏峰の領主を助けながら、この地に骨を埋める覚悟です」
再び、わあっと領民たちが沸く。
「どうか、力を貸して下さい。神に鎮まって頂けるよう、私と一緒に祈ってください」
そして燕貞は、壇の方に向き直ると敷物の上に座った。巻物を広げ、祭文のようなものをうんたらかんたらと読み上げ始める。
領民が、次々と後に続いた。
声が重なり、一つになる。
「あ……」
笙鈴が小さく声を上げた。
「魅音様、霊力が……霊力が高まっていきます。それに、流れのようなものも感じる……どこかに吸い込まれていくような」
「きっと、陰界にいる海建が、信仰から生まれる霊力を受け取ってるんだ。あー、一回信じ込んじゃうと、こういう流れって止めにくいのよね」
長い時の記憶がある魅音は、過去にも指導者に扇動された人々が、このような大きなうねりになった歴史を見てきている。
しかし、そんなことを言っている場合ではない。今まさに、陰界側では昂宇が、海建の相手になって戦っているはずだ。海建への力の供給を、早く止めなくてはならない。
(えっと、燕貞のインチキを一目でわかるようにするにはどうしたら)
魅音はぐるりと、この謎の祈祷会会場を見回した。
その時、偶然――
会場を囲っている白い布に、何かの影が映った。燃え上がる護摩によって、供物の影が踊るように映し出されたのだ。
「! あれだっ」
魅音はきらりと目を光らせた。
「見てなさい、燕貞。インチキにはインチキで返してやる。笙鈴、小丸、ついてきて!」




