24 『あたしが封じた』
「いやいやいやいや、開かないんですって! ほらっ!」
戸の方に戻った昂宇は、ドンドン、と音を立てる。
「待って、こっちからももう一回やってみる」
魅音の側からも、今度は冷静に調べて開けようとしてみたが、外鍵はない。まるで漆喰で塗り固めたかのように、戸はびくともしない。
「何で開かないんだろ? これ、本当に普通の戸?」
魅音は怪しむ。
「実はこの戸は昂宇の心そのもの、的な、そういうお気持ち的なアレはないよね? 昂宇自身も気づいていない心の奥では、西王母様のそばにいるのを望んでいるとか」
「何でそうなる……」
戸を挟んで、昂宇の大きなため息が聞こえる。
やがて、抑えた声がした。
「魅音」
「はいはい」
「……僕の身体には、会いましたか? 文を持っていたはずなんですが」
「あ、えっと、持ってた。見たよ」
正確には、昂宇が持っていた手紙を俊輝が送ってきて、その時に見たのだが。
「読んだんですよね? 笑いましたか? でも、あれが僕の望みです」
昂宇の声が、やや自虐の響きを帯びる。
「すみませんね、僕は根暗で友達の一人もいないものですから。だから、君との日々があまりに……楽しくて、まぶしくて。何度も、思い出すんです」
思わず、魅音は目を丸くした。
「私、普通の人間じゃないのに?」
「僕だって『普通』じゃないんですよ。少なくとも、今まで知り合った人々にとっては」
彼はうつむいているらしく、声は少しこもりがちだ。
「やっぱり魅音に、天昌にいてほしい。理由はなんだっていいから、会える場所にいてくれたら嬉しいと思って、妄想に任せて書いたんです」
「…………それって」
つぶやいた魅音の脳裏を、一瞬、美朱の声がよぎった。
『愛ね』
どきっ、として、魅音は珍しく黙り込む。
昂宇はさらに続けた。
「なのに、僕が陰界にいたがるわけ……」
「ない、よね。うん。そっか」
魅音はうんうんとうなずき、そして格子窓の方に移動した。
「昂宇、もう一回、顔見せて」
「え? はい」
再び、窓の向こうに立った昂宇は、少し恥ずかしそうに頬を上気させている。それでも、まっすぐに魅音を見つめた。
魅音は格子に手をかけ、じーっと彼を見つめ返すと、にっ、と笑う。
「さっきは言い忘れたけど、久しぶりに会えて嬉しいよ。あと、狐仙堂が壊されたの、怒ってくれたんだってね。ありがと」
「……魅音……」
昂宇は口ごもった。
そしてそっと、格子にかかっている魅音の手に自分の手を──
「やはり、昂宇はここにいることにしたのか?」
いきなり声がして、魅音と昂宇はパッとそちらを見た。
団扇でゆったりと自らを扇ぎながら歩いてくるのは、西王母だ。
「西王母様! あの、昂宇は帰りたいそうです。でも、ここが開かないのだと」
「何? ……おや」
廊下に上がってきた西王母は、軽く戸に触れただけで何かに気づいたようだ。
「術で封じられているな。私がやったのではないぞ。これは」
その時。
建物に囲まれた内院に、声が響いた
『あたしが封じた』
内院の築山の上に、ボッ、と紫色の炎が燃え上がる。その炎がぐるりと渦を巻いた、と思ったら、狐の尾に変化した。
黄金の体毛は角度によってわずかに虹色に輝き、尾の先と瞳は炎の赤に燃えている。
そこに姿を現したのは、九本の尾を持つ大きな狐――九尾狐だった。修行を積んだ狐仙が、大きな霊力を得た姿である。
人を乗せられるほど大きなその身体が、ふわっ、と飛んだ。そして、階段の目の前に降り立つ。
口が裂けるように開き、とがった牙を覗かせながら、再び声が響いた。
『昂宇っ!』
赤い瞳が、昂宇をにらむ。
『西王母様の巫のくせに他のオンナに心を寄せるとか、どーゆーつもり? あんたの心に狐の気配があることくらい、九尾様にはお見通しなんだよっ、チャラチャラしやがって! やっぱりここ封じておいて正解だった!』
きんきんとした声で言葉が飛び出し、凄まじい霊力の波動となって飛んだ。笙鈴が思わず一歩下がる。
昂宇は「は、はいっ⁉」と驚きながらも、
「チャラチャラしてるって初めて言われた……」
などとつぶやいている。
『それから! 魅音とかいったっけ⁉』
九尾狐はギロッと、魅音に視線を移した。
『あんたが、昂宇に狐の匂いを残してったヤツだねっ! 狐仙のくせに、西王母様のオトコを奪おうっての⁉』
「んえっ⁉」
仰天した魅音が二の句を継げずにいると、九尾狐は後足でダァンダァンと地団太を踏む。
『まさか、人間じゃなくて下っ端狐仙が横からかっさらおうだなんて! サイテー! 西王母様は、気に入りの巫には人間の女に近寄らないように呪いをかけてるんだよ。それなのに!』
「呪い⁉」
初耳だったらしい昂宇はもはや呆然とし、魅音もつい、
「それで女嫌いだったわけ⁉」
と突っ込む。
「玉秋、玉秋」
なだめるように、西王母が前に進み出た。どうやら女神は、この九尾狐に呼び名をつけているようだ。
「落ち着きなさい。呪いをかけたのは、私の巫だと認めている印に過ぎない。私は何も奪われてなどおらん」
『こいつら、大姐を侮辱したじゃん!』
九尾狐は西王母を『大姐』と親わしげに呼び、今度は器用に四つ足で地団太を踏んで、毛を逆立てた。
『大姐が許しても、一の側近であるあたしが許さないんだからっ! だから宮を封じてやったのさ!』
「き、九尾狐様、私たち狐仙の高みにいらっしゃるお方」
魅音は膝を突き、礼をした。
ただの狐仙の魅音にとって、相手は神話的大先輩であり、格が違う。
「無礼を働くつもりなど毛頭ございませんでしたが、ご勘気に触れたなら申し訳ありません。私は昂宇の友人で、彼の魂だけが陰界に行ったと聞いて、どうしたのかと驚いて駆けつけたところなのです」
『なら、無事だったんだからもういいじゃん、昂宇は西王母様の後宮に入ったの! あんたは一人で帰れば⁉』
「九尾狐殿!」
格子に捕まった昂宇が呼びかけた。
「僕はまだ寿命を終えてはいない。陽界に帰るのが理だ。どうか、帰してほしい」
『あんた巫でしょ⁉ 普通の人間と違うんだから、おとなしく西王母様に侍りな!』
九尾狐は聞く耳を持たない。
西王母は困ったように、首を振った。
「済まないな。この子は私に懐いてくれているのだが、私のためなら何でもしてしまうところがあってね。言い出したら聞かないのだ」
九尾狐は『この子』というレベルの存在ではないし、かといって「ハイそうですか、では昂宇はここで暮らすということで」というわけにもいかない。
「そ、そうおっしゃられましてもっ」
魅音は必死で考えた。
(何か、交渉材料はないかな⁉ 九尾狐様は西王母様のことを第一に考えておいでなわけだから、西王母様のためになるような何か、とか……って、一狐仙の私にそんなもん提供できるわけないのよー!)
その時。
ズン、と低い音が響いて、空気を震わせた。
「あっ」
魅音たちが空を見上げると、もう一度どこか遠くから、ドーンと何かがぶつかる音がする。
西王母が、ぽん、と手を打った。
「ここにも来たか。まあ、ちょうどよい。魅音、こちらへ」
ふわっ、と西王母の足元に雲が湧き、その雲に乗るようにして身体が浮き上がった。彼女はそのまま、宮の屋根へと上昇していく。
魅音があわてて狐に変身し、後を追おうとすると、笙鈴が「魅音様っ」と呼び止めた。警戒しているようで、左手を右腕の杼にかけている。
「行かれるのなら、私も」
『まずは見に行くだけだから、待ってて』
安心させようと言ったが、そんな笙鈴の肩から小丸が飛び移って来た。魅音の頭に駆け上がり、ちゅっ、と鳴く。
まるで「行こう」と言っているようだ。
『わかったわかった、じゃあ小丸、ついてきて』
魅音は屋根へと飛び上がった。




