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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
2-4 かけられた術を破るもの
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20 美朱の秘密

「──っはっ⁉」

 ガバッ、と起き上がる。

 寝台の上だ。

「魅音!」

 横から心配そうにのぞきこんでいるのは、美朱(・・)である。

「ああ、やっと目を覚ましてくれた」

「…………」

 じっ、と確かめるように見つめていると、彼女は窺うように聞いてくる。

「どうしたの、大丈夫? 卵でも食べる?」

 魅音は、大きくため息をついた。

(陽界の美朱様だぁ)

 いつの間にか、魅音は陽界に戻ってきていた。ここは、そちらの珊瑚宮のようだ。

「大丈夫みたい、です。あ、いたた」

 思わず額を押さえた。なぜかそこが、ズキズキと痛む。

 美朱が急いで、濡らした布を当ててくれた。

「たんこぶになってたのよ、ぶつけたんでしょ? 冷やしたから、だいぶましになったはずだけれど」

「ぶつけた? あの、私どうしてここに?」

「ああ、覚えてないのね。笙鈴があなたを連れて戻ったの。笙鈴!」

 美朱が呼ぶと、すぐに笙鈴が寝室に駆け込んでくる。

「魅音様! よかった、目を覚まされたんですね!」

「ごめん、私、あっちの美朱様に何かされたのかな。油断した」

「私にもよくわからないんですけれど」

 笙鈴は眉根を寄せる。

「侍女は待つように、と言われて、魅音様だけがあちらの寝室に入りましたよね」

「うん」

「でも、糸が繋がっているので、魅音様の様子がおかしいことだけは私にも伝わってきたんです。それで、思い切って寝室の戸を開けたら……あの……」

 なぜか、彼女はちょっと目を逸らすなどして口ごもる。

「開けたら、何?」

 魅音が聞くと、笙鈴は妃たちを見比べて、頬を赤らめた。

「そのぅ……寝台の上で、美朱様が魅音様に覆い被さっていて」

「はぁ?」

 美朱は目を見開き、続いてブワッと真っ赤になった。

「わ、私、魅音に何をっ⁉」

 しかし魅音は冷静である。

「ねぇ笙鈴。あっちの美朱様、針を持ってなかった?」

「そう、そうなんです、持ってました」

 笙鈴は大きくうなずいた。

「美朱様は魅音様に覆いかぶさりながら、魅音様の周りと言うか、寝台のあちらこちらに針を刺してたみたいで。何でなのかわからなかったんですけど、私とにかく魅音様が気を失っている様子に動転してしまって。美朱様の下から引っ張り出さなくちゃと、思いっきり糸を引いたんです」

「それでこのたんこぶかー!」

 寝台から糸で引きずり落とされ、ぶつけたらしい。

「も、申し訳ありません! つい、とっさに」

 笙鈴は肩を縮める。

「そのまま担ぎ上げて、というか半分引きずってしまったのですが、夢中で逃げました。あ、追われはしませんでした」

「ありがとう、助かった! 本当に!」

 魅音は真顔で、心から礼を言った。

「それで陰界を脱出して、こちらの珊瑚宮に来たのね」

「はい。魅音様がどうして気を失ってしまったのか、こちらの珊瑚宮に手がかりがあればと思いまして……美朱様にも、お話を伺えるだろうと」

「なるほどね。美朱様、今の話を聞いて、何か心当たりはありますか?」

 魅音は振り向く。

 すると――

 ――さっきまで真っ赤になっていた美朱が、今度は青くなっていた。

「美朱様?」

「は、針……針……?」

 彼女は、唇を震わせている。

「美朱様、心当たりがあるんですか?」

「あの……あるというか……でも、私は使っていない(・・・・・・)のに」

 視線を泳がせてうろたえる美朱に、魅音は静かに尋ねる。

「何かの術、ですね?」

 はっ、と美朱は顔を上げ、魅音を見つめた。

 そして、

「魅音にはお見通しね。……そうよ」

 と、うつむいた。


 美朱が落ち着いて話せるよう、三人は居間に移動した。笙鈴は部屋の隅のながいすに座り、卓子で魅音と美朱が向かい合う。

「針は、方術に使うの」

 ためらいつつも、美朱は説明する。

「陛下の後宮に入ると決まった時、両親は私が皇帝の子を産むことを期待したわ。私も、そのつもりだった」

「はい。後宮なんですから、そのように考えるのは自然なことだと思います」

 安心させるように魅音が答えると、美朱はうなずいて続ける。

「こう言っては何だけれど、二十三歳の宮女上がりの青霞と、田舎から来た翠蘭よりは、有利だろうと思ったわ。でも、天雪のことはちょっと警戒していたの。元々、陛下と近しい存在だったみたいだから」

「ご友人の妹さんだし、優遇するかも、と?」

「ええ」

 しかし天雪はまだ十四歳だったし、身分的には美朱が一番上だ。皇帝が最初に訪れるのは美朱のところだろう、と、彼女の両親は考えた。

 そこで、なるべく長く、俊輝を美朱のところに引き留めようとしたのだ。

「両親から、とある霊符を渡されたわ。私はそれを、珊瑚宮に入ってすぐに、寝台の裏に貼ったの。後は、ここに陛下がいらっしゃった時に、寝台のあちこちに針を刺しなさいと……そうすれば、何とかという術が完成する、と聞かされていた」

「『梱仙索(こんせんさく)』と呼ばれる方術の一種……かも」

 魅音は、頭の中から知識を掘り起こした。

『梱仙索』は、人をある地点に繋ぎ止めるための術だ、遊郭などで使われることがあると聞く。

 美朱も、思い出したようだ。

「そうだわ、そんなような名だった。……でも、魅音も知っての通り、陛下は全然、私の宮にいらっしゃらなかった」

 先帝の後始末に忙しかったためだ。その後、珍貴妃の件が持ち上がって後宮には来たが、妃のところを訪れるどころではなかった。

 美朱はちらりと微笑む。

「でもね、この間……魅音が後宮に戻ってきてから、陛下と妃たちで食事をしたでしょ。あの日の夜、急に、陛下が初めてここにいらっしゃったの」

「おっほぅ?」

「何よ、その表情。そういうんじゃないわ。……陛下は、お話があるとおっしゃった」

 俊輝は、美朱に説明したのだそうだ。


 自分は、昂宇を皇帝にしたいと考えている、と。


「……驚かないのね、魅音。昂宇さんが陛下の従兄弟だということも、私はこの件で初めて知ったのだけれど、もしかして魅音はとっくに知っていた?」

「はい。昂宇からも少し聞いていたので……。陛下は、昂宇の方が皇帝に向いている、とお思いのようでした」

 俊輝が打ち明けたなら、と、魅音は口を開く。

「天雪も知っていて、自分は後宮の体裁を整えるために来ただけだと言っていました。青霞は知らないと思いますけど、彼女は元々あまり、自分が妃だっていう意識がないというか。あと、昂宇本人は皇帝になるのを嫌がってます」

「そのようね。だから、どうなるかはわからないって……陛下は、昂宇を皇帝にするのは無理でも、例えば共同統治とか、色々と考えてらっしゃるみたい」

 俊輝は、自分は軍人であり、先帝を討ったことで役割を果たしたと考えている。皇帝としての仕事は、聡慧な昂宇に任せたい。

 一方、昂宇は忌み字を姓に持つ『巫』の自分などよりも、人望のある俊輝にこそ天命があると思っている。帝国を治めるには、それが大事だという考えだ。

「帝国を治めるのに、一番大事だと思うことが、お二方はちょっと違うみたいです」

 魅音の説明に、美朱はうなずく。

「そういうことなのね。……あの夜、陛下は私に謝られたの」

 今、美朱が俊輝の子を産んでしまうとややこしいことになるため、しばらくそういうことはないと考えてほしい、親族に期待されているだろうに済まない……と。

「『美朱のことは悪いようにはしないし、長くは待たせない』とおっしゃったわ。もし、こうしたいという希望があれば、なるべく添うようにするって」

(えーと、じゃあ美朱様が親族の期待通り、『皇帝の』子を産みたい、と望んだ場合は? 昂宇一人が皇帝になったら、陛下は美朱が昂宇の妃になるよう計らうのかしら。……ふーん)

 魅音が考えていると、美朱はふと、庭の方に視線を移した。

「陛下が帰って行かれた後ね。私、一晩中、自分はどうしたいのか考えたわ。結論は出なかった。でも」

 改めて、美朱は魅音を、凛とした瞳で見つめる。

「方術を使って陛下を寝台に繋ぎ止めるようなことは、しないと決めました。親族に何を言われようとも」

 その言葉が、魅音の心に届いた瞬間。

 魅音の目には、美朱がきらきらと輝き、いつにも増して美しく見えたのだ。

(……わぁ!)

 胸が高鳴り、頬がほんのりと温かくなる。

 ついさっき『俊輝が夜に美朱のところに来た』と聞いた時よりも、ずっと。

(私、今たぶん、『愛』を目の当たりにしている!)

「美朱様っ!」

 いきなり前のめりになった魅音に団扇ごと手を握られて、美朱はギョッとした。

「なっ、何っ⁉」

「美朱様は、自分の望みよりも、陛下の望みが叶うことを願ってらっしゃるんですねっ。素敵! ときめく! 『愛』です、『愛』を感じます!」

「はぁ⁉」

 あまりにまっすぐな言葉をぶつけられた美朱は、真っ赤になってのけぞった。

「や、やめてちょうだい、恥ずかしい! 別にそんな……陛下をお支えするのは、臣下として当たり前でしょう⁉」

「臣下の『愛』ですか? でも、男と女の──」

「ああああ」

 美朱は両手で持った団扇を、魅音の顔にベシッと押しつける。

「ぶっ」

「話が逸れています! 今は方術の話をしてたのよっ!」

 はぁはぁ、と美朱は息を荒らげつつ、話を引き戻した。

「私が言ってるのはっ、つまりっ、珊瑚宮の寝台には方術が仕込まれているって話なの!」

「なるほど。西王母様が陽界の後宮を陰界の後宮に写し取った時に、術も写し取られてしまったんですね。それを利用されたのか……」

 顎を撫でつつ、何度かうなずいた魅音は、フフンと不敵に笑った。

「そーゆーことなら、もう一度行って術を破れば突破できるわ。……言いにくかったでしょうに、教えて下さってありがとうございます!」

「全く」

 美朱は、やれやれ、といったふうに団扇で顔をあおいだ。

「誰にも言うつもりはなかったのに。……もう、『私』なんかにしてやられないようにしなさいよね!」

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