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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
2-4 かけられた術を破るもの
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19 昂宇の声を聞きたい

「あのー、美朱様?」

 背後から話しかける。

「何かしら?」

「美朱様は、西王母様とお会いしたことがあるんですね。私も、お会いしたくて来たんです。どうか取り次いでいただけませんか?」

 歩きながら、やはり一度は正攻法で頼んでみる。

 しかし【美朱】は前を向いたまま、

「珊瑚宮でもてなすように言われているの」

 と、にべもない。

「ですよねー」

 どう攻めるか考えているうちに、【美朱】は回廊に上がり、母屋の居間に入った。

 魅音は珊瑚宮に入ったことがあるので、続きの寝室があることを知っているが、そちらの戸は閉じられている。

 卓子の上には、美しい絹の布地が置かれていて、どうやら美朱は刺繍をしていたようだ。あまり大きくない布地なので、香包(においぶくろ)か何かにするのかもしれない。

【美朱】は腰かけると、魅音にも身振りで椅子を勧めながら尋ねてきた。

「あなた、どうして西王母様にお会いしたいの?」

「私の友人、昂宇の魂を、連れていってしまわれたんです。彼は生きているのに」

 隠してもしょうがないので、魅音は説明する。

「陽界の照帝国にとって、とても大切な人なんです。何とかして、返していただけないかと思っています」

「それは、その昂宇とやらも、望んでいるの?」

【美朱】は首を傾げた。

 そして立ち上がると、飾り棚に近寄った。何か、布がかかったものが置かれている。その布を取り去ると、持ち手のついた鏡が鏡立てに載っていた。

 美朱は鏡を手にとり、戻ってくると、魅音に差し出す。

「昂宇って、この人かしら」

「あっ!」

 鏡を見た魅音は、目を見張った。

 そこには、昂宇が映っていたのだ。

 彼はまるで皇帝のような身なりをし、絹張りの美しい椅子に座って、何か考え込んでいる。目の前の卓子には山海の珍味を盛った皿や酒瓶が並び、とても豪華だ。

【美朱】も横から鏡を眺める。

「やっぱり、この人が昂宇なのね?」

「は、はい」

「こちらで西王母様に大事にされて、何不自由なく幸せに暮らしているように見えるわ」

「…………」

 魅音は、心の中でつぶやく。

(もしかしたら、その可能性もあるのかもしれない)

 昂宇が帰りたがらない、という可能性だ。


 宏峰で、魂の抜けた昂宇の身体と対面した、その日の夜。

 魅音は『王』家の屋敷の内院に出て、月を眺めていた。そこに、声がかかった。

『眠れないのか』

 翼飛だった。

 さすがに昼間のような鎧は身に着けておらず、寛いだ服装をしている。

『ここまでの旅で、疲れてるんじゃないのか』

『そうなんですけど……何だか目が冴えちゃって。これでも一応、身体は休めてます。明日から動けるように』

『なら、いい。……どうだ、一杯。緊張が解けて、眠れるかもしれないぞ』

 彼は、紐でぶら下げていた酒壺を持ち上げて見せた。

 魅音が酒杯を二つ見つけて持ってくると、翼飛が注いでくれ、二人で外廊下に腰かけてちびちびと飲み始める。

『あんたみたいな人が昂宇のそばにいて、よかったよ』

 翼飛はそんなことを言った。魅音は首を振る。

『そばにいたわけじゃないです。何かあったら、駆けつけるくらいはしますけど』

『うん、それで十分だ。昂宇は子どもの頃に一人で宗族から離れちまったから、親しい存在がいなくてな』

 この時に、魅音は初めて翼飛から、昂宇の子ども時代の話を聞いたのだ。

 普通の人間とは見えるものが違ったために孤立し、まるでなるべくして……という形で巫になったといういきさつを。

 その後、修行の一貫で皇城にやって来はしたものの、面倒ごとにならないためには俊輝の身内だと知られない方がいい。そこで昂宇は、太常寺でも周囲と距離を置いていて友人もできなかったし、女性関係はもってのほかだった。

『あいつは俊輝のためにあれこれ動いてくれたが、いよいよ修業が終わって皇城を離れることになっていた。そうなると、なんつーか……』

 翼飛は言葉を選んでから、続ける。

『こっちに昂宇を引き留めるものが、もはやないような気がしていてな』

『こっち、というのは、陽界に?』

『そう。だから少し、心配なんだ。あいつ自身が、ちゃんと戻ろうとするかどうか』


「…………」

 魅音は食い入るように、鏡を見つめた。

 そして顔を上げ、【美朱】を振り向く。

「幸せならもちろん、いいんです。昂宇がこちらに残りたいって言うなら構わない。でも、それを確かめないと」

 そして、魅音は立ち上がった。

「彼は人間です。神々に好きなようにされたら抗えません。私みたいな狐仙が、神と人の間に立って取り持ってもいいと思いませんか?」

 黙っている【美朱】に、魅音はさらに言う。

「人間は、狐仙堂に望みを願うもの。そして、神や死者の声を聞く巫だって、人間なんです。願いはあります。……私は、人が願う声を聞く狐仙。彼の声を聞きたいんです」

 すると、【美朱】は小さくため息をついた。

「会わないままでは、納得しないようね」

「彼はどこにいるんですか? この宮の中に、道があるんでしょう?」

 卓子に手を突き、身を乗り出して魅音が尋ねると、【美朱】はうなずいた。

「あるわ。通してあげてもいい」

「本当ですか⁉」

「ええ」

【美朱】は立ち上がりながら言う。

「でも、あなただけです。侍女はここで待たせなさい」

 魅音はちらりと、笙鈴を振り返った。笙鈴は心配そうに、魅音を見つめ返す。

(本当に、通してくれるつもりかな。……今のところ、俊輝陛下の後宮にいる妃は、美朱で最後。通せんぼして来るとしたら、彼女で終わり? この先に西王母様がいるなら、確かに笙鈴には荷が重すぎるかもしれない)

 魅音は笙鈴にうなずきかけた。

「待ってて」

「……はい」

 笙鈴はそう答えたものの、左手を右腕に添えたままだ。何かあった時、すぐに動けるようにしているのだろう。

【美朱】は寝室の戸を引き開けて、入っていく。魅音は後に続いた。

 中は、魅音が以前に入ったことがある通りの、ごく普通の寝室に見えた。天蓋に覆われた寝台には紗がかかり、互い違いになった飾り棚には美しい花瓶や細工箱が飾られている。

「寝台の中へどうぞ」

【美朱】が言う。

「中? こんなところに道が?」

 魅音は寝台に近づき、片手でそっと紗をよけてみた。いわゆる架子床というもので、屋根や壁があり、まるで小さな部屋のような作りをした寝台だ。

 しかし一見、それだけのものに見える。

「あの、道って」

 振り向いた時、すぐそばに【美朱】の顔があった。

「わっ?」

 驚いて身体を引いた拍子に、魅音はストンと、寝台に腰かける格好になった。

【美朱】の右手に、何かキラリと光るものがある。

 縫い針だ。

「おやすみなさい」

 甘くささやく声と共に、その針が寝台に突き刺された瞬間──

 ──意識が、スッ、と遠くなった。

(えっ……? なに、が……)

 身体の力が抜ける。

 魅音はくたりと、寝台に倒れ伏した。

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