12 青鸞王妃・魅音
「だめだ。出られない」
ドサッ、と椅子に腰かけ、昂宇はため息をついた。
彼は、閉じこめられている宮から何とかして脱出しようと、あれこれ試している。
しかし、力ずくではどうにもならず、ならば方術で……と思っても効かない。よほど強力な術がかかっているのだろう。
(窓から見た限りでは、宮の周囲も靄に包まれていて、何だか様子がおかしい。誰かが来る時だけ、道を繋ぐのかもしれないな。だとしたらお手上げだ)
困り果てて、頭をかく。
(魂の抜けた僕の身体、どうなっているだろう。天昌には連絡が行っているはずだけれど。俊輝に心配をかけて悪いな)
俊輝はおそらく、代わりの方術士を手配しただろう。
(でも、僕がなぜこうなったのか、魂が今どこにあるのかを見抜くことまではできるかどうか。幸運に幸運が重なって見抜けたとして、こんなところ、助けになんて来れるわけが……)
昂宇は首を振る。
(俊輝に無理なら、絶望的だ。父上は……『王』家は、心配なんてするわけがないし)
幼い頃、いわゆる臨死体験をした昂宇は、以来、普通の人には見えないものが見えるようになった。その上、『死』を恐れなくなった。
それが不幸なことに、彼の宗族との間に誤解を生んでしまうことになる。
俊輝の父親、つまり昂宇の叔父が亡くなった時、嘆き悲しむ彼の家族に昂宇は不思議そうに言ったのだ。
「何で悲しいの? おじさんは冥界に行っただけなのに。しばらく会えないだけだよ」
仲の良い従兄弟だった俊輝は、その言葉に慰められたようだ。
しかし、大人たちは違った。俊輝の父の死によって、宗族内での立場が強くなるのが昂宇の父であったために、勘ぐられたのだ。
『子は親の鏡だ。昂宇が平気そうにしているのは、昂宇の親が悲しんでいないからでは? 彼らは内心、俊輝の父が死んで、喜んでいるのではないか?』
元々、大人たちの間に火種はあったのだ。昂宇のせいばかりではない。しかし、昂宇の言動が小さな火を点けてしまった。
昂宇の父はその火が大きくならないうちに、何かしらの手を打つ必要があった。
そんな時、『王』家の巫の役割を担う『難』家が、いずれ新たな『難』家の当主となる弟子を求めた。
昂宇の父は、長男である昂宇を差し出すことで、示しをつけたのである。
(『王』家を出て巫になれ、と言われて平気そうにしている僕を、不気味がっている人も結構いたしな。母上すらそうだったのを知っている。僕が、幽鬼が見えるとか言うからいけなかったんだろうけど)
しかも、昂宇は覚えていた。
熱病で死にかけた時、夢の中で出会った高貴な女性に『巫に向いている』と言われたことを。
両親に連れられ、昂宇は山の中にある『難』家を訪れた。経文の刻まれた石柱の間を通り、『難』家の当主に案内されて、参道を上っていく。
やがて、大きな廟にたどり着いた。冥界を思わせる装飾の施された、荘厳な外観だ。中に入ると、まるで林のように白い布があちらこちらから垂れ下がり、代々の当主の木像がぐるりとあたりを取り囲んでいる。
冥界を管理する西王母の祭壇の前で、儀式が始まった。
『難昂宇』と書かれた白木の札が、祭壇で焚かれた火の中に投げ入れられる。西王母と先祖に、昂宇を認め迎え入れてもらうのだ。
札はジリジリと燃え、黒い炭になっていき、最後の白い部分までが崩れ落ちる。
その瞬間、ふと何かを感じて、昂宇は顔を上げた。
祭壇の上から、西王母の塑像が彼を見下ろしている。その姿に、あの時出会った女性の姿がうっすらと重なっていた。
女性は妖艶な笑みを浮かべ、そして消えた。
自然と、彼は理解する。
(ああ。あの時会った女性こそ、西王母だったんだ)
昂宇、と、両親が背後から呼びかけた。
振り向いた昂宇は、どこかすっきりとした表情で頭を下げる。
お世話になりました、と。
『こういう運命だったんだ。あいつはもう半ば、こちらの人間ではない』
父親が、まるで慰めるかのように母親にそう言った。
そして、二人はもう昂宇に目を向けることなく、当主に挨拶をして立ち去ったのだ。
それ以来、両親とは数えるほどしか会っておらず、手紙のやりとりも形式的なよそよそしいものだ。
かつての身内は、昂宇を助けになど動かない。彼にはそんな確信があった。
(『難』家はそもそも、西王母が僕をお望みなら、どうぞどうぞと差し出す側だ。立てつくわけがない。……僕はもう、ここで暮らすことになるのかもしれないな)
陽界と昂宇を繋ぐ糸は、細く、儚い。
(本当に? 僕はここまで、陽界に未練がなかっただろうか……)
魅音が妃たちと食事をした、翌日。
薄曇りの空の下、笙鈴を連れた魅音は後宮内の泰山に登った。堂に付属する建物にたどり着くと、そこで俊輝を待つ。
魅音は、身分が重要だと聞いた天雪によって、妃らしく飾り立てられていた。
「私の実家は天昌のすぐ東の町ですから、昨夜のうちに家にあるありったけを取り寄せたの。装身具は、何代か前にお嫁入りしてきた公主様のものもあるから、どこに出ても恥ずかしくないと思います!」
青を基調に、黄を差し色にした襦裙、繊細な細工の装身具が、魅音の神秘的な妖艶さを引き立てていた。
お供の笙鈴も、いつもの地味な宮女服ではなく、角杯宮の侍女のお仕着せを借りて着ていた。落ち着いた緑の襦裙の裾を、何やら居心地悪そうに気にしている。
彼女の肩には小丸が乗っていて、うつらうつらと舟を漕いでいた。
太陽が中天にさしかかる頃、ようやく俊輝が現れた。付き添いの宦官を外に置いて、中に入ってくる。
「すまん、ずいぶん待たせた。手続きに手こずっていて」
「白翼飛様の養女になる手続きが、難しかったってことですか?」
「いや、ちょっとな。新しい称号を作ったために時間がかかった」
俊輝はそんなことを言い、そして懐から何やら紙を出して広げる。
「魅音。西王母に会ったら、こう名乗れ」
紙には、俊輝の人柄を現すような堂々とした文字で、
『青鸞王妃』
と書かれている。
青鸞というのは、雉の仲間の青い鳥だ。伝説の瑞鳥・鳳凰は、この青鸞によく似ているとされている。
魅音はその書類を受け取って、まじまじと眺めた。
「『青鸞王妃』? てっきり私、一時的に『貴妃』か『淑妃』か『徳妃』になるのかと思ってました」
照帝国では、皇帝の妃たちは上から夫人・嬪・婦・妻という身分に分かれる。称号を持つのは夫人だけで、最大四人。現在、夫人は美朱のみで、『賢妃』の称号を持っていた。
魅音は、それ以外の夫人の称号を借りることになるのだろうと思っていたのだ。
俊輝は「いや」と軽く首を振る。
「俺たちは昂宇を返してほしいだけで、西王母に刃向かおうとしているわけではないからな。恭順の意を示そうと考えて、西王母ゆかりの鳥の名をつけた」
青鸞は、冥界の女神の世話をするとも言われている鳥なのである。
「なるほど」
(狐仙は鳥語がわかると話したばかりだったし、私は卵が好きだし、連想したのかな? それにしても、『王』か。古めかしい印象の称号ね)
魅音がそう感じたのは、いくつもの国同士が争っていた時代、国は『王』が治めていたためだ。『皇帝』は、統一帝国が生まれた後の新しい称号である。
(陛下が『王』だと、まるで昔の人みたい。現在は『王』も称号の一つになってるんだっけ? 皇帝が『王』の称号も持つってこと? まいっか、神様相手に名乗るなら、悠久の時を感じさせる称号も悪くない気がする。私は『王』の妃で『王妃』、と)
ふんわりとだが、納得した魅音である。
「正規の手続きを踏んで作った称号だ。堂々と名乗れ」
俊輝に言われ、魅音は「はい」とうなずくと、傍らの笙鈴を見た。
「ということで、笙鈴は青鸞王妃の侍女ね。よろしく」
「か、かしこまりました」
笙鈴は礼をした。




