11 魅音にとって昂宇は
美朱が顔色を変えた。
「待って、一人で行くつもり? 危ないに決まっているでしょう」
青霞が同意する。
「そうよ、それこそ方術士か誰かを連れて行った方がいいんじゃ?」
「はい、ですから、周笙鈴についてきてもらおうと思って」
魅音が答えると、全員が「あぁ」と声を上げた。
天雪がのほほんと指先を顎に当てる。
「そういえば笙鈴は、霊感がすごーく強いんですよね。私と違って」
妃たちは笙鈴について、『妹を探しに後宮に来て、珍貴妃に利用されてしまった被害者』だと思っている。実際は珍貴妃と共犯関係だったこと、その結果として半妖になったことなどは、知らない。
ただ、笙鈴が妃たちを危ない目に遭わせたことを深く悔いており、今も後宮で役に立とうと誠実に働いていることは、好ましく思っていた。
「それなら、笙鈴は魅音の侍女ということにするか」
立ち上がりながら、俊輝が言う。
「永安宮に戻って、そのあたりの手続きをしてくる。……本当は俺も宏峰に行って、翼飛とあっちの件を何とかするなり何なりしたかったんだがな。魅音が後宮であれこれするなら、俺も天昌を離れない方が良さそうだ」
俊輝は陽界の皇帝なので、地位的には陰界の神々に匹敵する。そんな彼にしかできないことがあるかもしれない。
そして俊輝は、妃たちを見回した。
「俺にとっても、昂宇は親しい友人であり、優秀な参謀だ。すぐに取り返せればいいが、もしかしたら時間がかかるかもしれない。皆、何かあれば協力してほしい」
「かしこまりました」
妃たちは一斉に両手を重ね、礼をした。
俊輝が「やれやれ。スカッと暴れたいものだ……」などとつぶやきながら出て行き、女たちだけになると、その場の空気はぐっと砕けたものになる。
「魅音。陛下が身分を用意して下さる、っていうのは、今度こそ身代わりではない妃になる、という意味よね?」
美朱が確認するように尋ねて来る。
魅音が「うーん」と言葉に迷っていると、青霞が少し考えてから口を開いた。
「私は元々、宮女として責任者の位にいて、そこから妃になったけれど、魅音はそのあたりはどういう形になるのかしら」
「えーと、実はですね。白翼飛大将軍が、私を養女にして下さるとおっしゃっていて……その上で陛下の妃に、と」
「まあ! お兄様が⁉」
天雪はどうやら、初耳だったらしい。
「じゃあ、魅音が私の姪になるんですね! 何て面白……素敵なの、お祝いしなくっちゃ!」
「いやいや天雪、これは身分を上げるために、形だけそうするだけだから」
「形だけなんですか? 本当の本当でいいでしょう?」
両手を組み合わせる天雪を、苦笑いしながら青霞が宥める。
「天雪、ほら、ことは後宮入りにかかわるから。魅音は昂宇さんと仲が良かったじゃない? 昂宇さんがいない間に、魅音が陛下の妃になっちゃうのも……ねぇ?」
「あぁ……そうですね」
はっ、と納得した様子の天雪に、むしろ魅音が首を傾げる。
「そうですねって、何が?」
すると美朱が、とてつもなく包容力に満ち溢れた微笑みを、魅音に向けた。
「あなたにとっては、特別なことではないと思うわ。魅音と昂宇さんはとても仲が良くて、それなのに、昂宇さんのいない間に何の相談もなく魅音の大事なことが決まっていたら、きっと寂しいのではない?」
「えー、でも、昂宇を助けるためなのに」
微妙に納得が行かない様子の魅音に、天雪が身を乗り出して尋ねる。
「ね、ね、魅音。魅音にとって、昂宇さんはどんな存在なんですか?」
「どんな?」
魅音は頭の中に、昂宇の顔を思い浮かべた。
「うーん、生真面目すぎてめんどくさい時もありますし、口喧嘩も割としますけど、嫌いになったことはないし、たぶん昂宇にも嫌われてないと思うし……そういう変な安心感はありますね。あ、女性嫌いだけど、いざという時には頼りになりますよ、彼」
「何でも言い合えて、頼りになる!」
「素敵!」
きゃーっ、と青霞と天雪がはしゃぎ、美朱は団扇の影でニマニマしている。
「なるほどね。そういう人のことは、大事にしないとね」
「? まあ、そうですね。だから、助けたいと思います」
「あっ魅音、じゃあ妃として泰山娘娘に会いに行くのよね」
何かに気づいたように、青霞が目を見開く。
「まさか、その格好では行かないわよね」
「あ」
魅音はハッとして、自分の地味な宮女服を見下ろした。
西王母に会うためにせっかく身分を高くしてもらうのに、身なりを改めない、というわけにはいかないだろう。
そのとたん、すっく、と天雪が立ち上がった。
「私の出番ですね!」
グッとこぶしを握る。
「大好きな姪のために、素敵なものを揃えます! 魅音、任せて下さい!」
「た、助かるけど、無理しないでね叔母さま」
戸惑いながら魅音が言い、美朱と青霞は笑い出してしまったのだった。
医局に戻った魅音は、笙鈴にも詳しい説明をした。
「そんなわけでね。明日、笙鈴にも一緒に来てほしいの」
「かしこまりました。私が、魅音様の侍女……ですか」
笙鈴は両手を胸に当てる。
「何だか、ドキドキしますね」
高貴な女性の侍女となれば、普通はそれなりの家の出身である。笙鈴は後宮に来る前、町の診療所で働く娘に過ぎなかったので、こんな展開は予想外だったのだろう。
「では、私が魅音様と一緒に行くとなると、医官様がお一人になってしまいますね……それでも動けるように、色々と準備をしておこうと思います」
どうやら、医官は一人で何でもこなせるタイプではないらしい。それなら、笙鈴のような気の利く助手がいないのは、なかなかに大変だろう。
「何だか悪いね、手伝えることはある?」
「お気遣いありがとうございます、大丈夫ですよ。もう遅いですから、先にお湯を使って、お休みになって下さい」
身体を拭くための湯をすでに用意してくれている、有能な笙鈴である。
魅音はありがたく身ぎれいにしてから、寝台のある一室に入った。
県令の家から持ってきた荷物は、すでにここに運んである。包袱一つの小さなものだが。
「準備かー。天雪に任せっきりっていうのもアレだし、私も何か準備っているかな。身一つの方が、警戒されなくて済みそうだけど……あ」
ふと、魅音は自分の荷物を解き、中を探った。
取り出したのは、手のひらくらいの大きさの木板だ。墨で複雑な呪文が書かれており、穴をあけて紐を通してある。
昂宇が作った『霊牌』だ。
かつて彼は、後宮の周囲に妖怪を逃がさない結界を張ったのだが、これを持つ者だけは結界を通れるようにと作って魅音に渡してくれた。結界の消えた今ではもちろん必要のないものだが、何となく捨てずにとってある。
(……これ、持って行こうかな。お守り代わりに)
魅音は、紐を首にかけた。
そして寝台に横になり、霊牌に両手を重ねる。
(もうすぐ助けてあげるから、期待して待ってなさい、昂宇!)




