10 3人の妃たち
皇城に夜のとばりが降り、月が煌々と瑠璃瓦を照らしている。
灯籠を持った宦官に先導され、魅音は俊輝とともに後宮の渡り廊下を歩いていた。向かっているのは、極楽殿。以前、俊輝が妃たちに称号を叙した場所である。
待合に使われる一室に入ると、急に空気がキラキラと輝き始めたような気がした。灯りが増えただけではない。三人の美しい妃たちが待っていたからだ。
色鮮やかな襦裙を身にまとい、玉の簪や耳飾りを揺らす、李美朱、江青霞、白天雪である。
卓子を囲み、茶を飲んでいた彼女たちが、俊輝に挨拶するために立とうとし、そして。
「…………魅音っ⁉」
全員が面白いくらいに声を揃え、目を丸くした。
妃たちは、俊輝がここに集めた。泰山娘娘の話から、表と裏の後宮を行き来する可能性が出てきたためである。
『そうなると、魅音を見かけて驚く者もいるだろう。今さら陶翠蘭の身代わりだった件を隠してもしょうがない、妃たち全員に先に事情を説明してやれ』
という理由からだ。
もちろん彼らしく、合理的に全員でこれから食事会である。時間が遅いので、夜食会、といったところか。
俊輝の大きな手が、魅音を軽く前に押し出した。魅音は(気まずぅー!)と思いつつも、えへへと照れ笑いする。
「ええと……また、お世話になります」
美朱が勢いよく立ち上がり、駆け寄ると、両手で確かめるように魅音の頬を包んだ。
「アザは⁉ 消えたのね⁉」
「あっ、えっと、原因がわかって今度こそ完璧に治りましたっ。ご心配おかけして、本当に申し訳ありません!」
本気で心配をかけたので、本気で謝る魅音である。さすがにもう二度と、仮病を使うつもりはない。
「よかった……」
あからさまにホッとした美朱は、何やら我に返ったようにハッとして視線を逸らす。
「ま、全く。後宮を出たり入ったり、忙しない人ね!」
すぐに青霞と天雪も駆け寄ってきた。
「うふふ、魅音! やっぱり思った通りでした。治って戻ってきそう、って言ったでしょう?」
天雪はニコニコだが、青霞は戸惑っている。
「でも魅音、どうしてこんな格好してるの? まるで宮女じゃない」
以前に来たときも、妃としては地味な方だったが、今の魅音の格好はいかにも宮女である。
「実は、こっちの方が本来なの……なんです。嘘をついてて、ごめんなさい」
魅音は、自分が県令の家の下女であること、前回は陶翠蘭の身代わりで後宮に来ていたことを打ち明けた。
美朱が眉をつり上げる。
「何てこと。いえ、魅音のこと怒ってるんじゃないわ、その翠蘭よ。陛下を騙すために下女を送り込むなんて!」
「魅音の方から提案したらしい。そして俺を騙した件については、前回の働きによって不問に付した」
俊輝が助け船を出す。
「そういうことでしたら、慈悲深い陛下のご判断に従います」
美朱は両手を重ね合わせて礼をしたが、すぐに俊輝と魅音をまっすぐ見つめた。
「まずは、魅音が戻ってきた理由をお聞かせ下さいませ」
夜食や酒が運ばれ、宮女たちが下がると、魅音は今回の件について妃たちに話した。俊輝は口を挟まずに見守っている。
「昂宇さんが行方不明に……何だか、神隠しみたい」
天雪は心配そうに両手を握りしめ、青霞は納得したようにうなずく。
「それで、魅音が助けに来たのね。あなた何か、不思議な力を持っているものね」
妃たちは、魅音の本性が狐仙だとまでは知らない。しかし、全員が一度は彼女に助けられているため、『魅音はなぜか怪異に強い』『そういう人っているわよね』くらいの認識を持っている。
それにしても、さすがに泰山娘娘に力を借りる件については、驚いたようだ。
「何というか、本当にいらっしゃるのね。泰山娘娘って」
美朱が感心したようにつぶやき、天雪は首を傾げる。
「魅音はどうして知ってたの? お会いできる、ってことを」
「ああ、知ってたんじゃないです。夢枕に立ったんですよ、泰山娘娘が。後宮の泰山堂に来るようにって」
平然と嘘を言い切るのは、魅音の特技(?)である。
元々、夢は陰界と繋がっている、という言い伝えがあるのもあって、妃たちは「なるほど……」と言いくるめられてしまった。
青霞は眉根を寄せる。
「ええと、後宮の裏側にいるっていうのは、どういう意味?」
「西王母は、陽界の後宮……つまり『ここ』を陰界に鏡写しにして、陰界にも後宮をお作りになったみたいなんです」
何とかわかりやすく説明しようと、魅音は少し考える。
「つまり、こう言っちゃ何ですけど、西王母様はまるで女帝のように昂宇を囲うために、ひとまずかりそめの後宮を作った……みたいな?」
「まぁ。無理矢理なんですよね? ひどいわ」
天雪が憤慨する。
(そうなのよねぇ。人間なんて、神仙から見たらすぐに死ぬ生き物なんだから、こんなことしなくたって待っていればいずれは囲えるのに)
逆らう人間の魂を連れ去るならともかく、昂宇は敬虔で真面目な西王母の信徒だ。魅音から見ても、西王母の仕打ちは少々理不尽に思えた。神とはそういったもの、と言われてしまえばそれまでだが。
何か考え込んでいた美朱が、魅音を見る。
「昂宇さんは連れ去られる時、『西王母様』と言ったのよね。それが西王母様だと、見てわかるものなの?」
俊輝が口を開いた。
「普通の人間には、わからないはずだな。俺も調べてみたんだが、どうやらあいつが巫になった時の儀式が関係していそうだ。西王母の許しを得る儀式だそうだから」
昂宇を助けるため、俊輝がこの一ヶ月、調査に手を尽くしていたのであろう様子が伺い知れる。
「儀式の時に、昂宇は西王母を見たんだと思います。巫になる許しを請い、そして許されたんでしょうから」
狐仙らしい考えを、魅音は述べた。
「それと、前に昂宇に『どうして女が苦手なの?』って聞いたことがあるんです。信仰してる女神がいるからだ、って返事だったんですけど……たぶん、それが西王母だったんでしょう」
「嫉妬深いお方なのかしら」
「私もそう思ったんですけど、よく考えたらおかしいですよね。嫉妬深い女神に操をたてて人間の女性に『近づかない』、っていうのはわかるけど、むしろ『近づくことができない』って感じだったので」
「西王母側から、何らかの縛りをかけられていた、という可能性もあるか」
俊輝は軽く両手を広げる。
「詳しいことは、西王母ご本人から聞かないとわからない。そのためには、鏡写しの後宮に行かなくてはな」
「はい。泰山娘娘が色々と教えて下さったんですけれど、陽界の後宮、つまりここから行けるのだそうです。身分など、条件が揃えば会うことも叶うかもしれません」
(ある意味、幸運だったかも。もし陽界から冥界まで行くとなると、天まで届く本物の泰山を登らなきゃならないもの)
そう思いながら、魅音は軽く告げた。
「陛下が身分を用意して下さるそうなので、私、ちょっくら陰界の後宮に行ってきます」




