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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
2-2 かりそめの後宮
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9 泰山娘娘は狐仙の味方

 後宮の北東には、冬も緑の沿階草(リュウノヒゲ)が低く茂り、樹海さながらに広がっている。

 そしてその中に、泰山に見立てられた山、いわば小泰山があった。

 夕闇に沈みつつある正面の階段を上っていくと、両脇に等間隔に点された灯籠の灯りが、まるで怯えるかのように小さく揺れている。

 上り切ったところに、朱色の壁の堂があった。立派な門の瓦屋根の下に、『泰山堂』という額がかかっている。

「俺は、ここに来るのは初めてだ」

 俊輝が額を見上げ、魅音もつられるように見上げた。

「まぁ、後宮の女性たちのために建てられていますしね。入ってみましょう」

 二人は、開いていた戸から中に入った。奥に祭壇があり、色鮮やかに塗られた女性の木像が、こちらを見下ろしている。

 泰山娘娘である。

 二人は木像の前で膝をつき、両手を重ねて頭を垂れ、まずは祈りを捧げた。

「……さて、魅音。どのようにしたらいい?」

 立ち上がった俊輝が聞くと、魅音はあっさりと答える。

「普通に、呼びかけます」

 両手を筒の形にして口元にあてた彼女は、声を張り上げた。

「娘娘! 魅音ですー! 泰山娘娘!」

 少しの間、堂の中は静まりかえる。

 やがて。

『魅音っ⁉』

 桃色の霧がブワッと膨らんだ、と思うと弾け、木像の前にふくよかな女性の姿が現れた。半分透けているが、垂れ目の表情豊かな顔ははっきりと見える。

『まあまあ、魅音、元気そうじゃないの! まったくあんたって子は、人間に生まれ変わってから全然連絡してこないんだから!』

 しもぶくれの頬をさらにプリプリと膨らませ、その女性は両手を腰に当てた。魅音は両手を合わせる。

「ごめんなさーい、えへへ。あ、娘娘、こちらは照帝国皇帝の俊輝様」

『あらあらこれはこれは、陽界の皇帝陛下!』

 女性は両手を重ねて礼をする。

『うちの魅音がお世話になって! ご迷惑おかけしてませんか⁉』

「…………あ、王俊輝と申します。いや、こちらこそ世話になっていて」

 返事に困りながら、俊輝も礼をした。

(何だか、帰郷する友人に同行して母上殿に挨拶してるみたいだ。いや、母同然とは聞いていたが程があるというか)

 その泰山娘娘の後ろから、数匹の茶色の狐たちが姿を現した。魅音を目に留めると、まるで踊るように飛び跳ね、キュウン! キャンキャン! と楽しそうな鳴き声を上げる。

『こらこら、あんたたちは試験勉強中でしょ! 集中! あっちに行ってなさい!』

 娘娘のお叱りに全くめげない狐たちはますます騒ぎ、娘娘は『魅音、ちょっと待ってて!』とてんやわんやの様子だ。

 魅音は「加油(がんばれ)ー!」などと手を振っている。

「試験勉強?」

 俊輝が魅音に聞くと、魅音はうなずいた。

「今年は、六十年に一度の狐仙試験の年なんです。泰山娘娘が試験官として実施して下さるんですが、合格してやっと、狐仙修行を始められるんですよ」

 当然、俊輝には初耳の話である。

「六十年に一度しかないのか。よほど運がいいか、長生きするかしないと、まず試験を受けられないな」

「です。まずはそれで(ふるい)にかけられるわけですね」

 運も含め、普通の狐では狐仙になれない、ということらしい。

「ちなみに、どんな修行をするんだ?」

「まず最初は、鳥語です」

「鳥語」

「はい。鳥語を習得してからじゃないと、人間語は教えてもらえないんです」

「……俺には理解の及ばない規定があるんだろうな……」

 俊輝が素直に感心していると、泰山娘娘が戻ってきた。

『はー、待たせてごめんなさいね。やれやれ、ホント騒がしいったら。……それで? 何があったの?』

 彼女は、軽く首を傾げる。

『気にはなっていたのですよ。後宮の名簿に、魅音の名が記されたので』

 陽界では皇帝、陰界では天帝を頂点として、同じような官僚機構がある。魅音も俊輝の後宮の宮女となり、陽界の階級の一つに収まったことになる。

 二つの世界は見えないながらも重なり合っているため、神仙はそれを把握しているのだ。

「お気づきでしたか。実は……」

 魅音と俊輝は代わる代わる、現在の状況を説明した。


『それで西王母様にお会いしたいのね。なるほど』

 泰山娘娘は、片頬に手を当てて考え込む。

『でも、私のように、呼び出せば会えるというものではありません。まずは土地神などの神に願い出て、そこから上へ、上へと取り次いでもらうことになります』

「わーん、そんなところまでこっちの宮廷と同じー!」

『それに魅音、そもそもあなたの今の身分では、会っていただけないでしょうねぇ』

 つい最近、魅音の身分を上げないと俊輝の妃になれない、というような話をしたばかりだ。俊輝が尋ねる。

「陰界でも、陽界での身分は重要視されるのだろうか?」

『陽界で偉くなるのも、陰界で偉くなるのも、同じくらい重みのあることです。表裏一体の世界ですから、陰界でも同じように尊重されますよ、陛下』

 泰山娘娘はその言葉通り、俊輝を『陛下』と呼んでいる。

「なるほど。だから魅音も俺には丁寧な口を利くんだな。一応」

 俊輝が横目で魅音を見下ろすと、魅音は意外そうに答えた。

「一応ぉ? すっごく尊重してるつもりなんですけど」

「どうだかな」

 そんな二人を面白そうに見つめながら、泰山娘娘が天を指すように指を一本立てた。

『要するに、魅音が陽界で高い身分になれば、西王母様に会える可能性は高まる。そういうことですね』

「じゃあ結局、翼飛様に養女にしていただいて陛下の妃になった方が、話は早かったってことですか。なら仕方ありませんね。陛下、よろしくお願いします!」

 魅音はスッパリ切り替えて、頭を下げる。

 俊輝は腕組みをした。

「……俺はいいんだが、今度こそ正式に妃、となると、昂宇が戻ってきた時に悲しむかもしれないぞ」

「え、何で悲しむんです? 昂宇が文に書いた通りにしようとしてるのに」

 男心(人間の)がわからない魅音が無神経なことを言っていると、不意に「カァ、カァ」という声がした。

 陰界にいる泰山娘娘の肩に、一羽の(からす)が舞い降りる。再びカァと小さく鳴き、娘娘の耳元で何か話しているようだ。

『ん? ……おやおや?』

 泰山娘娘が、目を丸くした。

『待ってちょうだい、魅音。鳥情報網で伝わってきたんだけど、西王母様は今、冥界にはいらっしゃらないんですって』

「えー⁉」

 魅音はあわてる。

「じゃあ、どちらに⁉ 昂宇は一緒なんでしょうか⁉ 居場所をどうやって突き止めれば」

『違うの違うの、居場所はわかってるの』

 娘娘が両手を振る。

『魅音、あなたがいる後宮の真裏(・・)に、西王母様と難昂宇はいるみたいよ』

「真裏……?」

 顔を見合わせる魅音と俊輝に、泰山娘娘はうなずく。

『西王母様はどうやら、陰界に後宮をお作りになったらしいわ。陽界の後宮を鏡写しにして、そこのすぐ裏側に』

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