4 追放された官吏
「なんで? どうして、こんなことに」
思わず声を上げると、翼飛が答えた。
「宏峰の領主から、土地神が暴れているから助けてほしいと陳情が来たんだそうだ。それで、まずは昂宇が調査に来た」
巫の修行の一貫として、昂宇が太常寺の方術士として働いているのは、魅音も知っている。
「で、土地神を呼び出した後、急に倒れたらしい」
彼が宏峰に来たのは、こういう経緯があったようだ。
病に臥せった領主の代理をしている許燕貞という男が、天昌にやってきて皇城に訴え出た。
『土地神が暴れて領民が困っております、お助け下さい。私は、土地神がこのように荒ぶる理由に心当たりがございます。先帝の行いのせいでございます!』
燕貞は息巻いたそうだ。
『私の父、海建は、先帝時代に宮廷勤めをしておりました。そこで、謂れのない罪を着せられ、宏峰に追放されたのです』
ありそうな話ではあった。先帝は、自分の取り巻きばかりを登用して好き放題やっていたので、衷心から進言に及んだ多くの官吏が追放されている。
『不名誉に耐えながらも、父はこの宏峰でひっそりと暮らしました。しかし、父は人格者でありましたので、町のために働き、町の者に尊敬されるようになりました。私は、父をとても尊敬しています』
そんな流れで、海建は病気の領主に代わり、実質的に領地を治めるようになったのだという。
『ところが、父は領境の山を見回っている時に足を滑らせ、山道から転落して亡くなってしまいました。領民は生前の父に感謝し、廟を建てて祀りました。その信心がとても強かったのでしょう、廟に詣でると病気が治ったり、神仙が姿を現して人々を励ましたりするようになりました。父は、土地神になったのです』
領民は海建を土地神として信奉し、その息子の燕貞が当たり前のように、領主代理の役割を引き継いだ。
ところが、先帝が討たれて俊輝が即位した頃から、様子が変わってきたそうだ。土地神が、領地に災厄をもたらし始めたのである。
初めは、寺院の供え物や畑の作物が齧られている程度で、動物の仕業かと思われていた。しかし何か大きな影が畑を横切るのを見た、という者がちらほら現れ始めた。
そしてある日、突然民家の壁が崩れ、見に行った家人は目撃する。
人面に角、猪に似た身体――謎の黒い生き物が、風のように駆け去るのを。
『あれは、土地神になった父です。皇帝が俊輝様に代わられたのに、息子の私がいまだこの地で不遇を囲っているのを、父は……土地神はお怒りなのだと思います。いえ、私のことはどうでもいいんです。どうか、父の名誉を回復していただきたい!』
「名誉回復はともかく、神が暴れているなら方術士が必要だ。昂宇は現地の様子を確認するために旅立った」
翼飛の説明は続く。
魅音は「あの……」と遠慮しつつも口を挟んだ。
「一応お聞きするんですけど、領主に任命されていない人が勝手に領地を治めているのは、いいんですか?」
「それも昂宇に見てきてもらおうと、俊輝は考えたんだ。本来の領主は、先帝時代に任命されているからな。そいつが無能すぎて、見かねて海建が代理を務めるようになった……ということなら、罰するのは気の毒だ」
「まぁ、そうですね」
方術士であるのと同時に、密かに俊輝の参謀役を務めている昂宇は、今回の件には適任だったのだろう。
「俊輝はその間に、先帝時代のことを調べた。海建という官吏の名誉を回復させるのであれば、いったい何をやって先帝の不興をかったのかくらい、把握しておかねばならないからな」
「でも確か、有能なのに先帝に追放された官吏は、陛下と昂宇がとっくに呼び戻したんじゃなかったでしたっけ? 漏れがあったってことですか?」
「と、思うだろ? 漏れてなかったんだな、これが」
翼飛は、やれやれとため息をつく。
「海建は、ごくまっとうな理由で皇城を追い出されていたんだ」
「へっ?」
「いや、なかなかすごいぞ。記録の写しを送ってもらったんだがな」
翼飛は卓子に近寄ると、置かれていた巻物を引き寄せて広げてみせた。
「見ろ、この罪状の数々。横領、備品の転売、賄賂の要求など、金に汚い犯罪の見本市だ。少額ずつやらかしていたから、しばらく気づかれなかったらしい」
「これのどこが人格者なのよ⁉ でも、何がきっかけで発覚したんです?」
「いや、それが傑作でな」
口元をゆがめるようにして、翼飛は笑ったが、目は笑っていない。
「記録によると、当時、夏至の儀式で使う銅鑼を新調したそうだ」
夏至の儀式といえば、照帝国では『大祀』といって、最上級に重要な儀式の一つである。
「ところが、できあがってきた銅鑼をいざ儀式で打ってみると、変な音がする。実は海建が、銅鑼の品質を予定よりも下げて注文し、差額を懐に入れていたんだ」
「音が変わるくらい、品質を下げたんですか……」
「皆がいぶかしみ始めたその時、銅鑼を吊す鎖が切れた。鎖の品質も下げていたんだな。で、銅鑼が落ち、ごわん、ごわん、と転がって、出席していた官吏たちは右往左往」
「はあ。莫迦みたい」
魅音にはそうとしか言いようがない。
「想像すると間抜けだよな。……夏至の儀式は、皇帝が取り仕切っている。面子を潰された先帝がキレて、関係者は全員捕らえられ尋問された。その結果、海建の数々の所業が明らかになり、宏峰に追放されたわけだ」
「なるほど。あの先帝の時代に追放で済んだなら、幸運だったと言わざるを得ませんね。……にしても」
腕組みをして、魅音は考える。
「こうなると、燕貞の訴えも、ちょっと信じかねますねぇ」
「ああ。嘘かもしれないと思い、俊輝はすぐに昂宇に使いをやろうとした。そこへ、昂宇が倒れたという知らせが届いたんだ」
もちろん、体調不良で倒れたのかもしれなかったが、燕貞の嘘がバレたばかりである。燕貞にとって何か不都合なことを昂宇が知ってしまって……という可能性も否定できない。
俊輝は昂宇を助けるため、新たな方術士を送り込むのと同時に、地方演習で宏峰の近くにいた翼飛にこの件を知らせた。
「何かあった時、すぐに対処できるようにしてほしい、と連絡がきた。で、そんなら最初から俺も一緒に調べてやるよ、ってな。演習は優秀な部下に任せてきた!」
このようないきさつで、宮廷方術士と落ち合った翼飛は、休暇という名目で宏峰を訪れたのである。
「到着してみたら、昂宇はこの『王』家の屋敷に運び込まれていた。方術士が調べたところ、魂が抜けている状態だった」
燕貞の野郎の仕業か! と怒った翼飛は、領主の屋敷へ乗り込もうとした。海建の前科の記録を突きつけて、問い詰めようとしたのだ。
しかし、それを方術士があわてて止めた。
『もし魂がどこかに捕えられている場合、いわゆる人質にされる可能性があります。まずは、魂がどこにあるのかを突き止めないと』
「誘拐事件の人質救出みたいに、ですね」
魅音はうなずいたものの、少々不思議に思う。
(今まで聞いた海建・燕貞親子の話だと、せこいことばっかりしてる。魂だけ抜き出すようなたいそうな方術、使えそうに思えないんだけど……)
とにかく、翼飛は内心ギリギリしつつも屋敷に燕貞を呼び出した。
「もちろん、俺にまで何か起こったら元も子もないから、油断はしていない」
そう言いながら、さりげなく翼飛の手が、腰に巻いた鎖に触れる。
(あぁ、やっぱり。あれは鎧の帯に見せかけているけど、隠し武器だ)
いわゆる『暗器』である。
だてに長い年月を過ごしていない狐仙の魅音は、今はただの下女でも、過去に見たことがあった。おそらく、鎖の端に錘がつけてあって、振り回したり巻きつけたりして攻撃するのだろう。
さて、事情を聞かれた燕貞は、戸惑った様子に見えた。
『昂宇様には、土地神になった父が暴れている件について調べて頂いていたのです。それなのに、なぜこんなことに』
「破壊された狐仙堂を見せたら、昂宇は少し苛立っていたふうだったらしい。何か、狐仙にゆかりがあるようだった、と」
「え」
思わず声を漏らした魅音に、翼飛は軽く眉を上げた。
「ん? 何だ?」
「あっいえ何でもないです!」
魅音は片手をブンブンと振る。
「えっと、それで?」
「土地神を呼び出すと言って祈り始めた昂宇が、急に顔を上げて何かを見つめ、こう言ったそうだ。『西王母様』と」
「げっ! あのお方⁉」
魅音はのけ反った。翼飛が、いぶかし気に眉を上げる。
「あの……って、知り合いみたいな言い方をするんだな?」
人間に生まれてからはともかく、大昔には神仙に会った経験もあるので、魅音にとっては近しいと言えなくもないのである。
が、怪しまれたくない魅音はさっくりとごまかした。
「あはは、知り合いなんて恐れ多い。ただ、神話の西王母様ってカッコいいなーと、昔から思っていたんですよ」
「死者が行く冥界を、支配する女神……だよな? 死んだら裁かれる、という恐ろしさはあるが」
「遥か昔には獣の姿で天を駆け、災害や死をもたらしていた、ゴリゴリに強い女神様ですよ。むしろカッコいい以外なくないですか?」
何でカッコいいと思わないんだ、ぐらいの調子で聞かれた翼飛は、
「そう……かもな?」
と押し切られている。昂宇か俊輝なら、
『魅音の感覚は俺たちとは微妙に違うから、気にしなくていい』
と口添えしたことだろう。しかし今、魅音と翼飛の嚙み合わなさを調整できる者は、ここにはいない。




