40 身代わりは終わり、そして
39話と40話、同時投稿です。
ついに、魅音は翠蘭の待つ陶家へ帰ることになった。
その知らせを聞いて、一番打ちひしがれてしまったのは美朱である。
「またアザが出るなんて……治ったはずだったでしょ⁉ いいえ、治っていなかったなら、また治すまでのことだわ。私、お父様に頼んで医者も薬も探して何とかするから、行かないで、魅音……!」
美朱は涙をこぼす。
「あなたが後宮にいるだけで、私、とても安心できるの。私を支えてほしいのよ」
「光栄です。でも、陛下のお役に立てない私は、ここにはいられないんです……故郷に戻れば、アザはきっと治りますので、そこは心配しないで下さい」
魅音はそう答えながら、
(もう、仮病使って誰かに心配かけるの、やめよ……)
と思う。
(だから長くいるのは嫌だったのよ。大して仲良くなっていなければ、平気で帰れるのに)
青霞と天雪は、意外とあっけらかんとしていた。
まず青霞は、
「私も、そのうち後宮を放り出されそうな気がするのよね。もしくは宮女に戻るかも。その時は魅音、後宮の外で会いましょうね!」
というふうだし、天雪はといえば、
「私、魅音は何だか、また治って戻ってきそうな気がするんです。ふふっ」
といった感じだ。
笙鈴は罪を償った後、医官の助手として働きながら、方術士の手伝いをすることになったらしい。
「昴宇様がとりなして下さったんです。どうしてだか霊感が強いので、何かおかしいなと思ったら調べて太常寺に報告する、といった役目を頑張ります。珍貴妃の件でご迷惑をおかけしたにもかかわらず、陛下のご温情でお許しいただいたので、少しでも報いたいと思います」
彼女はそう言って、魅音が後宮を去る日は雨桐とともに見送りに来た。
「魅音様、本当にありがとうございました。春鈴が望んだように、私、頑張りますね」
礼を言う笙鈴の手には、小丸が乗っている。彼女が世話をしてくれることになっていた。
「うん、応援してる。ここを去るのはちょっと名残惜しいんだけど、とりあえず笙鈴がいると思えば安心ね」
医療的な意味でも、霊的な意味でも、そう思っている魅音である。
「雨桐、本当に世話になったわ、ありがとう」
「も、もったいないお言葉です……魅音様は、うう、陛下のお役に立った、素晴らしいお妃様だと思っておりますので……ううっ……お仕えできて、光栄でした」
涙にくれる雨桐の肩に、小丸が飛び乗った。
「小丸が心配してるよ、雨桐」
魅音が指先で小丸の頭を撫でて見せると、雨桐は泣き笑いでうなずいた。
(長生きしそうだな、小丸)
実は、魅音と共に数々の怪異に触れてきた小丸は、どうやら普通のネズミのままでは済まなそうなのだ。元々、霊力も強かったのだろう。
悪いものにはならないようだし、見た目も変わらないし、雨桐が怖がるといけないので、魅音は何も告げずにただ彼女の肩を優しく叩いた。
そして、後ろに下がりながらヒラリと手を振る。
「じゃあね。みんな、元気で!」
陶家からの迎えの馬車がきて、魅音は乗り込んだ。
天昌の外壁に開いた南門から、馬車はガラガラと音を立てて去っていく。
その馬車を、門卒の装備をつけてはいるが妙に堂々とした大柄な男と、ひょろりと背の高い官吏が、いつまでも見送っていた。
それから、三か月が過ぎた。
秋分の日の朝は、高く深い青空が頭上に広がり、爽やかな風が吹いている。
胡魅音はいつものように、陶翠蘭が残した朝食のゆで卵を厨房で密かに楽しんでいた。
魅音の無事の帰還を、翠蘭はとても喜び、最近はお菓子なども分けてくれる。もちろん「私はあまり好きなお菓子じゃないから……」とか何とか言いつつ、である。
(あー、穏やかー。……穏やか過ぎるくらいね)
そこへ、外からあわてた声が飛び込んできた。
「魅音! 魅音はどこだ⁉」
(旦那様?)
んぐっ、と残りの卵を一気に飲み込んでしまい、「あぁ……もったいない……」などとつぶやきつつ、魅音は厨房の外に出る。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「ああ、そこにいたか」
回廊をウロウロしていたらしい県令は、手に文らしきものを持っている。
「お前、後宮でいったい何をしたんだね⁉」
「えっ」
色々やりすぎて心当たりしかなかったが、魅音はとりあえずすっとぼけることにした。
「何のことでしょう? 私は翠蘭お嬢さんのフリをして、おとなしくしていただけですが」
「何? 何の話?」
廊下の角から、翠蘭がいぶかし気に顔を出す。
「翠蘭ではなく、魅音宛に、官吏から手紙が来ているのだよ」
県令はあたふたと手紙を開く。
「見なさい、『胡魅音を禁軍大将軍の養女として迎えた上で、皇帝の妃として推薦する』と、こうだ。どういうことなのだ⁉」
「は?」
魅音はぽかーんと口を開いた。あわてて手紙を見せてもらうと、見覚えのある筆跡である。書いたのはどうやら昴宇らしい。
(何を言ってるんだ、あの方術士と皇帝は?)
もしかしてまた後宮で怪異が起こり、魅音に解決しにきてほしいということかも……と一瞬思ったのだが。
(いや待て、禁軍大将軍の養女になった上でって、そんなんしたらもう陛下の『本当の妃』でしょ。逃げようにも、またアザが出たらさすがに怪しすぎて逃げられないじゃない。あっ、しかも大将軍って天雪のお兄さんだ。その養女になったら私、天雪の姪っ子になるの? いや、本当に訳が分からない)
とにかく、県令には魅音を差し出さない理由がない上、魅音の方も詳しい事情を聞かないことには断るに断れない。
(全くもう。どういうことなのよ、本当に!)
けれど――
翠蘭も大事だが、今の魅音には皇城に、愛すべき人々が何人もいる。妃仲間たちの顔、宮女たちの顔が、次々と思い浮かんだ。
そして俊輝と、昴宇の顔も。
(こんなに、好きな人間たちがたくさんできるなんてね)
自然とほころんだ顔を引き締めつつ、魅音は腰に手を当てた。
「全く、しょうがないな。何か用があるっていうなら、行ってやろうじゃないの」
うっかり声に出して言った魅音を、県令と翠蘭は、目も口も最大限に開いて見つめたのだった。
【狐仙さまにはお見通し -かりそめ後宮異聞譚- 完】




