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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
1-7 狐仙妃が愛してやまないもの
39/71

39 方術士へのご褒美

39話と40話、同時投稿です。

 こっそり後宮の花籃宮に戻ってくると、魅音の部屋で昴宇が待っていた。

「陛下のところに行っていたんですか」

『うん』

 魅音は空中でくるりと一回転し、人の姿に戻る。

「帰る、って宣言してきた。お迎えが来るまでに、後宮の人たちに挨拶しないとね」

「やっぱり帰るのか……あ、いや。引き留められたのでは?」

「まーね。私が有能すぎて。でも帰る」

「ですよね。ああ、雨桐がお茶の準備をしていってくれましたよ。淹れましょう」

 遅くなるから休んでくれと言ってあったのだが、気を使ってくれたようだ。

 話を聞いていたかのように、小丸がどこかからチョロチョロと出てきた。魅音は小丸をすくいあげ、卓子に乗せる。

「はいはい、小丸におやつをあげようね。あっ、ゆで卵が置いてある! 私の夜食だー!」

「それは僕から。ご褒美にと約束しましたからね」

「うわ、ありがとう!」

 魅音が小丸に松の実をやっている間に、昴宇が茶を淹れてくれ、湯気を立てた茶杯が魅音の前に置かれた。

「いい匂い! いただきまーす」

 ぱくりとゆで卵をかじる魅音を、昴宇は黙って茶をすすりながら見つめている。

(……何か話したそうな、そうでもないような)

 ちょっと気にしつつも、魅音はゆで卵を平らげた。

「ごちそうさま、美味しかった! そういえば、私も昴宇にご褒美あげるって言ってたんだったね。何がいいかな」

「ああ……」

 昴宇は茶杯を手に、どこか斜め上に視線をやりながら言う。

「別に、もういいかな、と」

「いらないの?」

「あれはほら……もうすぐ魅音は帰るのか、色々振り回してくれたんだから帰る前に僕にも何かやってもらおうじゃないかという、勢いみたいなものといいますか」

「いやいや、遠慮しなくていいから。よーし、それじゃあ」

 魅音は、すっ、と立ち上がった。座っている昴宇の側へ、ゆっくりと回り込む。

「たくさん働いてお疲れの方術士殿に、私が極上の癒しを差し上げましょう」

 体温を感じるほどの距離に彼女が近づいたので、昴宇は狼狽えながら茶杯を置いた。

「え、あの……魅音?」

 昴宇が見上げ、魅音が見下ろし、二人の視線が合う。

 そして――

 ぴょん、と魅音が軽く跳ねたかと思うと、昴宇の膝にポフッと白狐が着地した。

「わっ⁉」

『なんか人間って、ふわふわの動物を抱っこすると癒されるらしいじゃない。ほーれ、尻尾フサフサの狐ですよー(なご)めー』

「…………」

 昴宇は絶句していたが、やがて珍しく声を上げて笑うと、そっと包むように白狐に両腕をまわした。

「うわ……軽い」

『人間の姿と、記憶の中の狐仙を、入れ替えてるからね。半分実物、半分幻みたいな感じなのよ』

「でも、温かい。あぁー、いやこれは癒される……毛並みも綺麗だし見事に真っ白ですね、すべすべしている」

『苦しゅうない。もっと褒めるがよい』

「尻尾、触ってみたいなと思ってたんですよ。ふわっふわだ」

 昴宇は丁寧な手つきで、魅音の尻尾を撫でている。

 魅音は鼻先を上げて、昴宇を見た。

『それこそ最後だし、聞いちゃおうかな。昴宇と陛下って、どういう関係なの? 皇帝と一官吏にしちゃ、妙に気安いよね』

 しばらく黙って魅音の尻尾を撫でていた昴宇は、やがて口を開いた。

俊輝(・・)と僕は、従兄弟同士なんですよ。俊輝の父と僕の父が兄弟なんです」

『へぇ! あれ、でも昴宇は、姓が『(なん)』だって言ってたよね? 陛下と違う』

「ええと、ちょっとややこしいんですが……生まれた時は『王』だったんです。宗族の中で特別な役割を継ぐことになって、同世代の子の中で僕だけ姓が変わりました」

 宗族というのは、照帝国では父系の同族のことだ。祖先を祀ることで強く結びついている。

 話し始めてみると抵抗がなくなったのか、昴宇は淡々と説明した。

「今の姓は『南』だと言いましたが、本当は、『(なん)』です。難昴宇」

『難。忌み字ね』

「ええ。だから対外的には、これからも『南』ということに。『難』は、宗族の(シャーマン)が継ぐ姓なんです。冥界の女神と通じ、死者を弔う。今、僕が太常寺で方術士として働いているのも、巫の修行の一貫です」

 姓を変えることで宗族から切り離し、穢れを避けるということなのだろう。

『信仰しているって言ってたのは、その女神なのね』

「そうです。ちなみに、先帝を討つべきだと俊輝に進言したのは、僕です。俊輝に傷がつかないよう、言い出すべきは僕だな、と思ったので。そして愛寧皇后に会いに行き、手引きをしてもらいました」

『陛下に、昴宇こそ皇帝になるべきだ! とか何とか言われなかった?』

 魅音が聞くと、昴宇はビクッと手を止めた。

「ななな何で知ってるんですか⁉」

『陛下には他に皇帝にしたい人がいるらしいって話、天雪から聞いたの。珍貴妃との戦いで、陛下は昴宇を守りに来たから、じゃあそれって昴宇かなーと思っただけ』

 魅音はそれだけを話したが――

 ――俊輝が書いた文書には、はっきりと『王昴宇』という名が記されていたのだ。俊輝の本気が窺える。

「人柄も能力も、明らかに俊輝の方が相応しいのに。俊輝は小さいころから、僕を買いかぶり過ぎなんですよ」

 昴宇は大きなため息をつく。

「僕はもう『難』を継いだんだから無理だし、そもそも向いてない」

『皇帝は子孫を残さなくちゃいけないのに、女の人、苦手だもんね』

「そう! そうなんですよ! それなのに『王』に戻って皇帝に、なんて無茶を言う」

 我が意を得たりとばかりにうなずく昴宇が面白くて、魅音は喉を鳴らして笑った。

『王暁博の時と真逆ね、笑っちゃう!』

「えっ⁉」

 昴宇はのけぞった。

「魅音、どうして僕の祖父の名を」

『やっぱりそうなのね。昴宇が元は王昴宇なら、前に教えてくれたおじいさんの話は王暁博のことかなって』

「じゃあ、魅音が狐仙として、祖父の願い事を叶えた……?」

『そうよ。でも、宗族の後継者争いに利用されたのがわかったから、こっちもキレちゃって。ま、反省したのならよろしい。しかもその結果、今度は孫の昴宇と陛下が、皇帝の座を奪い合うことなく勧め合ってるわけだ。ふふっ』

 昴宇の手首に自分の頭を載せ、魅音はふさふさの尻尾を身体に巻き付けて丸くなる。

『でも昴宇だって、先帝を討つべきだと考えてたってことは、理想があるんじゃないの? どんな照帝国になるといいなって思ってるの?』

「僕は、声も挙げられないほど縛られるのが嫌だっただけです。もの扱いされない、恐怖に支配されない、自分の意志で決める人生を国民が送れたらいい。まあ、その結果がまずいと困るんですけど」

 二人とも、心まで支配されたくない、というところは同じらしい。

(行動に出るべきだと決心したなら、陛下の言う通り、昴宇も皇帝に向いてるんじゃないかなぁ。たまたま、先に巫に選ばれてたからそうならなかっただけで。巫に選ばれてなければ、女嫌いにもならなかったかもね)

 そんなふうに思い描きながら、魅音は尻尾を軽く揺らした。

『そっか。どっちが皇帝でも、少なくとも妃たちは、先帝時代より幸せになれそうね。ほっとした。……ふぁーあ、昴宇の手が気持ちよくて、眠くなってきちゃった……』

「ちょ、寝る気ですか? 独身女性が? 僕の膝で?」

『女だなんて思ってないくせに、何を言ってるんだか』

 魅音は目を閉じる。

「待ってください、魅音。祖父の願いを叶えた時は狐仙で……その後、人間に生まれ変わったのは何かしくじったからだと言ってましたよね。もしかして、祖父のせいで神々から罰を受けたとか、そういうことですか?」

(うーん、ちょっと違うかな)

 人間に利用された魅音は反省し、もっと人間のことを知ろうと、神に申し出て人間に生まれ変わったのだ。

 自分で自分に、罰を下したのである。

(でも、それはこの私が決めたこと。昴宇が知る必要はないの)

 魅音はそのまま、寝たふりをする。

 昴宇は「あの」とか「寝ちゃったんですか」とかもごもご言っていたが、諦めたのか静かになった。繊細で大きな手が、ゆっくりと尻尾を撫でている。

 やがて彼は、魅音を両腕に抱えたまま、そーっと立ち上がった。

「よっ。……魅音は祖父を諭すことで、一族を救ってくれたんですね。それに、褒美をありがとう」

 魅音の寝室に入った彼は、丁寧に寝台に下ろす。

 ささやき声が降ってきた。

「もし、万が一、僕が皇帝の座を志していたら……やっぱり俊輝のように、魅音に側にいてほしいと望んだだろうな。……太常寺での修業が終わったら、僕は皇城を離れますが、魅音のことは忘れません。一生」

 彼の手がもう一度、名残惜し気に尻尾を撫で、そして気配は離れていった。

(……もし昴宇に何かあった時は、また来てあげるよ。昴宇なら、ね)

 魅音は心の内でつぶやいたのだった。

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