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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
1-7 狐仙妃が愛してやまないもの
38/71

38 後継者

 一対の孔雀の髪飾りは、改めて祓い清められ、廟ではなく太常寺の地下に封印された。

 眠りから覚めた鬼火や幽鬼たちは、密やかに存在しているようだが、拠り所にしていた強い怨念が消えたためか、存在がどんどん希薄になって行っている。やがて消えてしまうのかもしれない。

 昴宇が後宮に張っていた結界は、解除された。


 笙鈴は、昴宇によって取り調べを受けた。これには魅音も立ち会った。

 彼女は、いくつかのことをしでかしている。まず、春鈴の幽鬼がどこにいるか探すため、後宮に嘘の噂話を流した。牡丹宮や象牙宮の怪異の噂はこれだ。

「儀式が行われてしまった後、春鈴を探すのは本当に難しくなっていました。ですから、また怨霊が出たという噂話を流せば、私が後宮で働き出す前の目撃談も芋づる式に出てくるんじゃないかと、期待したんです。でも、春鈴に繋がる話はちっとも出てきませんでした」

 髪飾りを手にしてからは、彼女がそれを持ってあちこち動き回ることで鬼火が引き寄せられたり、儀式で弱って消えるばかりだったはずの幽鬼たちが復活したりしてしまった。

 青霞の生霊が急に力を増したのも、笙鈴が青霞に鍼治療をする時に近づいたからだ。

 青霞に起こったことを笙鈴は知らなかったようで、魅音が話して聞かせると、衝撃を受けていた。

「わ、私は、何ということを……」

 さすがに、青霞が自分を責めていたために生霊が青霞を攻撃したという、そのことまでは、笙鈴のせいではないのだが。

 それはともかく、か弱い春鈴の幽鬼を呼び覚ますため、笙鈴の行動は次第に常軌を逸し始めた。薬種を買いに後宮の外に出た日、陵墓まで足を伸ばして螺鈿の鏡を盗み出したのだ。

「いつもの店に薬種がなくて探し回ったことにして、一日かけて行きました。怨念の宿る品を探し出すのは簡単でした、私はそういうのも気づきやすい性質(たち)なので……。あっ、さすがに陵墓には髪飾りは持って行っていません。陵墓に眠る方々まで目覚めさせては大変ですし、その必要もありませんから」

 鏡は元・賢妃の持ち物だったため、珊瑚宮に置くのが自然だと笙鈴は考え、後宮に戻ったその足でこっそりと珊瑚宮に置いてきたのだ。

 昴宇が後宮に結界を張ったのは、このすぐ後のことである。

 数日して、笙鈴は改めて髪飾りを持った状態で、珊瑚宮に美朱の体調を見に訪れた。こうして、鏡に取り憑いていた伊褒妃の力が増してしまったわけだが、笙鈴は伊褒妃がここまで暴れるとは想像もしなかったらしい。

「私の望みは春鈴が救われることでしたから、同じように後宮で不幸な目に遭ったお妃様方にも、僭越ながら同情していました。あなた方のことも忘れない、救われますようにと、いつも祈っていました。もしかしたらそれが、伊褒妃の想いと同調してしまったのかも。そして、美朱様を後宮から救うために殺す、という行動に繋がってしまったのかもしれません」

 笙鈴はうなだれた。

「美朱様には本当に申し訳ないことをいたしました。そんなつもりはなかったのです……」

「わかってる。笙鈴は、後宮の女性たちには本当に親身になってた」

 美朱の怪我を見て青ざめていたのも、本心からだろう。

 骨董屋に団扇を買いに現れたのももちろん、笙鈴だった。後宮から様々な品が売り払われたことを聞いていた笙鈴は、その中に怨霊つきのものがあるのではないかと探しに行ったのだ。もちろん、都で怪異現象を起こすわけにはいかないので、髪飾りは持たずに出かけている。

 そして、彼女の霊感によって団扇を見つけたのだ。

「でも、納品の前に修理をすることになって、笙鈴は団扇を持たずに帰った。もし持って帰ってたら、結界で弾かれたその場に私たちが駆けつけて、笙鈴に気づいていたかもね。でも、その時はわからなかった。笙鈴がやってるってわかったのは、遊戯盤の時」

 遊戯盤の出所について聞くと、笙鈴は説明した。

「あれだけは、労せず手に入れたんです。宮女たちが一斉に辞めた時、誰かが寮に置いて行って……何かが憑いていたので、使わせてもらいました」

「そう。気づいてたはずなのに、天雪に遊戯盤を渡したから、あれっと思ったのよ。その頃には、誰かが怨霊や妖怪憑きの品を集めてるのがわかってたから、香炉の話をあなたにしてみて確かめたの」

「私が香炉を取りに来たから、やっぱり……ということですね。魅音様が置かれた物だったとは。だいぶ後宮内に珍貴妃の霊力が影響し始めていたので、香炉の付喪神が自分で目覚めて姿を現したものと思い込んでいました」

 笙鈴は小さくため息をつき、そして顔を上げた。

「自分が人間でなくなっていく感覚は、日々強くなっていて、そろそろ危ないとは思っていたんです。でも、もう少しで春鈴が見つかるかも、明日は見つかるかも、と思うと……。止めて下さって、ありがとうございました。おかげさまで、こうして心を保っていることができます」

「ええと、でも、身体は……」

 魅音がためらいがちに聞くと、笙鈴はそっと右の袖をめくった。

「結局、春鈴の杼は、私の腕と一体化してしまいました」

 右腕にぽっかりと穴が開き、そこに糸巻きがはまり込んでいた。

「罪を、償うことはできるでしょうか。もし償えるなら、陛下や美朱様がお許し下さるなら、その後の私の命は後宮に捧げ、力を尽くしたいと思います。春鈴と一緒に」

 笙鈴はそう言って、袖を直した上からそっと腕を撫でたのだった。


 その夜、魅音が狐姿で俊輝のところへ行くと、俊輝は何か文書に目を通していた。

「魅音か。今、笙鈴の取り調べ報告書を読んでいた」

『あ、昴宇が届けに来たんですね』

「そうだ。春鈴を、手厚く葬るように言っておいた」

 彼は小さく、ため息をついた。

「悪いものは全て祓えばいい、というのは俺の、俺だけの『正義』の暴走だったように思う。俺が一番嫌っていたことなのにな」

『隠されていることを全て知ろうにも、限界があります。なるべく取りこぼさぬようにするには、多くの人の声に耳を傾けるとよいのでは?』

「ああ。そして、誰でも話しやすいようにしておかなくてはな。時には人ならざる者にも助言を求めるとしよう」

 俊輝は明らかに魅音のことを示しつつ、腕組みをする。

「それにしても、怨霊と人間に協力し合われては、儀式など意味がないな。珍艶蓉が完全に復活する前に止められてよかった。お前のおかげだ、魅音」

『そうですね、私のおかげです。で、終わったから帰ります! すぐ帰ります! お嬢さんが心配してるから帰りまーす! では!』

 騒ぐ魅音に、俊輝は苦笑する。

「待て待て。帰りたいのはわかったが、妃たちに何も言わずに行くつもりか? 皆、泣くぞ」

『う……』

「手続きもあることだし、迎えも待つんだろう? その間に、皆に声をかけてやれ。……というか、本当に帰ってしまうのか? このまま妃として後宮にいてほしいくらいなんだが」

『嫌です』

「とりつくしまもないな。仕方ない、褒美を山ほど持たせて帰してやろう。何がいいかな。こういう時こそ、絹織物や装身具が定番なんだが」

『下女に戻る私には必要ないですね。それに……』

 魅音は小さくため息をつく。

『後宮で、美しい品物をたくさん見ました。でも、妃たちや宮女たちの切ない想いがこもっていたり、その運命に大きくかかわっていたりで。今は、身に着けたいとは思えません。まるで女たちが先帝の装身具扱いだったような気がして』

「……そうか」

 俊輝はうなずき、そして優しい笑みを浮かべる。

「ではやはり、日持ちしそうな卵菓子でいいか」

『きたーやったぁ! 道中で楽しみます!』

 ぴょこぴょこ跳ねる魅音を、俊輝は片手を上げて落ち着かせた。

「魅音、最後に、ちょっと頼まれてほしいことがある。なに、簡単なことだ」

『何です?』

「俺の後継者のことだ」

 さらりと俊輝が言い、魅音は狐の目をぱちぱちさせた。

『次の皇帝、ってことですか?』

「そうだ。万が一、俺に何かあった時、こういうのは指名しておかないと争いの種になる」

 俊輝は懐から、折りたたんだ紙を取り出す。

「皇城内は落ち着いていないから、まだ公表はしたくない。とりあえず、ここに書いてあるから――」

『ちょ、いやいや、私がそれに何の関係があるんですか』

「権力に無縁な奴になら、今教えても大丈夫だろうと思ったんだ。これを、朝議の間の額の裏に隠しておく。俺に何かあったら『狐仙のお告げがあったからそこを見ろ』とか何とか、うまいこと誰かに言ってくれ」

『私が言っても信用されませんて!』

「お前なら何とかするだろ。ほら、誰かに変身するとか」

『あー、まあ……』

「この文書自体は、俺が書いたとわかるようにしてある」

 俊輝はそういうと、紙を開いて魅音に見せた。

 人物の名前と、次の皇帝に指名する旨が書かれ、俊輝の名前と花押がきちんと入っている。

 その名前を見つめ、魅音は黙り込んだ。

「驚かないな?」

 俊輝が面白そうに笑うと、魅音はふわりと尻尾を振った。

『まあ、薄々察してましたから。どういう事情なのかは知りませんけど』

「気になるなら、本人に聞いてみるといい。魅音になら話すだろう。俺が、魅音にだけは打ち明けたように」

 じっと見つめて来る俊輝の視線に、魅音は落ち着かなげに目を逸らす。

『狐仙だったくせに色々やらかして人間になった私を、そんなに買いかぶられても』

 すると、俊輝はゆっくりと手を伸ばし、魅音の前足の片方を握った。

「罰をしっかり受け入れて、人間を知ろうとしているように見える。そういうところも含めて、俺はお前を信用しているし、好ましく思っているから、帰したくないと言ったんだ」

 その手が、そっと放される。

「仕方がないから手放すが……気が変わったら、いつでも妃として戻ってこい」

『妃として、は決定なんですか』

「俺の側についてくれるなら何でもいい。こら、嫌そうな顔をするな。狐の顔でもわかるぞ」

 にやりと笑い、そして俊輝は紙をたたみ直して懐に入れた。

「さて……これがなくても、あいつが自分で皇帝になると言ってくれれば一番いいんだけどな。俺などよりずっと賢い、あいつが」

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