36 魂の欠片を探して
一方、魅音は笙鈴を追っていた。
もう片方の髪飾りを持っている笙鈴は、闇の中でほのかに緑色に光っている。彼女はただ歩いているように見えるけれど、まるで氷の上を滑っているかのように、進むのが早い。出会ったころはただの霊感の強い宮女だったが、今や身体中から霊力を発している。
進む道を照らすように、いくつかの鬼火がポッ、ポッと灯った。強い霊力に当てられ、幽鬼たちが力を増しているのだ。珍珠宮の近くを通った時などは、人の形をとった幽鬼がゆらりと現れ、こちらに手を伸ばしてくるのを魅音はひらりと躱した。
(参ったな。今の状態であちこち動き回られると、本当に後宮中の幽鬼や妖怪が活発化しちゃう。それじゃあ珍貴妃の思うつぼだ。でも、笙鈴はまだ自分の意志を保っていて、ただ春鈴を探したいだけなんだよね)
魅音は声を上げた。
『笙鈴!』
「魅音様、まだ私をお止めになるんですか?」
『いや、どうやったらあなたがおとなしく止まってくれるかなって考えると、春鈴を見つけるべきだって思ってたとこ!』
そう言って、魅音は笙鈴の横を並走する。
『笙鈴。春鈴が行方不明になった時のことを、教えてくれる?』
「……わかりました」
素直に、笙鈴は話し始めた。
三月の上巳の日、笙鈴は西市場の近くの茶店で、妹の春鈴を待っていた。
彼女たちの家は貧しく、賢い笙鈴は必死で学んで、天昌の診療所で働いていた。一方、春鈴は後宮に奉公に出た。後宮の不穏な噂は二人も聞いていたが、春鈴が「私が得意なのは機織りと刺繍だけだから、それで一番お金を稼げるのは後宮しかない」と言って、家族のために行ってしまったのだ。
後宮に向かう途中でこの店の横を通った時、春鈴は言った。
「素敵なお店。上巳の日には後宮から出られるはずだから、ここで会おうよ、笙姐」
以来十か月が経ち、今日はようやく会える。笙鈴は楽しみにしていた。
しかし、待っても待っても春鈴は来ない。
茶店でひたすら待つうち、店員から驚くような話を聞いた。昨年末、皇帝が大将軍に討たれ、貴妃が自害したというのだ。
「腐った官吏を捕らえるために、しばらく情報を伏せていたらしいよ。でもさすがに、今日は宮女の口に戸は立てられないよね」
店員は面白そうに言ったが、笙鈴は不安になった。
(政変があったということよね。春鈴が巻き込まれていないといいけど……)
午後遅くなって、このままでは会えないと思った笙鈴は、後宮の門まで行った。数人の宮女たちが、すでに家族との対面を終えて戻って来ており、門卒が確認をしていた。
笙鈴は恐る恐る、門卒に声をかけた。
「あの、失礼いたします。尚功局でお勤めをしております、周春鈴はおりますでしょうか? 私は姉の笙鈴です。今日、会う約束をしていたのです」
「そんな宮女など知らん、後で手紙でも出――」
門卒が邪険に答えかけた時、中に入ろうとしていた宮女の一人が振り返った。
「春鈴の、お姉さん?」
「はいっ、そうです!」
「春鈴に会いに、ここへ?」
「はいっ」
笙鈴が大きくうなずくと、宮女は一瞬ためらってから、笙鈴をそっと門から離れた壁沿いに連れて行った。
「あの。私、春鈴と同じ尚功局で働く者です。春鈴は、三、四か月ほど前に実家で不幸があって、帰ったと聞きました」
「えっ⁉ いいえ、不幸なんてありません。妹は帰ってきていません」
「手紙は?」
「しばらくは来ていませんでしたけど……で、でも、仕送りは毎月、続いています!」
「そう……でも、私は辞めたとしか聞いていないんです。少なくとも尚功局にはいません」
「そんな」
「残念だけど、調べようにも難しいかも」
その宮女は心配してくれた。
「後宮は、先帝と珍貴妃が恐怖で宮女たちを支配していたの。みんな、もう後宮はこりごりだって思っていて、家族と今日会って相談して辞めるって人たちばかり。しばらく混乱が続くと思うわ」
(そんな場所に、春鈴を行かせてしまった……! 春鈴、必ず見つけるからね!)
笙鈴はすぐに、後宮で働くことを決意した。
後宮の人事を司る尚宮局も、宮女たちが辞めて困ることは予想できていたのか、笙鈴はすんなり採用された。
彼女は何とかして春鈴の行方を追おうとしたが、手がかりはつかめない。そうこうするうちに、宮女たちの数はどんどん減っていく。
そしてある日、後宮に何人もの僧と方術士が入って来た。その日、笙鈴は医官の使いで後宮の外に薬種を買いに行っていて、いなかった。
戻った時には、全てが終わっていた。鎮魂の儀式によって後宮は祓い清められ、笙鈴の霊感をもってしても幽鬼や妖怪の存在を感じ取れなくなってしまったのだ。
「しかも、私が祠で杼を見つけたのは、そのたった数日後だったんです。もう少し早く見つけられていたら、春鈴の念が残っていたかもしれないのに。悔しくて、自分を恨み、珍貴妃を恨み、新皇帝を恨みました」
その日の夜は眠ることができず、笙鈴は後宮をふらふらと彷徨っていた。
一対の髪飾りを手に入れたのは、その時だった。祓われていよいよ取り壊すことになっていた珍珠宮で、珍貴妃の持ちものは櫃にまとめられつつあった。髪飾りに宿った強い怨念は、儀式でも完全には祓われておらず、笙鈴を引き寄せてしまった。
そして笙鈴は、珍貴妃の声を聞いた。
『我は蘇る。後宮の妖怪たち、幽鬼たちを目覚めさせ、そやつらがまた他の妖怪たちを引き寄せて、力を増していけばいいのだ!』
強い怨念や霊力が、弱い妖怪や幽鬼を活性化させることを、笙鈴は初めて知った。
「もし春鈴の遺体を見つけることができれば、まだ魂の欠片が残っているかもしれない。こんなふうな姿の消し方をしたんだから、殺されて隠されてしまったのでしょう。でも、か弱いあの子が遺した念が、聞けるかもしれないと思ったんです。そこで、私は髪飾りを懐に入れ、医官の助手として妃や宮女の診察をしながら、色々な宮に入り込みました。眠らされている妖怪や幽鬼がいれば、目覚めさせました。いつか春鈴が引き寄せられ、目覚めるのを期待して」
しかしその間、珍貴妃の怨霊もまた、少しずつ力を回復していたのだ。
『…………』
魅音は少しの間、口をつぐんでいたけれど、やがて言った。
『後宮の北の方は探した? 老朽化して放置された建物があるとこ』
「もちろんです。何か隠すなら、そういうところでしょうから、真っ先に」
『最近も行った? 強い霊力を放っている今の笙鈴が行ったら、また違うかもよ』
髪飾りを持っている今の笙鈴を、なるべく人間のいないところに移動させようと考えたのだ。
「…………」
笙鈴は黙って、北へと足を向けた。
崩れかけの殿舎が、闇の中に黒々と姿を現す。このあたりはもちろん、篝火なども焚かれていない。
「春鈴……春鈴、どこなの……」
殿舎の合間を彷徨う、笙鈴の悲し気な声が響く。まるで彼女も、幽鬼のようだった。
「魅音っ」
昴宇が駆け寄ってくる気配がした。
『昴宇。貴妃は?』
「動きを止めました。後は笙鈴との繋がりを断ち切って、封じるだけです」
『……わかった。仕方ない』
魅音はもう一度、笙鈴から髪飾りを奪おうと考え、彼女に背後から近寄って行ったのだが。
笙鈴の行く手をふさぐように、ふわり、と幽鬼が現れた。昴宇が素早く霊符を構える。
「何だ、あいつは」
『昴宇、よく見て! あの子だ』
魅音が声を上げる。
頭の両側で古式ゆかしく結った髪、垂れ目におちょぼ口。
魅音が骨董屋に行く時に姿を借りた、あの宮女だった。そういえば、今いる場所は宮人斜のすぐ近くである。
「あなた、誰? 春鈴を知らない?」
頼りない口調で、笙鈴が尋ねた。
宮女は悲し気に微笑むと、まるで導くように、すーっ、と移動を始めた。
魅音はぴょんと飛び上がり、くるりと回転して人間の姿に戻ると、笙鈴を促した。
「笙鈴、行ってみよう」
歩き出すと、笙鈴は素直に後をついてきた。




