31 天雪の遊戯盤
俊輝は頭をかく。
「絞るのは難しそうだな。では、次は螺鈿の鏡……いや、螺鈿の鏡と女仙の団扇はどちらも同じころに、誰かが後宮の外で入手している。協力者がいたならともかく単独犯なら、後宮を出入りできる人物のはずだ」
『あっ。出入りと言えば、宮女が外に出られる日ってあったよね⁉』
魅音は思い出した。
宮女は一年に一度だけ、後宮から出られる日がある。三月の最初の巳の日、上巳と言われる日だ。
城壁の外、つまり天昌の外にまでは出ることができないが、天昌で肉親や知り合いと会ったり、店で散財したりと、皆が思い思いに楽しむ。ここ数年は珍貴妃がそれすら許さなかったので、今年の上巳はいつにも増して喜びに満ちたものになったようだ。
『その日に、陵墓と骨董屋に行ったんじゃない⁉ つまり、その日に後宮から出なかった人は、容疑から外れる!』
「骨董屋で謎の人物が団扇を注文したのは、上巳の日ではありませんでしたよ」
昴宇はあっさりと否定する。
「それに、別にその日でなくても理由さえあれば、僕たちみたいに許可を取って外に出ることはできますし。令牌を持ってね」
『うぅー』
悔しそうにうなる魅音に、俊輝は苦笑する。
「先ほども言ったが、そもそも協力者がいたらいつでも誰でも行けるしな。まあ、骨董屋に客が来た日に後宮の外に出たのは誰か、調べてみる価値はある。これは昴宇の仕事だな、内侍省だ」
「はい、見てみます」
昴宇は礼をし、魅音も『はぁい』とため息交じりの返事をした。
『でも、髪飾りのことを考えると、だいぶまずいかもしれません』
「どういうことだ?」
俊輝に聞かれて、魅音は答えた。
『後宮の中で妖怪や怨霊の数が増えているのなら、珍貴妃の怨霊も力を増している可能性があるんです。相乗効果でね』
その翌日、天雪から誘いが来た。今度こそちゃんと約束して遊ぼう、といっていた、その約束の日だったのだ。
場所は、庭園の四阿である。
「魅音!」
石段を上っていくと、声がした。見上げると、やや高い場所にある四阿から青霞が手を振っている。彼女も天雪に誘われたのだ。
「何だか、面白い遊戯盤があるって?」
「そうそう、私もそれに誘われたの」
二人で話していると、ようやく天雪の姿が見えた。両手で何やら荷物を持ち、石段を上がって来る。普通なら荷物は侍女が持つのだろうが、何しろ人手が足りないので、後ろからついてくる侍女は茶道具を持つだけでいっぱいいっぱいのようだ。
「青霞、魅音!」
「天雪、足元、気をつけてー」
青霞が手すりから身を乗り出して声をかける。
えくぼを浮かべた天雪は、四阿まで上りきるなり、手に持っていたものを軽く持ち上げて見せた。
四角い遊戯盤だ。それを茶卓子代わりに、小さな二つの箱を載せている。遊戯盤には、碁盤の目とは異なる線や印が表面に描かれていた。
「皆で、これで遊びましょ! あのね、西方の遊戯で……あっ」
楽しげに卓子に駆け寄ってきた天雪が、急につんのめった。
そのまま、派手にスッ転ぶ。
盤と箱が、天雪の手を離れて飛んだ。盤は、くるり、と回転し、角を下にして天雪の上に──
「天雪!」
魅音はとっさに、椅子から立ち上がる暇も惜しんで、天雪の方へと頭から飛び込んだ。
ゴン。
頭突きされた盤が吹っ飛び、四阿の側壁にぶつかる。
「いったあ!」
同時に、がしゃん! と音がして箱が落ち、蓋が外れて中から四角い駒が飛び散った。
「きゃっ、魅音!」
倒れ込んだままの天雪が目を見張り、
「ちょ、二人とも大丈夫⁉」
と青霞が傍らに膝を突いた。
「ぜ、ぜんっぜんだいじょぶ……っくうう」
「魅音ったら、涙目で何を言ってるの、見せて」
青霞が魅音の額を確認する。
「あああ、たんこぶになってる」
「いづづづ」
「思い切ったことするわねぇ」
「だって、あんな重そうな盤が降ってきたら怪我するし……天雪は何ともない?」
「おかげさまで、ちょっと膝をぶつけただけ。ありがとうございます! あ、いたた」
天雪は自分で少し裾を持ち上げて、足を確認している。
そのすらりとした足に、いくつもの青アザがあった。魅音と青霞は仰天する。
「ちょっと天雪!」
「どうしたの、その足⁉」
「え? ああ、これ」
天雪はえへへと笑って、床に転がった先ほどの盤を指さす。
「あれ、双六みたいな遊戯で使う盤なんですけれど、しょっちゅう机から落っこちたり棚から落っこちたりして、そのたびに足にぶつけちゃうの。駒もね、朝、寝台から降りると転がってるから、いつもうっかり踏んづけちゃう。玉でできてるからそれなりに固くて、踏んづけると痛いんですよねぇ」
魅音は一瞬黙り込んだけれど、がっ、と天雪の両肩に手を置いて視線を合わせた。
「天雪。この間も聞いたけど、もう一度聞くよ。あなた、身の回りでおかしな事は起こっていない?」
「ええ、別に何も起こってなんか」
キョトンとした顔で答えかけて、天雪はふと、指を顎に当てた。
「……そういえば、盤や駒がこんなに落っこちるのって、ヘン?」
魅音と青霞は同時に、
「ヘンです!」
と突っ込んだ。天雪はびっくりして目を見張る。
「そ、そうだったの? てっきり、私が迂闊なだけだと思ってました」
「もうっ、これだから天然は! どうしよう、魅音」
青霞は天雪をかばうように、盤から彼女を引き離しつつ言う。
「耳飾りみたいに、何かあったら……!」
「雨桐、昴宇を呼んできて」
魅音は指示をとばす。そして、天雪に尋ねた。
「この遊戯盤、さっき、西方がどうとか言っていたわね」
「あ、ええ」
天雪はうなずく。
「西方でよく遊ばれる遊戯らしくて、商人たちが照国でも遊べるように作って売り出したものなんですって。『三棋』と呼ばれているの。あのね、二人で遊ぶんですけれど、線の上で交互に駒を動かして、三つ並ぶ形を作って」
「えーと、遊び方は後で教えてもらうわね。天雪は、これを商人から買ったってこと?」
ひょっとしてまた子威が絡んでいるのか、と魅音は思ったのだが、天雪は首を横に振った。
「いいえ、これはもらったの。宮女に」
「宮女?」
「そうなの。陛下が後宮にいらっしゃらないので退屈でしょう、って。自分はこれで遊ぶような友達がいないから、お妃様方でどうぞって」
天雪はニコニコと微笑みながら続ける。
「魅音や青霞のところにも来たでしょ? 医官の助手よ、笙鈴っていう人」
「笙鈴?」
魅音はつぶやいてから、黙り込んだ。青霞が不思議そうに顔をのぞき込む。
「どうしたの? あ、たんこぶ、痛いわよね」
「あ、ううん。平気」
首を振りながらも、魅音は考える。
(何だか変だな。笙鈴は霊感が強い。だったら、この遊戯盤が妖怪憑きだって気づいてたはず。どうして、何も言わずに天雪に渡したんだろう?)
その時、庭園を昴宇がやって来るのが見えた。後ろから雨桐がついてきている。
「昴宇、こっち! 早かったわね」
魅音が手を振ると、石段を上って来た昴宇は少し手前で足を止めた。女性が何人もいるので近寄れず、何とかして四阿の柱が視界を遮る位置に立とうと、無駄な努力をしているらしい。
「ええと、ちょうど、魅音……様にお知らせすることがあって、向かっていたところで」
呼びに行った雨桐と途中で出会ったのだろう。
「な、何かありましたか……?」
恐る恐る聞く昴宇に事情を説明すると、彼はすぐに申し出た。
「その遊戯盤は、こちらでお預かりしましょう。ええと、太常寺で祓い清められるかどうか、やってみてもらいます」
「じゃあ、お願いします。また遊べるようにしてもらえると嬉しいわ」
天雪は呑気に言いながら、遊戯盤を魅音経由で昴宇に渡した。
魅音は聞く。
「それで昴宇、何の用だったの?」
「ああ」
思い出したのか、昴宇は折りたたんだ紙を二枚取り出し、片方を差し出した。
「まず、こちらは美朱様からです」
「ありがとう」
当たり前のように受け取る魅音に、青霞と天雪が目を見開いている。
「美朱様から、って? 魅音、美朱様と手紙のやりとりがあるの?」
「えっ、あっ、ええとホラ、私みたいな位の低い妃は、権力におもねらないと。だから、美朱様の僕として雑用をやらせていただいてるわけでございますよフヘヘ」
「…………」
青霞と天雪のいぶかし気な顔に『そんなタマじゃないでしょアナタ』と書いてある。
「さてさて、今日はどんなお役目を下さるのかしらぁ? 喜んでやらせていただくわぁ」
わざとらしい笑みを浮かべながら開いてみると、美朱の達筆でこう書いてある。
『尚宮局の資料をだいぶ読み進めたのだけれど、亡くなったり後宮から出たりした人の他に、行方不明の宮女たちがいました。この人たちは生死不明なので、もし亡くなっていたとしても、弔われてはいないと思います。行方を調べてみてもいいかもしれません』




