29 怨霊の封じられた廟
夜の後宮は、人が住む宮の入口にだけは篝火が燃えている。雨桐はその灯りを避けるように林の中に入り、北へ、北へと歩いていった。
魅音と小丸は、木々や藪の陰を辿って後をついていく。
いくつかの宮を通り過ぎると、さらに木々が増え、篝火の明かりは遠くなり、あたりはどんどん暗くなっていった。重さを感じるほどの、濃い、黒々とした闇だ。
(ええと、待って。このまま北に行くと)
魅音が思った通り、雨桐は頼りない小さなあかり一つで、二本の石柱の間を抜けた。その先の森の中には、いくつかの廟がある。
(もしかして、珍貴妃のいる廟に行くつもり……?)
やがて、目の前に廟の異様が姿を現した。三階建てに見える堂の中は螺旋状の作りになっているのだが、これは中のモノが迷って出てこられないようにするためだと言われている。
前に魅音が見に来た時と変わりなく、ぐるりと石に彫り込まれた呪文が入口を守っていた。人ならざる霊力を持つものは出入りできないが、普通の人間なら出入りできる。
雨桐は、一度足を止めて逡巡しているようだったが、やがて思い切ったように、中に入っていった。
(後宮の結界と同じで、私は通れないのよね。でも、小丸は私の命令を聞いているだけでただのネズミだし、行ってもらおう)
魅音は足を止めると、小丸だけを先に行かせた。目を閉じて、視界を共有する。
低い視点でぐるぐると上る螺旋階段は、めまいがしそうだ。それに耐えていると、やがて小丸は広い空間に出た。中央に、珍貴妃の骨が収められた石の棺があるのが見える。
そしてその横に、木製の櫃があった。珍貴妃ゆかりの品が収められた櫃だ。
祈りを捧げた雨桐は、櫃の蓋に手をかけた。ゴトッ、と音がして蓋が外されたが、ネズミ視点では中が見えない。
雨桐は両手で蓋を持ったまま、探るように中を見つめている。
『中を見て』
魅音は命じた。
小丸は駆け出し、櫃の縁に飛び上がる。一瞬、中が見えた。
「きゃっ」
雨桐は急いで、櫃の蓋を閉めた。小丸だとはわからなかったらしい。
彼女は、蓋に手をかけたまま何か考えている様子だったが、やがて立ち上がり、出口へと向かう。
(何があったのか、聞いてみなくちゃ)
魅音は小丸を呼び戻すと、目を開いた。
そして、廟から出てきた雨桐の前に素早く飛び出し、立ちふさがった。
「きゃっ⁉」
灯籠を取り落としかけた雨桐が、あわてて握り直す。
「あ、ああ、魅音様、ですね……?」
魅音は狐姿のまま、口を開いた。
『一人で出て行くから、妖怪にでも遭ったらと思って心配したんだよ。そしたら、こんなところに』
「も、申し訳ありません」
『何か気になることがあったんでしょ? どうして、ここに来たの?』
尋ねると、雨桐は魅音を見下ろしていることが気になったのか、両膝をついて視線を合わせた。灯籠を脇に置き、ためらいながら口を開く。
「何からご説明すればいいのか……後宮で使われていた、色々な品物のことなのですが」
『先帝が死んだ後、縁起が悪いから処分された、あれこれのこと?』
「はい。実は……宮女の中には、処分はもったいないという者もいて。今後のためにと、高価な品をこっそり懐に入れて後宮を出て行く者たちもいたんです」
『ははあ』
「私、気づいていましたが、見て見ぬ振りをしてしまいました。ここを出てから色々と大変だろうと思いましたし、どうせ処分するなら、と、つい……」
雨桐はうつむく。
「怪異の噂が起こり始めた時、その品々が関係あるなんて思いつきもしませんでした。だって、もう後宮にはないはずですから。でも、まさか……戻ってきているなんて。確かに、あの品々は鎮魂の儀式のときには後宮にありませんでしたから、祓い清められていません。今まで黙っていたのもあって、言い出せませんでしたが」
『そう……』
尻尾をゆらゆらさせながら、魅音は続ける。
『でも実際、子威みたいにどこからか手に入れてしまう者もいるし、処分しようが宮女が持ち出して売ろうが、そこから先の管理まではできないわよね』
青霞も、何とかできないかと困っていた。
『それに、目覚めさえしなければ何も起こらない。人が使えば何かしらの念はこもるものだけれど、それだけで終わるのが普通だから』
うなずいた雨桐は続ける。
「でも、魅音様、おっしゃいましたよね。強い霊力を持つ品は、他の妖怪を目覚めさせることができると。それを聞いた時、すぐに思い浮かんだものがあったんです」
『思い浮かんだもの?』
「珍貴妃の、孔雀の髪飾りです」
孔雀の意匠が禁忌になるほど、珍貴妃を思い起こさせるもの。それが、孔雀の髪飾りだ。二羽の孔雀が一対になっている。
「呪ってやる、と言い残して死んだ妃の、一番のお気に入りの品です。とても豪華で、いつも着けていらした。もしも強い霊力を宿す品があるとしたら、ああいうものなんだろうな、と思った時、怖くなりました。ちゃんと、珍貴妃と一緒に埋葬されたはずよね? って。一度気になりだしたら、確認しないと安心できなくなって……ここにあるかどうか、見に来たんです」
魅音はしっぽの動きを止めた。
『まさか』
雨桐は身体を震わせた。
「……櫃の中には、なかったのです」
『えええ⁉』
びびび、と魅音は全身の毛を逆立たせた。




