28 狐仙のしくじり
昴宇が腕組みをした。
「しかし結局、団扇を買った者もわかりませんでしたし、困りましたね。その、強い霊力を持っている者、あるいは強い霊力を宿した何かを持っている者を、どうやって突き止めればいいのか」
「あーもう。時間がかかりそうでいやだなとは思ってたけど、想像よりももっと時間がかかりそう。早く帰りたいのに」
ため息をつく魅音を、昴宇がジッと見つめる。
「……何?」
「いえ……そんなに、県令の家に帰りたいのだなと」
「最初からそう言ってるじゃない」
「魅音のような、狐仙ほどの存在がそんなに執着するほど、素晴らしい家なんですか?」
まるで怪しむように昴宇は聞いたが、魅音は笑って答える。
「翠蘭お嬢さんが勉強熱心だから、私も一緒に学べるのよ。老師も、女だからって手加減しないところがいいの」
「勉強なんて、ここでだってできるじゃないですか。都ですよ? 魅音が望めば、陛下がいくらでも優秀な老師を手配して下さる」
「それはそうかもしれないけど……私、あの家の人たちが好きみたい。お嬢さんも私を待ってるし、嫌いな卵が食べられなくて困ってるわ。私は卵が大好きだから、代わりに食べてあげるの」
すると、なぜか昴宇は食い下がる。
「じゃあ、陶翠蘭をこっちに呼んだらどうです? 後宮が恐ろしいところだと思いこんでいるんでしょう? 実際のところを魅音が教えてやれば、望む勉強は魅音と一緒にできるし陛下は大事にして下さるだろうし、妃になれて光栄なことで」
「昴宇ってば」
思わず、魅音は彼の言葉を遮った。
「そんな、私をこっちにずっといさせようとしなくても、ちゃんと解決してから帰るわよ」
視線を落とし、昴宇は黙り込む。魅音は首を傾げた。
「どうしたの? 疲れてる? あ、情緒不安定には卵が効くらしいよ」
彼は視線を上げないままつぶやいた。
「……いえ、すみません。そうですね、調査は進展してるんですし、ちゃんと解決するでしょう」
「うん。何かきっかけがあれば、一気に全貌が見えそうな気がするんだ」
魅音は軽く、昴宇の背中を叩いた。
「頑張りましょ」
「…………」
昴宇は黙ってうなずいた。
そして、ため息をひとつつくと、視線を窓の方へと向ける。
「さてと。僕は、太常寺の仕事を片づけてきます。また明日来ます、おやすみなさい」
「あ、うん……おやすみ」
魅音は首を傾げつつ、昴宇を見送った。
その夜、魅音はなかなか寝付けずにいた。
(今日の昴宇、ちょっと変だったな。言いたいことがあるのに言えない、みたいな感じだった。……私がこの件を解決できなそうだって、疑ってるわけ? ひどっ)
さすがにそれは納得がいかない魅音である。
(これでも狐仙だったころは、人間の願いを色々と叶えてあげたんだからね。……そりゃ、まあ、失敗したことだってあるけど)
またもや彼女の中に、しくじった時の記憶が蘇った。
名家に生まれた兄弟の、後継者になる予定の兄・王暁博。彼は、弟にその座を狙われていると訴えてきた。
魅音は彼を助けることにした。最初は、兄に後継者の才能があるところを見せつけ、次は弟夫婦が喧嘩するように仕向けた。
しかし、さらに兄は、弟に協力する者を呪ってくれと言い出したのだ。呪うことなどしないと断った魅音だったが、兄は「呪いに見せかけられればそれでいい」と言い張る。
気は進まなかったが、弟とその取り巻きが宴を開いている時に、魅音はいたずらをしかけた。といっても、風もない中で灯りを消し、低くかすれた声で歌を歌っただけだ。
しかし、彼らは怯えた。
「何かいる! まさか、狐仙が」
「お前の兄に反抗すると呪われる!」
「噂は本当だったんだ、恐ろしい……!」
彼らはすぐに、宴を開いていた弟の部屋から飛び出していった。
魅音はそれを見届けてから、自分の部屋で待っていた兄のところへ行き、報告する。
『呪いに見えることをやってきたわよ。でも……ねぇ、あなた、何かしたんじゃないの?』
すると兄は、楽しそうに笑い出した。
「ざまぁみろ! これで本当に、狐仙が俺の味方についてるってわかっただろう!」
『……何ですって?』
思わず魅音は聞き返した。
『私がしていることを、誰かに話したの?』
「噂で流しておいたんだ、俺は狐仙に選ばれた存在だって。そうすれば、逆らおうなんて思わないだろう? やはり、こういったことは頭を使わないとな。これで跡継ぎは俺に決まりだ!」
『…………』
魅音は、悲しい気持ちになった。
賢さを買われて跡継ぎに望まれている彼は、武勇に自信がないために、弟に跡継ぎの座を奪われると怯えていた。だから最初は弓矢が当たるようにしただけだったのに、それだけでは事態は解決しなかった。
何度か力を貸すうちに、彼はだんだん、魅音の力を自分の力のように錯覚するようになってしまったらしい。
(力の貸し方を、間違ったのかな)
思いながら、魅音は冷たく告げる。
『私は、あなたに利用されるつもりはない。ここまでだね。あなたに手を貸すことは、もう二度とないでしょう』
(あの時、どうしたらよかったのかな。彼が自分に自信を持って、堂々と跡継ぎになれるように手助けできればよかったけど、賢さが武器にならないと感じたから私に願ってきたわけで)
花籃宮の寝台で、魅音は寝返りを打つ。
(願いは一度きり、とか、条件つけたらよかったかなー。……ん?)
ふと、彼女は起き上がった。
(人の気配がする)
真夜中にも関わらず、またもや誰かが花籃宮の内院にいるらしい。かすかに、石畳がミシッと鳴る音がする。
(おー、出たかな?)
月が出たかな程度の調子で、魅音は格子窓から外をのぞいた。
静かな夜の内院に、ぽつんと一つ、小さな灯りが点っている。その灯りが、スーッ……と滑るように右から左へと動いていく。
(……あれ? 雨桐だ)
手持ちの灯籠の灯りにぼんやりと浮かび上がったのは、雨桐の顔だった。自分の部屋から出てきたらしい彼女は、一人で足早に花籃宮の門から外へと出て行く。
(こんな時間に、どうしたんだろう。それこそ、妖怪でも出たら危ないのに。……それとも、何か、隠れてやりたいことでもあるの?)
後宮の怪異に雨桐がかかわっている、などと疑ったことはないが、こんな時に夜中に一人で出歩ける度胸があるとは思っていなかった。
魅音は寝室の戸を開けて回廊に出ると、ひょい、と白狐に変身した。
(どちらにしろ、ついていかないとね。……あら)
見ると、ちょこまかと近づいてくる小さな姿。白黒まだらの、小丸である。
『そうね、狐だと入りにくい場所もあるし。小丸、ついてきて』
魅音が身を屈めると、小丸はよじよじと彼女の身体をよじ登り、頭の上にのっかった。




