25 宮女に化けて骨董屋へ
すでに紐によって戒められているせいか、昴宇が箱を拾い上げても、弾き飛ばされることはなかった。彼は結界に隙間を開け、荷物を運び入れる。
待ちかまえていた魅音が駆け寄った。
「妖怪憑きの団扇なのね? いったん、花籃宮に運びましょ」
二人が花籃宮に戻ると、何も知らない雨桐が「何ですか、この荷物?」と不思議そうに出迎える。
昴宇は箱を卓子の上に置き、蓋を開いた。蓋はごく普通に紐をすり抜け、外すことができた。
箱の中央に、団扇がひとつ収まっている。丸い木枠には真っ白な絹地が張られ、美しい女仙が一人、蓮の花とともに刺繍されていた。持ち手には凝った編みの房飾りもついているが、まだ青白い紐が絡みついているのが、どこか間が抜けている。
「ねぇ昴宇。もしあなたが結界を張っていなかったら、どうなってたと思う?」
魅音が聞くと、昴宇は箱ごと団扇を矯めつ眇めつしながら答えた。
「そうですね……品自体はいいもののようですし、金も支払われています。何事もなければ琥珀宮に運ばれて、ひとまず飾られたかもしれませんね。いつか、どなたかが淑妃としておいでになった時のために」
「そして、後宮内で怪異を起こしたかも?」
「ですね。さすがにこの状況で、こういったものが届いて、何もないって方が不自然ですよ」
「そうよね」
魅音は嬉しそうに両手を合わせる。
「ふっふっふ、いよいよ団扇を注文したのが誰なのか、手がかりがつかめそうじゃない?」
「そうですね。ひとまず『縛』はかけたままにしておいて、さっそく骨董屋に行って話を聞いてきます」
昴宇の言葉に被せ気味に、身を乗り出した魅音が言った。
「私も行く!」
「魅音も?」
「また変な品があったら困るじゃない。昴宇一人じゃ心配だもん」
「そ、それはどうも……しかし、後宮を出て?」
「出なきゃ行けないでしょうが。逃げないってことはもうわかってるでしょ?」
「ですが、『翠蘭妃』が後宮から出るところを宮女や宦官たちに見られると、一体何をしているのかと怪しまれるような……さすがに顔を覚えている人もそれなりにいますよ。かといって、狐を連れて行くのも」
あわてる昴宇に、魅音は「あ」と軽く手を打ち合わせる。
「ちょうどいいわ。しゃれこうべさんの出番だ」
「……誰の出番ですって?」
何と、魅音はさっさと宮人斜まで戻って、さっきのしゃれこうべを花籃宮まで持ってきてしまった。
「持ってきますかね、普通」
呆れる昴宇だが、魅音がしようとしている何かを見守る構えである。
「しゃれこうべの持ち主さんに許可をもらったので、姿を借りまーす」
魅音はひょいっと、しゃれこうべを頭に載せた。なかなかシュールな光景である。
彼女は、右手と左手を胸の前で交差させ、それぞれ人差し指と小指を立てた。そして、唱える。
「北斗星君の名の下に。我が身よ、この者の姿を映せ!」
ふわっ、と魅音の全身が光り、光が収まった時――
――そこには、垂れ気味の目におちょぼ口の、見たことのない娘が立っていた。頭の両脇で輪にした髪型や、襦裙の腰帯を結ぶ位置が、少々古風である。
女性が苦手な昴宇が「うわっ」と飛びすさった。
「……こ、これが、しゃれこうべの持ち主の姿……?」
「そうそう」
彼女は得意げに、頬に手を添えてポーズをとる。
「人間のしゃれこうべには魂のカケラが残っているから、生前の面影を私の顔に映させてもらった感じね。体格は変えられないんだけど」
「ちょうどいい、とか言ってたのは?」
「いや、この人がね」
魅音は頭からしゃれこうべを下ろした。
「後宮で生まれ育って外に出たことがない、一度くらい出てみたかった、心残りだっていうからさ。せっかくだから、願いを叶えてあげてもいいんじゃないかと思って」
「ぶ、不気味じゃないんですか? そんな、しゃれこうべを頭に」
「あなたのここにもあるのに、何言ってんの」
魅音は人差し指でトーンッと昴宇の額をはじく。
「うっ」
返す言葉がない昴宇に、魅音はクスクスと笑った。
「はい、とにかく、今日の私はいいとこのお屋敷で働いている下女ってことで。まあ、本来の魅音みたいな?」
魅音はしゃれこうべを、丁寧に飾り棚に置く。
「雨桐、これよろしくね」
「よ、よろしくとおっしゃられましても、どうよろしくすれば」
さっきから気味悪そうに距離を置いている雨桐は、戸惑うばかりだ。
そんな彼女には構わず、魅音は勢いよく昴宇に向き直った。
「では、出発!」
俊輝の命によって、昴宇は彼の部署から令牌を与えられていた。白い玉製で印が彫られており、手のひらに収まる大きさの札である。
これを持っていると公務で行動している証になり、公務のためなら後宮の誰かを同伴することも可能だった。
令牌を門卒に見せ、魅音と昴宇は後宮東門から外廷へ出た。さらに皇城の南門を出る。
天昌の都は凹の字形をしており、凹のへこんでいる部分が皇城だ。皇城の南門から南北に大路が貫いており、その両側に碁盤の目のように町が広がっていた。それぞれの中心部に、大きな市場が開かれている。
通りに沿って二階・三階建ての店がずらりと並び、街路には大勢の人々と荷車、馬車が行き交っていた。服装や人種も様々だ。
昴宇は何やらげっそりしている。
「久しぶりに都に出るとクラクラします。普段は皇城内の寮と太常寺の往復ですし、今は後宮にいることが多いし」
「すごい人。前はもっと小さな町だったのに、ずいぶん賑やかになったのね」
チラチラとあたりを見ながら歩く魅音は、足取りが軽く弾んでいる。そんな彼女を横目に、昴宇が聞いた。
「来たことがあるんですか?」
「そりゃあるよ、二百年も生きてれば。都に狐仙堂もあるのよ、知ってる?」
「そりゃ知ってますよ、太常寺で働いていれば。他にも、様々な神仙のお堂が都のあちらこちらにあります」
会話が掛け合いのようになる。
「僕の祖父も、神仙に祈ったおかげで願いが叶ったことがある、なんて話をしてました」
『へぇ。何を願ったんだろう』
「それは教えてくれませんでしたが、叶えてもらったので調子に乗ってしまって、痛い目にも遭ったと言っていましたよ」
(ん? ……ひょっとして)
魅音は横目でチラリと、昴宇の顔を見つめた。
少々キツそうだが賢そうな目元、通った鼻筋、薄い唇。
整った顔立ちだとは思っていたけれど、間近でよくよく見ると、初めて出会った時の王暁博に似ていなくもない。
「ねぇ、昴宇って、姓は何だっけ」
「『南』ですが、なぜです?」
(王暁博の子孫かと思ったけど、違ったかな? 私ではない神仙に、何か叶えてもらったのかもしれない)
魅音は思いながら、さらりと続けた。
「ううん、そのおじいさんの家が昴宇まで続いててよかったなと思っただけ。痛い目に遭ったとか言うから、もしかして神仙の怒りに触れて大変なことになったのかと思って」
「そこまでではなかったようですね。でも、その件で目が覚めた、教訓になったと言っていました。『自分は人を支配しようとしていた。しかも自分の力ではなく、神仙の力で。人と人との繋がりは自分で作っていかなくてはいけないのに』……と。だから、陛下が魅音に手伝わせると言い出した時、神仙の威を借りて失敗してはいけない、と思って警戒したんですよ。魅音の力がポンコツだったのでホッとしましたが」
「流れるように下げる奴がいる。このままお嬢さんのとこ帰っていい?」
「うっ。すみません失言でした魅音の力が必要です」
当初に比べ、昴宇も魅音の力が分かってきているからか、素直に謝る。
「よしよし。……じゃあ、昴宇のおじいさんはその後、まっとうな人生を歩んだのね」
「ええ。一族の中興の祖と呼ばれるまでになりました」
「それは何より」
答えながら、魅音は考えを巡らせた。
(王暁博は、どうしたかしら。『王』は珍しくない姓だけど陛下と同じだし、陛下に何かの折に聞いてみようかな)




