24 宮人斜(きゅうじんしゃ)のしゃれこうべ
結局、皇帝家の陵墓には、丸一日かけて昴宇が行ってくれた。
「伊褒妃の棺の蓋だけ、動かされた形跡がありました。しかし、不思議なことに荒らされたふうではないというか、他のものには手をつけていないんですよ」
「鏡だけを盗み出したってこと?」
「はい。金になりそうなものは、他にもいくつかあったんですけどね」
犯人の目的は、やはり金ではないようだ。
魅音はつぶやく。
「……怨霊が憑いている品だけを、狙った……?」
さらに翌日、魅音は昴宇と一緒に外出した。
行き先は、後宮内にある墓地だ。宮女や宦官のうち身寄りのない者が埋葬されており、『宮人斜』と呼ばれている。先帝時代に死んだ者も埋葬されているため、念のために見に来たのだ。
照帝国では、風水の考え方で墓地の場所を決める。死者が相応しい場所に埋葬されれば、生きている人々にもいい影響がある、とされていた。とはいえ墓地なので、あまり目につかずひっそりした場所が選ばれる。
宮人斜も、何代も前に廃墟になった殿舎に囲まれた、寂しい場所だ。
「荒らされた様子はないようね」
ぐるりと歩きながら魅音が見回すと、昴宇もうなずいた。
「先帝時代に亡くなった者の墓も無事のようです。さすがに宮人斜までは儀式で祓い清めていませんので、ごく普通に弔われて埋葬されている状態ですが、異常はなさそうですね。荒らされていたとしても、何が持ち出されたかは知りようがありませんが」
「鬼火くらいは出るかもだけど、害は……ん?」
魅音は、ふと一点に目を止めた。
「あそこ、崩れちゃってる」
奥まった場所にある、ずいぶんと古い墓だ。荒らされたというより、風雨や乾湿に晒されて地面が割れてしまったらしい。
近づいてみると、棺桶も傷んで蓋が割れ、中から白骨がのぞいていた。
「昴宇、こういうのを直すのも太常寺の仕事?」
「そうですね、報告しておきます」
「よろしくー。……あら」
魅音はふと、棺桶を覗き込んだ。
「どうしたんです?」
「何か、話しかけられた気がして」
「魅音は今、霊力を感じる力はないのでは?」
「全然ないわけじゃないよ。普通の人間で霊感が弱い人、程度かな。一品から九品まであるとしたら、だいぶ下の八くらいね」
魅音は品階に例えてみせる。
ちなみに品階が九つに分かれているのは、照帝国では九が縁起のいい数字とされているからなので、霊力だの幽鬼だのの話を墓場でしている時に持ち出す感覚は、少々独特である。
「そんな私でもさすがに、むき出しの白骨を目にすればわかることもあるの。ちょっと失礼」
両手を伸ばして、魅音は丁寧にしゃれこうべを取り出した。昴宇が目を剥く。
「何してるんですか?」
「しゃれこうべにはね、人の魂の欠片が残っているの。怨念っていう意味じゃなくて、これは誰にでもあるのよ。話しかけられた気がしたってことは、この人に何か訴えたいことがあるんじゃない?」
魅音は目を閉じ、しゃれこうべと額を合わせた。
「この人は、うんと昔に死んだ宮女ね。父親が罪を犯し、母親が宮女として働かされることになって後宮に来た。その母親のお腹にいたこの人は、後宮内で生まれた…………」
そのまま、魅音はじっとしている。
「…………あの。僕は先に戻って」
昴宇が何か言いかけた時。
キン、と、耳鳴りのようなものを感じ、魅音と昴宇は同時に顔を上げた。
「昴宇、今の何?」
「結界です。何か引っかかった!」
「え、どこ⁉」
そのまま立ち上がりかけた魅音はあわてて墓にしゃれこうべを戻し、改めて立ち上がる。
「西門です!」
前に魅音が引っかかったのと同じ門だ。昴宇が先に駆け出す。
「また魅音みたいな変な妖怪が出たのか⁉」
「変な妖怪呼ばわりはやめてくれる⁉」
魅音も後に続いた。
後宮は高く厚い壁に囲まれており、外のぐるりをさらに水濠が囲っている。開いた西門から見えたのは、水濠に渡された橋の上にひっくり返った、一人の男だった。もし、門から中に入ろうとする男をこちら側から強く突き飛ばしたら、あんな風にひっくり返るだろうか。一人では立ち上がれないらしく、屈み込んだ門卒が何か話しかけている。
そしてその手前、門のすぐ外に、平べったい箱が落ちていた。椅子の座面より一回り大きいくらいのその箱には、青白い紐が絡みついている。
「結界に引っかかったのは、あの箱の中身みたいね」
魅音の言葉に、昴宇がうなずく。
「事情を聞いてみましょう」
魅音は霊牌を部屋に置いてきているので、門の内側に残り、男に近づく昴宇を見守った。
男はどこぞの役夫といった風体で、腰を押さえて「うう、痛た」と呻いている。
「どうしました? この人は?」
昴宇が声をかけると、門卒が顔を上げた。
「骨董屋で働いている者だそうです」
「骨董屋?」
「届け物に来たというので、中に入って内侍省の者に渡せと言ったんですが……門を入ろうとしたとたんに急にひっくり返って、動けないようで」
「だ、大丈夫です、だいぶ痛みが引いてきました」
男は腰に手を当てながら、ヨロヨロと立ち上がる。門卒は軽くため息をついて、門の見張りに戻った。代わりに昴宇が聞く。
「届け物とは、あの箱か? 中身は?」
「へ、変なもんじゃありません! 刺繍入りの、団扇です」
男は顔を歪めながらも説明する。
「いきなり俺の手の中で跳ねたと思ったら、俺はこう、何かに弾き飛ばされたみたいになって……いったい、何が」
荷物が結界に引っかかった時に、あおりを食らったらしい。彼には霊力の紐は見えていないようだ。
(妖怪もしくは怨霊つきの団扇か)
昴宇は思いながら、質問した。
「これは、誰宛に持ってきたものだ?」
「店主からは、淑妃様にお届けするように言われましたが」
(え?)
淑妃というのは四夫人の称号のひとつだが、四夫人は現在、賢妃の美朱しかいない。先帝の淑妃が暮らしていた琥珀宮も空っぽだ。
(まさかとは思うが、先代の淑妃が注文していた品が今頃届いたとか……)
いぶかしみながら、昴宇はさらに質問する。
「誰が注文した?」
「すみません、淑妃様の宮にとしか私は聞いていないもんで」
「注文があったのはいつか、わかるか?」
「ええと、確か四月の──」
男がひと月ほど前の日付を言う。
(ついこの間じゃないか。僕が結界を張ってから後、魅音が引っかかるより前……というところかな)
「仕入れて、しばらくして買い手がついて……でも刺繍がほつれているところがあったので、店主が『直してからお届けします』と言ったようです。お支払いも済んでおります」
男の説明に、昴宇はうなずく。
「そ、そうか、支払い済みなんだな。では、私が預かろう」
「あぁよかった、そうしていただけると!」
あからさまに胸を撫で下ろす彼に、昴宇は尋ねた。
「何かあったのか? あの箱、少し奇妙な雰囲気があるが」
「あっ、官吏様はそういうことに鋭い方でいらっしゃるんで⁉」
男は、勢い込んで説明する。
「そうなんですよ、夜になると、この団扇から変な歌声みたいなものが聞こえて、気味が悪くて。さっさと手放したかったんです」
「……詳しい話を聞きたい。店主にもだ。後で店の方に行くから、よろしく頼む」
昴宇が言うと、男は「えっ」といぶかしげにしつつも「かしこまりました」と答え、腰を押さえながらよたよたと帰って行った。
(いったい、誰が……)




