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狐仙さまにはお見通し-かりそめ後宮異聞譚-  作者: 遊森謡子
1-4 狐仙妃、螺鈿(らでん)の鏡から妃を救う
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21 誰かが置いた鏡

『──ということがあったんですよ』

 翌日の夜。

 魅音は再び霊牌を首に下げ、俊輝のところに狐姿で報告に来ていた。

 彼女の頭の上では、小丸がふんぞり返っている。自分も活躍したのだと言いたいのかもしれない。

「ふむ」

 腕組みをして聞いている俊輝に、魅音は澄まして続ける。

『美朱って気が強そうに見えて、実は怖がりな人なんですね』

「いいことを教えてやろう。怖がらない方がおかしいんだぞ。お前みたいにな」

 俊輝は魅音にビシッと指を突きつける。

「それで? お前に怪我がなさそうでよかったが、美朱はどうだ」

『擦り傷や打ち身が少し。でも軽傷です。医官の助手が診てくれました』

 笙鈴は、美朱の腕や首に縛られたかのような擦り傷があるのを見て、目を見開き、顔色を変えた。

「李賢妃、一体これは……何とおいたわしい」

 それから、もの問いたげに魅音に視線をやる。魅音は急いで言った。

「私じゃないからね。珍貴妃みたいな性癖はないからね」

 しかし笙鈴にしてみれば、なぜ魅音が夜中に珊瑚宮にいるんだと思うだろうし、あらぬ誤解を招いても仕方がない。かもしれない。

 笙鈴が納得したかはわからないが、美朱が

「陶翠蘭は、私を心配して来てくれたのです。それ以上の詮索は無用」

 とバッサリ言ったためか、自分の仕事にのみ集中したようだった。

 俊輝は「魅音が誤解されかけたのか」と苦笑したが、すぐに表情を改める。

「まあ、確かに、その助手にとっては笑い事ではないだろうな。……にしても、美朱はすっかり手のひらを返したか。下に見ていたお前を珊瑚宮に泊めるとは」

『一緒の寝台で眠りましたよ。申し訳ありません、陛下を差し置いて』

「全くだ。現場に出くわしていたら、袖を涙で濡らしながら帰るところだった」

 わざとらしく首を振ってから、俊輝は話を戻す。

「それで、鏡の女が名乗った張伊褒という名だが、元・賢妃、つまりかつての珊瑚宮の住民だな。先帝の暴力の被害者の一人で、怪我が元で死んでいる」

『鏡の方は、方術士たちによって供養してもらい、鎮まりました。今、私の手元にあります』

 魅音は説明する。

『先月の初めごろから、鏡はいつの間にか珊瑚宮に置かれていたそうです。美朱も、今の侍女たちも、置いた覚えがないと言っていました。誰もが、誰かが置いたんだろう、と思っていたようで。青霞に聞いてみたんですが、伊褒妃が美しい螺鈿の鏡を持っていた、という話は聞いたことがあると言っていました。でも、彼女が死んだ後にどうしたかまでは知らないと』

「誰かが隠しでもしたかな。そして今になって置いた……?」

『そう考えるのが自然ですね。もう少し調べたら、詳しいことがわかるかも』

 話の途中で、小丸は魅音の頭の上でウトウトし始めていた。魅音がゆっくり頭を上下させると、やがて眠り込んだようだ。

 俊輝は顎を撫でながら考える。

「張伊褒は、『全ての女たちが解き放たれるまで、終わらせない』と言ったんだよな。つまり、まだ解き放たれていない女がいるということか」

 この場合の『女』は、先帝時代にひどい目に遭わされた後宮の女性たちを指しているのだろう。

『亡くなった妃は弔われ、生きている妃は後宮を出たのですよね? 宮女もかな? 後宮全体もお祓いしたし、珍貴妃が自害した宮もお祓いした後で取り壊し、鎮魂碑まで建てた』

「そうだ。張伊褒の言うところの『解き放たれた』状態になっているはずなのだが」

『何か、漏れがあるのかもしれません。それで私、美朱に言ったんです。陛下にお願いして、妃や宮女たちに何があったのか調べなおしてもらいましょう、って。そうしたら』

 美朱はきっぱりと、こう答えたのだ。

 ──いいえ、陛下はお忙しい身です。後宮のことですから、私たちで調べましょう──

「ほう。最高位の責任を(にな)おうとしているようだな」

『ええ、さすがです。妃に相応しい人ですね、見なおしました』

 魅音も小さく、狐頭をコクリとうなずかせる。

『そんなわけで、私たちで手分けして妃たちの記録を調べ直します。陛下、尚宮局(しょうぐうきょく)の過去の資料を見たいんですが』

 後宮の人事関係は、尚宮局という部署が担当しているのだ。

「わかった、手を回しておこう。……ああ、そうだ」

 俊輝は、机の上に置いてあった皿を引き寄せた。被せてある蓋のつまみに手をかけ、開ける。

 中には、綺麗に焼き印をつけた饅頭が一つ、ちょこんと鎮座していた。

「夜食だ、食え」

『わーい、やったぁ!』

「お前な、形くらいは遠慮してもいいんだぞ?」

 呆れる俊輝を後目に、魅音は小丸を落とさないようにススッと部屋の隅に走ると、器に入っていた手洗い用の水で前足を洗った。そして、後ろの二本足でひょこひょこと机に戻り、前足で器用に饅頭を持つ。

『いっただっきまーす!』

 パクッ、と一口食べて、魅音は饅頭の断面に目を奪われた。

 鮮やかな黄金色をしている。

『黄身餡だ!』

 思わず声を弾ませると、俊輝がさらりと言った。

「卵が好きなんだろう」

(えっ)

 あーん、ともう一口食べようとしていた魅音は、動きを止めてしまった。

『……何でご存じなんです? 私が、卵が好物だって』

「宴会の時、卵の蒸し物を見つめてうっとりしてから、幸せそうに食べていたじゃないか。一目瞭然だ」

 俊輝は機嫌よく笑う。

「狐は鶏などの動物を襲って食べるもの、と思っていたが、卵が好きなのか、と意外だったんだ。お前が鶏を襲わずに、卵を産むのをソワソワ待っているところを想像すると、可笑しくてな」

(笑われてるー! それにしても、さすがは先帝を討った男……本当に、よく見てる。他の妃たちのことも、色々と把握してるんだろうな)

 なんか悔しい、と思いながらも、魅音はおとなしく黄身餡の饅頭をモグモグといただく。

『んんっ。卵そのままも好きですけど、餡も濃厚でねっとりしてて美味しー!』

「それはよかったな」

 俊輝も満足そうに茶を一口飲んで付け加える。

「お前が狐仙に戻った暁には、狐仙堂には卵を供えてやろう。その頃まで俺が生きていればだが」

 いつかの、魅音に名前を付けた気弱そうな男を思い出しながら、魅音はツンとそっぽを向く。

『いくらお供えをしたって、私は今回しか、陛下のお願いは聞きませんからね!』

「そうなのか? まあ仕方ない。必要があれば他の狐仙に願うことにするか」

 いかにも世間話という口調で言った俊輝は、ふと口調を変えた。

「魅音。調べるのはいいが、あまり派手にやるなよ。先帝時代のことが原因なら、お前たちには直接の関係はないかもしれないが、鏡を誰かがわざと持ち込んだなら、邪魔はされたくないはずだからな」

『……そうですね』

「相手は意外と、すぐ身近にいるのかもしれないんだ」

 魅音はお菓子を食べ終えると、

『承知いたしました』

 とうっかり頭を下げた。

 小丸が転げ落ちて目を覚まし、チュー! と抗議の声を上げた。


(全くもう。人間たちと触れ合っていると、昔のしくじりを思い出して、嫌になっちゃうな)

 再び小丸を頭に乗せ、建物の影を狐姿で走り抜けながら、魅音は思う。

 あの気弱そうな男・暁博の願いで、兄弟仲を取り持ってやった時の話だ。この話には、続きがあった。



 あの後、王暁博は再び、狐仙堂に願いに来たのだ。

『大博が結婚したんだが、それ以来、また跡継ぎになりたそうな様子を見せている。妻になった女が、何か焚きつけたに違いない。魅音、弟夫婦を仲(たが)いさせてくれないか?』

 前回は、この男を活躍させるのが楽しかったが、今回は面白い願い事ではない。しかし、弟の妻も武官の娘で、夫を出世させたがっているのだ……と訴える彼の話を聞いていると、そんなことで彼の家が揉めたら可哀想だとも思った。

(ちょっとケンカさせればいいだけだよね)

 そう思った魅音は、美しい女の姿で大博の前に現れた。さらに、偶然を装って――あるいは装っているだけでわざとだとわかるようにして――二度、三度と現れてみせる。

 大博の妻の様子はどんどん不機嫌になり、ついに夫婦は喧嘩をした。

『よかった。これであいつも目が覚めるだろう』

 暁博は少し安堵したようだった。

 しかし、それほど間を置かず、魅音は再び呼び出された。

『遅かった。もうすっかり大博は、跡継ぎの座を狙うつもりになっている』

 そう訴える暁博の目が、血走っている。

『弟が跡継ぎになったら得をする奴らが、弟の口車に乗って味方になろうとしているんだ。そいつらを呪ってくれ』

『ちょっと待って。私は呪いをかけることなどしない』

 魅音は断ったのだが、暁博は必死で言う。

『呪いに見えればそれでいいんだ。奴らを怖がらせてやれれば』

『本当に、それで解決になるの?』

 彼は得意げに、自分のこめかみを軽くつついて見せた。

『なる。まあ見ていろ、俺の思惑通りになるはずだ』――



 ――魅音は強く首を振った。

「あーっ、もう!」

「わっ、ど、どうなさいました」

 ビクッ、と雨桐が身体を竦ませる。

 花籃宮の、朝食の時間である。爽やかな空気を乱してしまい、魅音はあわてて謝った。

「あああ、いきなりごめん。いやほら、自分が愚かでカッコ悪かった時のこと、思い出して身悶えちゃう瞬間って、ない?」

「あぁ……」

 水差しを両手で支えてこぼさないようにしていた雨桐は、卓子にそれを下ろしてホッとした様子を見せてから、魅音に笑顔を向けた。

「ございますね、そういうこと……。でも、魅音からそんなお話、ちょっと意外です」

「私だってあるよ。もちろんきっと陛下にも、あのスカしてる昴宇にもね」

 魅音は言って、朝食の残りを平らげたのだった。

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